五月十三日

書こうと思っていたことを忘れた。必ず書こうと思っていたのに。もう跡形もなく思い出せない。一人きりで生きていくことを考えていた気がする。もしくはそうでなくても、そのことを考えてみたい。いつから考えなくなったのか、思い出すには私は歳を取り過ぎた。
平日がつづら折りのように過ぎていく。私にはそれを振り返る術がない。深い折りの谷間に、記憶は滑り落ちる。そしてそれが閉じられたとき、折り目の山しか目に入らないように、ふと目にした景色、風のにおい、ぼんやりと何かを待っているときの思考、啓示のような閃きは忘却の底へと沈んでゆく。
ぼんやりと、ピザを頬張っていた。あたたかくもつめたくもない、五月の曇天の下、私はでき立てのピザを手を汚して食べた。食べることは何の予感も与えない、没頭できる唯一と言っていいほどの行為かもしれない。市営広場の時間のずれた時計がまだ午前を指している。いつみてもやっていない市営レストランのドアのガラスは暗い。その奥のうらびれた店内を想像して、いつも悲しんでしまうのは、私の悪癖だろう。
私の悲しみは誰かを裏切っているだろうか。私というものを、自己から切り離した時、自分で自分自身を裏切っていることになるだろうか。少なくとも、ラディカルな悲しみと哀れみは似通っている。どちらも、感情の主体を裏切り続ける点において。もうピザを食べ終わってしまう。犬のように平皿の底を舐め、口を拭いながら私は立ち去る。
鏡を見るのが好きだ。私は私を美しいと思うことに関して、徹底的に否定をしない。けれどそこに、自己憐憫を見出さずにはいられないほど、まだ私は正常なのだった。新しく買った口紅は、信じられない発色の良さと色持ちで私の唇に馴染んだ。もう寝る前だというのに口紅を引き、私は鏡に見惚れる。もう何度目かわからない新鮮さで、私は私の黒子に気がつき、今日もまた驚く。知らない顔のようだと、まだ思えることが、私の生活をかろうじて更新させている。

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