【コテン現代】②土佐日記「楫取の歌」
土佐物語を、現代を舞台に小説にしてみました。
エッセイ付きです。
「乗りますかい?」
地方での駐在を終え、一家そろって東京へ帰ろうと、タクシーで空港に着いた途端、濃霧が視界から一切を奪い、歩いても歩いても何も見つからず、携帯電話の電波も届かぬ状況で、ふいに目の前に現れた海に浮かぶ手漕ぎの帆船の楫取の男の申し出を、貫行一行が断る理由はなかった。
「ああ……みんないいか?」
歩きくたびれて判断能力の落ちている妻や子どもたちはぞんざいに頷いただけである。
「じゃあ頼む」
「へえ、気をつけてお乗りくだされ」
変な言葉遣いを訝しがりながらも、楫取同様色黒で汚い身なりをした船子たちに誘導されながら、古い小さな木の船に乗り込んだ。行く先を告げると数日間かかると言われ、しかも天候の状況により到着日は前後するかもしれないとのことなので、だいたいの運賃の交渉をしてから、船は陸から離れた。するとまた深い霧が襲い、海なのか川なのかも分からなくなってしまった。船に乗り込んだのが何日も前のような気がしてきて、方向だけでなく時間の感覚さえも狂ってしまったようだ。それは妻や子どもたちも同じらしい。彼らの不安そうな目つきが貫行の気持ちと変わらぬことを示していた。
春の野にてぞ 音をば泣く
若薄に 手切る切る
摘んだる菜を 親やまぼるらむ
姑や食ふらむ かへらや
(春の野で声を立てて泣く
若薄で手を切りながら
やっとのことで摘んだ野菜を
親が食べるだろう
姑が食べるだろう
さあ 帰ろう)
──楫取のやつらめ、のんきな歌なぞ歌いやがって。しかし、なぜこいつらは千年も昔の言葉を使っているのだ。俺たちがタイムスリップでもしたっていうのか……?
学生時代から古典をこよなく愛し、自称歌人である貫行の耳は、楫取たちの何気ない歌ひとつとて聞き流すことができないのである。妻も趣味を同じくする者で、
都へと思ふをものの悲しきは
帰らぬ人のあればなりけり
(都へ帰れると思っても、なんとも悲しいのは、一緒に帰ることのできない、そして、もう私たちの元へは帰ってこない子がいるからなのです)
と、駐在中にその地で亡くなってしまった幼い娘のことを思い出し、先の見えない霧の中、歌いながら涙しているのである。それを聞いた貫行の脳裏にも、
北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来し
数は足らでぞ帰るべらなる
(北へ帰ってゆく雁が鳴いている。昨年来たときの数が足りずに帰るからであろう)
などという古歌がよぎるのだった。
「黒鳥のもとに、白き波を寄す」
──なんだなんだ、楫取のくせに粋なことを言いやがって。
楫取の示した岩場に目を向けると、泡のような白い波の上に黒い鳥が飛び交っているのが見えるが、その鳥の群れの中に、年の頃12、3あたりの少年の姿がふと浮かび出た。はっとした貫行は、
「おい、あそこに子どもがいるぞ! 俺たちを呼んでいるみたいだ。行ってみよう」
楫取が少年のもとへ船を向けると、
「僕も乗せて。船を漕ぐから」
と貫行に申し出た。何があったか知らないが、自分の子どもたちとさして変わらぬ年齢のこの少年を、このまま見捨てることなどできようか。
「いいぞ、乗りたまえ」
笑顔で乗り込み、最年少の船子となった少年は、櫂を動かすリズムに合わせて歌い出す。
なほこそ 国の方は
見やらるれ
我が父母 ありしと思へば
かへらや
(やはり懐かしい故郷の方を見てしまう
自分の両親がいると思えばね
さあ 帰ろう)
──ああ、なんと素朴で胸を打つ歌であろうか……。
心の震えは、古今の詩歌への旅に出た。
──ああ……マーラーの『亡き子をしのぶ歌』が聞こえる……子を失ったリュッケルトの詩に曲をつけたら、自分の子も失うことになったのだったな……白居易は、やっとできた娘が1歳になった喜びを詠んだ歌の中に「若し夭折の患へ無くんば、則ち婚嫁の牽有り(もし夭折の心配がなければ、いずれは結婚という面倒が生じる)」と書いた。その2年後にその娘が病気で急死することになろうとは……なぜ夭折などという不吉な言葉を使ったのだ……言霊ということもあるだろうに……どうやって乗り越えたのだ……?
夜になったので適当な浜に船を停め、楫取や船子たちの釣った魚を夕食にし、皆で野宿した。
次の日の朝、楫取は、
「今日、風、雲の気色はなはだ悪し」
と言って船を出さないが、波風ひとつ立ってこない。貫行一家は暇なので、浜を散策していると、宝石のように美しい貝がところどころに散らばっているのを発見した。
「これは忘れ貝って言うんだよ」
後ろから付いてきていた船子に加わった少年が、紫がかった貝を手に持ちながら教えてくれた。
「忘れ貝か……、
忘れ貝拾ひしもせじ白玉を
恋ふるをだにも形見と思はむ
(拾ったら恋を忘れさせてくれるという忘れ貝を拾うことはしない。白玉のような亡き子を恋しいと思う気持ちこそが、あの子の形見なのだから)」
貫行がそう口ずさむと、
「こっちは忘れ草だよ」
と、またもその少年が、鮮やかな朱色の花を差し示して言った。
「忘れ貝、忘れ草って……本当に忘れられるのなら、摘んで行こうかしら」
妻がため息混じりに吐いた言葉は、亡き娘のことをただ忘れてしまおうということではなく、恋しい気持ちを少し休めて、また恋い慕う力にしようということなのだろうと、貫行は解釈した。
予想に反して天候が良好なので、食事のあとに船を出すことになった。楫取は自分が食べ終わると、「潮満ちぬ、風も吹きぬべし(潮が満ちてきた、風も吹いてくるだろう)」と騒がしく準備を始めたので、貫行たちも急かされて船に乗った。
──もとはと言えばお前が天候を見誤ったからこんなことになったのに、なんて勝手なやつなんだ! しかし、「船に乗りては、楫取の申すことをこそ高き山と頼め(船に乗ったら、楫取の言うことが絶対である)」と古物語にもあるくらいだからな……癪だが、従うしかあるまい。
「どうせ漕ぐならもっと早く漕いでくれ、こんなに天気がいいんだから」
と貫行が皮肉混じりに楫取に言うと、
「主よりおほせ給ぶなり朝北の出で来ぬさきに綱手はや引け
(雇い主殿からの仰せである、朝の北風が吹いてこないうちに、綱手をさっさと引けとのことだ)」
──……ん? 待て待て、何だ今のは。
貫行が楫取の言葉を手帳に書き出してみると、ぴったり三十一文字である。
──おいおい、おそらくは何の意識もしないで発した言葉なのだろうが、まるで歌のようになってるぞ。
楫取のことが気に食わないながらも、貫行は妙に感心してしまった。
「あっ! 海賊が追って来やした!」
船子の男のひとりが声を上げたので、皆が後ろを見ると、霧の中に黒く大きな影がぼんやりとにじんでいる。
「漕げ! 速く速く!」
貫行一家は顔面蒼白、船子たちは体中から汗を吹き出し吹き出し、目にも止まらぬ速さで櫂を漕ぐ。
「風が吹くよう祈ってくだされ!」
楫取の言葉に、貫行たちは目を見合わせてから、おのおの空を仰いだり胸の前で手を合わせたりして、いるかどうかも分からぬ神に祈った。
「祈るだけでは足りませぬ、何かもっと神が喜ぶようなものを差し上げてくだされ!」
と叫んだ楫取の目は、貫行が左手につけている腕時計に止まった。
「なにっ? これか?」
「お父さん、仕方がないよ、早く時計を取って海に投げ入れてよ!」
「あなた、早く!」
妻や子どもたちに追い立てられてはなす術がなく、3か月分の労働の対価の結晶が海の藻屑となった。すると、みるみる追い風が吹いてきて、帆は面白いほどに力強い曲線を描き、後方の黒い影はずんずん離れていった。
「やったー!」
落胆を深める貫行とは反比例して、その後も船は神風に煽られすいすい進む。
「はや着きぬべし(もう着くだろう)」
楫取がそう言い終わらないうちに霧がパッと晴れ、見覚えのある風景が広がった。
「あっ! 羽田空港!」
子どもの1人が指を差すと、貫行たちは波止場に降り立っていて、今乗っていた船は跡形もなく消えていた。
──一体全体、何がどうなってるんだ……?
ぽかんと口を開けて立ち尽くしている一家に、
「こっちだよ」
と声をかけたのは、船子に加わった少年だった。彼の後に付いて歩いて行くと、道端に1台のワゴンタクシーが停まっていた。
「これに乗れば帰れるよ」
「あ、ああ……ありがとう」
タクシーの運転手に助手席の窓越しに行き先を告げ、乗ることに決まったので、
「みんな、乗るんだ」
と言いながら貫行が家族の方を見ると、もう少年はいなかった。
「あれ? 男の子は?」
「男の子?」
妻や子どもたちの不思議そうな目が貫行の次の挙動を見守っていた。
「い、いや、何でもない」
タクシーに乗り込み、座席に着いてやっとひと息ついた。
──まさか、今まで起こったことは、すべて幻だったというのか……?
そういえばと思って左腕を見ると、時計焼けした皮膚があらわになっていた。貫行はますます訳が分からなくなってきた。隣に座る妻を見た。ぼんやりと窓の外を見つめている。
「なあ……俺たちは夢を見ていたのかな」
妻は涙目だ。何を考えていたかはすぐに分かる。
「そう……全て夢だった……夢を見ていただけだと思えればどんなに楽かしら……あの子がいなくなったのは、たんに夢の中の出来事だったのだと……」
(了)
『土佐日記』は、平安時代中期の歌人・紀貫之が、4年間の土佐守の任期を終え、935年2月に京の自宅へ帰るまでの旅の記録である。漢文ではなく女手(仮名)で書かれ、その後の女流文学作品に多大なる影響を与えたとみられている。
この時代の京都と土佐間の船旅は、『延喜式』によると25日間と言われていたが、天候に恵まれなかったこともあり、出航後約50日間を費やしている。
長くつらい船旅では、どんなに学があって和歌を詠めても、船を進める役には立たない。教養とは無縁と思われる海の男たちに全てを委ねるしかないのである。
日々大自然を相手に生きている者たちは、何万年も変わらない生の声を伝える。それを海の底から天までを貫く縦軸の力としよう。
対して貫之に代表される教養人たちの目は、海外に向けられる横軸である。海の向こうからもたらされる最先端の潮流を咀嚼し、自分の思いを漏らさず込めて、いかに美しく整った形にするかということが重要なのである。三十一文字は、公的な場に出ることの許される装いなのだ。楫取たちの歌や、船子に加わった少年の歌は、形にとらわれない自由で素朴な思いの丈の現れである。
3次元で考えると、この縦軸と横軸は離れているのであるが、時々はっとさせるようなことを言う楫取の男が発した「御船よりおほせ給ぶなり朝北の出で来ぬさきに綱手はや引け(注:御船は小説の流れの都合上、主に変更した)」は、情報を伝えるという目的の、何の感情も呼び起こさないメタな言葉であるが、それが三十一文字だったことで、縦軸と横軸が0度の一点で交わった。この旅日記の時間が止まった瞬間である。貫之はひやりとしたに違いない。縦軸に生きている者たちが三十一文字を手にしたら、敵うわけがないと分かっていたはずである。しかし楫取の三十一文字には心がなかった。一瞬バチッと交わった点は、また波に揺られて離れていった。
貫之の心には強烈な縦軸があった。任期中、土佐の地で亡くなった娘への思いである。死者への思いは、時間や空間を超越する。愛する者の死がきっかけとなり、数々の傑作が生み出されてきたことは、歴史が証明している。この縦軸がなかったら、この日記文学は、千年を超えて読み継がれることはなかったかもしれない。
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