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【コテン現代】③徒然草 第60段「芋頭を食らう僧侶」

今回は、吉田兼好の『徒然草』第60段に出てくる
ある僧侶を巡る太郎と吉男の会話をお楽しみください。


吉男「仁和寺の真乗院に盛親じょうしん僧都という変わった坊さんがいたそうだ。この坊さん、常に芋頭という里芋の親芋ばかり食っていた。仏典の講義の間も鉢に山盛りにした芋頭を膝の前に置いて本を読みながら食ったり、病気のときは1週間2週間部屋に閉じこもり、少し良い芋頭を選んでことさら多く食べ、あらゆる病気を治した。大変貧乏だったから、師である僧侶が死ぬ際に、現金200貫と僧坊をひとつ与えたのだが、その僧坊を100貫で売り、計300貫を全て芋頭購入のために使い切ってしまった。人にあげることはなく、全て自分で食べた。貧しい身でそんな大金を手にしてこのように使うとは、なんと世に稀な道心者だろうかと人々は言ったらしい。
 この坊さんは見てくれも良く、大力で大食漢、書をよくし、学者としての力量も弁舌も人より優れ、高僧としてその宗派でも重く思われていたが、ひたすらマイペースで人に従うということがなかった。法事に出向いた先での食事の席で、自分の前に置かれると、他の人々に配られるのを待たずに食べ、帰りたくなるとひとりでふらっと帰ってしまう。日々の食事のときも、午前も午後も決められた時間に食べずに、食べたいときは夜中でも明け方でも食べ、眠くなると昼でも部屋に引きこもり、大切な用事で人が来ても何も聞き入れない。覚醒しているときには、幾晩も寝ずに、心を澄まして何か口ずさみながら逍遥するなど、常人とは異なる様子なのだが、誰からも嫌われることなく、何事も許されていたと言うんだ……一体この坊さんは何なのだろうか」

太郎「誰に憚ることなく、何も隠すことなく、何事にも遠慮しないから、皆に信用されたんじゃないのか? とくに食べ物に関して明け透けなところが好ましい。新婚の女は夫に遠慮して隠れて食べる。罪悪感のストレスからもっと食べて太る。気づいたときには夫の心は離れていたなんていう切ない話もあるだろう。それはさておき、芋頭が甘くないということもポイントだろうな。もしも蜂蜜だったら誰からも尊敬されないはずだ」

吉「そうだな。甘いもの、砂糖の摂取は欲望の最もたるものだよな。GHQが敷いた3S政策にシュガーも加えて4Sと言いたいよ。飢えた子どもたちにチョコレートやあめ玉を配り、甘い夢をもらった世代が国の政を司るようになると、アメリカの拝金主義に媚びへつらい、売国奴と成り果てている。それを少しでも是正しようと最期まで志を失わなかった元首相が殺され、以前にも増してグローバリストたちの犬となっているんだから、砂糖の力は絶大だよ。あと、俺は4Sに旅行(トラベル)のTも加えたいね」

太「同感だ。人々が旅行に注ぐ情熱を戦意高揚に使われたらと思うと空恐ろしいよ。この情報過多の世の中で、旅行する動機は未知なる土地への好奇心などではなく、あれを自分の目で見たい、あれが食べたい、買いたいというのが大部分で、欲望の安易な捌け口と化している。浅はかな旅行者たちの目も当てられない無礼な行動も、経済のために文句を言うものもいない。資本主義の成れの果てだ」

吉「話を戻すが、今の時代、芋頭よりも身近に手に入るもので、何か代わりになるものはあるだろうか。薬にもなるといったらネギあたりか?」

太「仏教では葷菜を食らわずというからネギはダメだ」

吉「じゃあ、もやしかな」

太「そうだな」

吉「しかしこの坊さんのQOLはとてつもなく低いのだろうな」

太「クオリティーオブライフが? そんなことを言ったら里芋やもやしを作っている方々に失礼だろう」

吉「いや、間違えた、なんだったかな、知能指数じゃなくて……」

太「ああ、EQ、心の知能指数のことだな」

吉「そう、それだ!」

太「そのような次元を軽々と超えて本能の赴くままに生きているこの坊さんは、この世に対する執着が全くないのだろうな。ともすればふわふわと天に飛んで行ってしまいそうな坊さんの魂、その入れ物である肉体が、坊さんの意思とは離れたところで、寿命が訪れるまで魂をこの世に引き留めておくために、次々と子を成し根を広げる芋頭を必要としたのかもしれない。禅の広まる中世だけでなく、執着を離れ清貧であることが古今東西の賢者のあらまほしき姿だから、それを実践しているこの坊さんが、ひねくれたところのある兼好法師にも徳があると言われている所以なのだろうな」

吉「もやしで肉体を繋ぎ止めることができるのだろうか」

太「可能性はあると思うぞ。蜘蛛の糸も、登る者の心がけ次第で、強靭な大縄にも途切れ途切れの飛行機雲のようにはかなくもなるのだから」

(了)



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