【ショートショート】懐メロの教科書

母「ポン太、スーパーにどん兵衛を買いに行くどん。あ、スマホを忘れずに持って行くんだったどん」

ポン太「なんでだどん？」

母「行けば分かるどん」

店員「いらっしゃいませ」

母「何だか店内が暑いどん」

店「エアコンのメンテナンス中で、お客様方には大変ご迷惑をおかけしております」

母「そういうことなら、ちゃっちゃと買い物を済ませるどん……ん？　今流れている曲は何だどん？　体と魂を振り絞っているかのような、熱い歌い方だどん。ポン太、ここをポチッと押すどん」

ポ「これなあに？」

母「楽曲検索アプリだどん。このスーパーはいつも懐メロが流れてて、誰が歌ってるか分からないと気になって買い物どころではなくなるどん」

ポ「はい、ポチ」

母「お、出たどん。ルナシーの河村隆一だどん。目の前で命懸けでこんなバラードを歌われたら、きっと涙腺が崩壊するどん。ビジュアル系が体育会系と言われるのも分かるどん。炎天下の甲子園に青春を捧げる高校球児の奮闘に涙がちょちょ切れるのと同じだどん。
　おや、次の曲は何だどん？　鼻にかかったような声だから、きっと８０年代のアイドルだどん。その時代の発音の仕方は今とちょっと違う気がするどん。野球繋がりで『タッチ』の浅倉南ちゃんを思い出すどん。ポチッ……ん？　ジューシィ・フルーツ？　女の子のボーカルがギター持ってるどん！　ぶりっ子声でもちゃんとしたミュージシャンだどん。ジャスティン・ビーバーがギター弾いてる映像を見た時と同じ衝撃だどん。
　おお、次の曲は男のハスキーボイスでとても上手だどん。ポチッ……EXILEのATSUSHI？　踊りにばかり目が向いて、ろくに歌を聴いてなかったどん。
　さて次は……あっ、これは知ってるどん、玉置浩二だどん。一応、ポチ……若い時の安全地帯のときの歌だどん。こんなに歌が上手いなんて知らなかったどん。衝撃だどん！　スキャンダラスなことばかり目立ってたから、歌手ということを忘れてたどん。本質が見えなくなってるのは、ATSUSHIと同じだどん。気になるから早速ググってみるどん……安全地帯は井上陽水のバッグバンドだった？　作詞は井上陽水？　道理で一筋縄ではいかない歌詞だどん。えっ？　ATSUSHIは玉置浩二の歌唱力に圧倒され弟子入りしていた？　何という曲の並びだどん！　知らなかったことだらけだどん」

ポ「そいや！　そいや！　そいや！　そいや！」

母「あはは！　ポン太、上手だどん！　この歌は調べなくても分かるどん。確か、陰湿風疹セピアっていうグループだどん。こういう熱き漢おとこたちの血潮たぎる歌は冷房なしの場所で聴くものではないどん。暑くなる前にレジに行くどん……って、ちょっとポン太ー！　何でこんなにアイスを入れてるどん！」

ポ「母ちゃんがずっとスマホとにらめっこしてたから退屈だったどん」

　ゴゴゴゴ……

ポ「うわあ！　母ちゃんの顔から怒りの汗が噴き出してきたどん！　これは逃げるしかないどん！　先に家に帰ってるどん！」

母「待て、ポン太ー！　行っちゃったどん……うわ、アイスがことごとく溶けてるどん！　しょうがない、家でもう１回凍らせるどん」

店「２０００円になりまーす……ちょうどお預かりしまーす。ありがとうございましたー」

母「やっぱり外は太陽がジリジリして暑いどん……ただいまー」

ポ「お帰りー！　アイスちょうだい」

母「先にご飯を食べるどん。あっ！」

ポ「どうしたどん？」

母「どん兵衛を買うの忘れてたどん」

（了）