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往復書簡:テラとTERAの音楽をめぐって③(音源付き)田中教順より最後の手紙

by 田中教順、グリット・レカクン

互いに演奏家であり研究者でもある日本とタイ両バージョンの『TERA』の音楽家、田中教順とグリット・レカクンが、お互いの作曲や音楽観についてオンラインで書簡を交わしました。この記事では、全6通の往復書簡のうち第五便をご紹介します。書簡に寄せたオリジナル音源付きです。

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第五便:田中教順より

グリットさん

再び大変興味深いお返事をありがとうございます。 前回の自分のメールは諸々と説明が不足していた気がします。その結果グリットさんを多少戸惑わせてしまったかもしれません。なので、前回した話を少し補足させてください。

まず、僕が『テラ』の音楽の面でなるべく避けようと思っていたのは「ゴージャス」と「シリアス」だった、と表現したほうがわかりやすかったかもしれません。
日本の演劇や映画等のサウンドトラックにおいて、「ゴージャス」や「シリアス」を担っているのは 

  • 西洋のオーケストラや室内楽のような、特に弦楽器を主力とした楽器編成

  • アコースティックピアノの生演奏

  • 日本の伝統音楽を模倣するようなスタイルの音楽

といった要素をもつ音楽だと思います(最近ではここにジャズも加わってきているとも思います)。それはこういった要素の音楽が少なからず権威的でハイカルチャーなものである、という認識があるのではと思っています(すくなくとも上記のような音が、自分が『テラ』で目指した音よりも「チープ」だと認識されることは少ないと思います)。

そういった要素の音楽を日本の寺に持ち込むことは自分にとってはあまりにもゴージャスでシリアスになりすぎてしまうと思ったのです。そこにいくと打楽器はシリアスにもできますが、ふざけた感じにもできる力があると思います。その要素が『テラ』の音楽の方向性にうまく合っていたのではと思います。

また、シンセサイザーの音やミッチャンが歌う歌などの音色は日本の90年代後半のポピュラーミュージックを念頭に入れて作成しました。2010年代の音楽的な流行からみるととても時代遅れな音で、前時代的な「ゴージャス」さが逆に今では貧相で滑稽に聴こえると思いました。

また90年代は日本が経済的に緩やかに下り坂に突入していく時期で(それ以来日本は経済的に少しずつ凋落して行っていると僕は感じています)、それまで上り調子だった80年代や90年代前半の音楽と比べると、我々日本人にどことなく影を感じさせるものがあると思います。そこにある種の「死や滅びへの予感」みたいなものを乗せることができたら、という意図もありました。ふざけていてでナンセンスなものに、少し不安感を加味させたかったのです。

なお、こういった僕の意図は僧侶である父からは大変不評で、観劇後に彼は「寺であんな音楽を流してどうする。もっとゴージャスでシリアスなものにしろ」と言っていました。ときに父と子は理解し合うのが難しいと感じました。

グリットさんの音楽が様々な楽器を使用して地震や滝といったサウンドスケープを提供した、というのは非常に興味深いです。他方、僕は具体的な何かを表現するというよりは非常に抽象的な「仏教への未知」といったものを音にすることを試みました。このあたりはやはり仏教に対してのタイと日本の受容のされ方によるところが大きいのではと思います。とても興味深いことだと思います。

グリットさんのタイの音楽と仏教の関係性についてのお返事は大変明快で、読みながら何度もうなづいてしまいました。タイが上座部仏教の国で日本は大乗仏教の国である、という違いもありますが、タイの人たちは日本人よりもずっと熱心に仏教を信仰していると感じますし(日本では仏教徒でも家に仏像があることはそう多くないと思います)、タイの人から見ると日本人が「仏教ってよくわからない」と言っているのは、もしかしたら理解に苦しむことかもしれませんね。

グリットさんから「タイの音楽は仏教と分離できない」というお話をいただきました。日本の伝統音楽には仏教と結びついているものもありますが、そもそもタイのピーパートやミャンマーのサインワインのように、寺院や仏教的な儀式の中でその国の伝統音楽が頻繁に演奏されているということはそう多くないと思いますし、最近の日本の寺は本堂で西洋の音楽の演奏会を行うことも珍しくありません(EDMのライブすら時には行われています)。

日本の仏教の音楽って何だろう?という問いを日本人にしたら、大多数が「お経」と答えるのではと思います。また宗派によってはキリスト教の賛美歌に相当するような仏教賛歌がありますが、作曲者が西洋音楽の手法を学んだ作曲家であることが多く、純日本的とは言いづらい曲がほとんどです(大抵ピアノと声楽によるものです)。グリットさんのように「日本の楽器と音楽のアイデンティティが日本の人々の仏教観を表している」とは言えないところがあると思います。そういった部分も僕は誤魔化さずに『テラ』の音楽に投影させようと思いました。

さて、次回のグリットさんのお返事でこの往復書簡は最後になるのですが、この試みによってタイの仏教への明確さと熱心さ、そして伝統楽器の音と仏教との繋がりの強さが明らかになり、これは僕には大変興味深いことです。なぜなら僕は日本の『テラ』で真逆の考えを反映させているからです。同じ仏教と寺をテーマに、音だけでこんなに方向性が変わるのは本当に面白いし興味深いと思います。

ただ、日本人が「仏教ってよくわからない」というのは、別に仏教をばかにしているとか蔑ろにしている、ということでもないと僕は思っています。わからないなりに一定の敬意をもって接しているのは間違いないのです。でもよくわからない。よくわからない、ということを受け入れて、知ったかぶらずに仏教と向き合っていく、というのが現代の日本人の仏教との関係の第一歩なのではないかと思います。『テラ』はその第一歩を描いた作品だったと思っています。

そしてこの『テラ』のおかげでグリットさんとこのように音楽や仏教についてお話を伺うことができ、またひとつ自分の世界が少し広がったように感じます。本当にありがとうございました。僕からは以上ですが、最後にグリットさんからこの「テラジア」プロジェクトについての感想や、僕の『テラ』の音楽への意図など、自由にコメントいただければなによりです。

往復書簡.002

追伸

今回の往復書簡を掲載するページに音楽を贈ってはどうか、と坂田さんから提案がありました。既存の曲でも構わない、という提案でしたが、音楽家である以上、簡素なものでも、この往復書簡を踏まえて何か作ってみようと思い立ち、『テラ』での音楽に使用したリズムを元に、打楽器のリズムパターンによる2分くらいの小品を制作してみました。グリットさんがお忙しいのはよく存じておりますので、このままこの曲を掲載する形でよいと思いますが、もしもこの曲に何かグリットさんが楽器を録音することができたら、この往復書簡の締めくくりに音楽のやりとりができて大変嬉しいです。

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関連プログラム

田中教順とグリット・レカクンがそれぞれ音楽を担当した『テラ 京都編』と『TERA เถระ』の公演映像は、2021年11月19日(金)~12月26日(日)まで配信中。詳細・チケット情報はこちらのぺージをご覧ください。
※チケット販売は12月12日(日)まで

筆者プロフィール

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田中教順
1983年生まれ。ドラマー・パーカッショニスト/作曲家。東京藝術大学在学中より演奏活動を行う。ジャズミュージシャン菊地成孔主宰のdCprG等で活動後、博士号を取得(学術)し、現在「抱きたいリズム」をモットーに世界を旅するリズム大好き大学職員。自身のユニット「未同定」やラテン・ジャズバンド「Septeto Bunga Tropis」などで演奏活動を行っている。近年はミャンマーの打楽器を主体とした伝統音楽「サインワイン」の研究・習得をミャンマーの国立文化芸術大学にて行っている。ミャンマー音楽の研究で令和2年度科研費若手研究にも採択。坂田ゆかり演出作品への参加は「テラ」(2018)が初。2019年には本作でチュニジア公演も経験。

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グリット・レカクン
バンコクのマヒドン大学音楽学部卒業後、ロンドン大学SOASで博士課程(民族音楽学)を修了。SOAS音楽学部でタイの伝統音楽を教えたのち、現在はチェンマイ大学芸術学部の音楽講師を務める。専門はタイの木管楽器。実験的な音楽に関心があり、2003年からタイの伝統音楽と現代音楽のバンドKorphaiのメンバーとして活動。2004年にはタイの伝統音楽映画「Home
Rong」のサウンドトラックを担当。2012年にはASEAN・韓国伝統音楽オーケストラと共演し、2019年には現代舞踊劇「Mahajanaka Dance
Drama」英国ツアーで演奏した。

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