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葉梨康弘・前法務大臣の発言から見る国語力の大切さ

皆さん、こんにちは。

「オンラインてらこ家」を管理・運営しているエアドライブ株式会社の山中勇輔と申します。「オンラインてらこ家」ではWebサイトの保守管理やマーケティングを担当しております。

私自身は大学で日本史学を専攻しておりました。日本史に関する講座は主に私が担当しております。また、IT業界において20年以上の実務経験があるので、IT・インターネット業界に関するビジネス講座ビジネスにおけるテキストコミニケーションに関する講座などを、今後担当してまいります。

当社を立ち上げて12年目です。実際に会社を経営していると仕事上様々な人に出会い、様々な事象にぶつかってきました。そしてその度に、日本語における意志伝達能力の重要性というものを痛感してきました。

今や、人と人とのやりとりは、SNSやLINE、Slack、Chatworkのような情報共有ツールを使っていかないと成り立たなくなっています。

そうなればなるほど、日本語における意志伝達能力は重要になり、その齟齬でトラブルが頻発しているケースは多くあると経験上理解しています。

「オンラインてらこ家」を立ち上げたのも、その意志伝達能力がビジネス現場において致命的なレベルまで堕ちまくっていると痛感したのが1つのキッカケになっています。

その意志伝達能力を含めて国語力が最も大事だと私は考えています。

では、なぜ、そんなに国語力が大事なのか。その説明にうってつけの出来事が先日起きましたので、それを例示しながらお話していこうと思います。

葉梨康弘前法務大臣の問題発言

報道によれば、岸田内閣の葉梨康弘・前法務大臣(以下「葉梨前法相」)は、2022年11月9日の夜、東京都内で行われた自民党宏池会議員の会合に出席されました。
その際、以下の発言をしたと報じられています。

葉梨法務大臣は9日夜、東京都内で開かれた会合であいさつし、法務大臣の職務に関連して「朝、死刑のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのはそういう時だけという地味な役職だ」などと発言しました。

葉梨法相「死刑のはんこを押してニュースに 地味な役職」発言(NHK 2022/11/10)

そのうえで「今回は旧統一教会の問題に抱きつかれてしまい、ただ抱きつかれたというよりは一生懸命、その問題の解決に取り組まなければならず、私の顔もいくらかテレビで出ることになった」と述べました。

葉梨法相「死刑のはんこを押してニュースに 地味な役職」発言(NHK 2022/11/10)

さらに葉梨大臣は「外務省と法務省は票とお金に縁がない。法務大臣になってもお金は集まらない。なかなか票も入らない」と述べました。

葉梨法相「死刑のはんこを押してニュースに 地味な役職」発言(NHK 2022/11/10)

上記は11月10日のNHKニュースのサイトから引用しております。
この発言について、葉梨前法相はすべて事実と認めた上で

「謝罪しましたが、一時は一部を切り取られたと主張していました」

「死刑のハンコ」発言の葉梨法相 「謝罪しましたが、一時は一部を切り取られたと主張」(永島優美アナ)Jcast テレビウォッチ

と、切り取りを主張されています。
10日の夜に、葉梨前法相自ら、挨拶時の全文を記者団に読み上げたため、その全文を知ることができました。

葉梨前法相の挨拶の全文は下記リンクよりお読みください。

私もこの全文を読みましたが、問題発言3連発の中で切り取られてSNSで出回ったのは

「法相の仕事は死刑のハンコだけ」
「法相の仕事は地味な仕事」

この2つかなと思いました。

しかし、いくら身内(宏池会)の会合だとしても、これまでそういう会合で問題発言をなさった方はたくさんいるわけですから、脇が甘かったと言われても致し方ないと思いました。

では、どうすればよかったのか。
それを述べていきます。

葉梨前法相はどうすればよかったのか(その1)

葉梨前法相のあいさつの全文が公開されたので、問題の部分を自分なりに再構築してみようと思います。この場合、法相が意図すべきこと(言いたかったこと)をずらさず、もっとも適した表現はどのようなものだったのかに注意して添削したいと思います。

まずは、葉梨前法相の原文です。

法相になり3カ月になりますが、だいたい法相というのは、朝、死刑のはんこを押しまして、それで昼のニュースのトップになるというのはそういう時だけ、という地味な役職なんですが、今回はなぜか旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題に抱きつかれてしまいました。

https://mainichi.jp/articles/20221110/k00/00m/010/103000c

まず日本語の文章というのは主語と述語で一対となるように構成され、その間に目的語や修飾語などが加わって一文になります。

先程の原文には、

「だいたい法相というのは、」
「今回は…」

なぜか、一文の中に主語的表現の文言が二つもあります。
そしてこのいずれも対になる述語が文中に存在していないように見えます。(実際には存在しているのですが、わかりにくいのです。)

さらに言えば…….「法相になり3ヶ月になりますが」の表現では主語そのものが省略されています。もちろん、主語がなくても意味が通じる場合は省略されていても全く問題ないのですが、この冒頭の文にも主語が存在するという点は押さえておくべきでしょう。すなわち、

「(私は)法相になり3ヶ月になりますが、」

ということになり、上記の「(私は)」も含めると、一文の中に主語表現が三つあるということになるのです。
(※上記の「〜なりますが」の「が」は逆説助詞ですので、これは主語にはなりません。)

つまり、何が言いたいかというと、この一文だけ取ってみても、文の体裁を成していないわけです。

また日本語文章の一文あたりの理想的な文字数は、およそ80文字以内と言われています。これ以上文字を連ねると、伝えたいことが伝わりにくくなります。

先程抜粋した原文は一文です。
Wordの文字カウントで調べると、125文字あります。
正直、長すぎます。

この文章、私なら以下のように再構築します。

法相になり3カ月になりました。法相の仕事が世間の話題に取り上げられる時は、死刑囚の死刑執行がメディアによって報道される時ぐらいです。従って普段はどういう仕事をしているのか世間にはわかりにくく、縁の下の力持ち的な役職になります。しかし、今回は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題にもかかわるようになりました。

いかがでしょうか?
一文が四文なりました。それは原文に盛り込まれている要素が4つあるからです。

1、法相になって3ヶ月。
2、法相の仕事がメディアに取り上げられるのは死刑執行の時ぐらい。
3、法相の仕事わかりにくく地味。
4、統一教会の問題にかかわることになった。

これを一文で伝えようとすることに無理があります。

原文の中でもっともSNSで切り取られた表現だった「死刑のはんこ」
これは、文字通り死刑執行の命令を意味します。
それを「はんこ」という軽々しい単語を用いたところが、大きな間違いだったと思います。

葉梨前法相はどうすればよかったのか(その2)

2番目の問題発言の原文を抜粋します。

今回はなぜか旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題に抱きつかれてしまいました。ただ抱きつかれたというよりは、一生懸命その問題解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになったということでございます。

https://mainichi.jp/articles/20221110/k00/00m/010/103000c

ここで、なぜ「抱きつかれた」という表現を使ったのかが理解できませんでした。もしかするとジョークのつもりだったのかもしれません。

しかし今、いろいろと騒がしい統一教会絡みで使うと「面倒なことに巻き込まれた」と受け取られかねないと思います。

こちらも私が再構築すると以下の内容になります。

しかし、今回は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題にもかかわるようになりました。法相としては世間に向けて一生懸命その問題解決に取り組まないといけないということで、私の顔もいくらかテレビに出るようになり、すこしは法相の仕事のPRにもなっているのかなと思います。

この発言の前段部分が「法相の仕事はメディアにも載らない地味な仕事」という内容になっていました。

その流れから、葉梨前法相がおっしゃりたいのは「統一教会の法整備(被害者救済法案関係?)における担当諸官庁の長ということで、メディア露出が多くなった」だと思いました。

「私の顔」「いくらかテレビにでるようになり」はそのあたりの心情の吐露だと察します。

従いまして「抱きつかれ」「かかわるように」に表現を改めました。
その上で、かかわる仕事が「世間に向けて一生懸命その問題解決」につながるもののようにし、「私の顔」「いくらかテレビに出るようになり」ということが、「法相の仕事のPR」となるように文脈を変更しております。

このように表現方法を変えることで、内容としては全く同じ内容のことを言っているのですが、悪戯に世間に波風を立たせる要素はなくなっているのではないかと思いました。

葉梨前法相はどうすればよかったのか(その3)

さて、最後の問題発言部分に移りましょう。
以下、原文抜粋です。

三つ目の共通点ですが、外務省と法務省、票とお金に縁がない。副外相になっても全然お金がもうからない。法相になってもお金は集まらない、なかなか票も入らない。

毎日新聞「『発言全体を見て』葉梨法相が“死刑のはんこ”テープ起こし読み上げ」(2022/11/10)

この会合が宏池会のメンバー(国会議員)だけしかいないことを考慮すると、これは内輪向けの完全に自虐ネタかなと思える部分です。

ただし、これを国民が見れば「議員としての旨味とはなにか」「議員は儲かるために大臣をやっているのか」などという邪推が生まれるのも必至です。

これを踏まえて、私なら以下のように再構築します。

三つ目の共通点ですが、私は外務省と法務省は、他の省庁と比べ、票とお金に縁遠い位置にあると思っています。副外相になっても、法相になっても、国益にかなう活動をするための資金がなかなか集まらない。また直接国民の皆様の生活に直結することが少ないせいか、選挙での得票にもつながりにくい。

お金の縁が「ある」「なし」とか、「もうかる」「もうからない」「お金が集まる」「集まらない」とかを下世話な単語で表現するのではなく、別の文言を入れ替えるだけで変な悪印象を減らせる好例だと思います。

国語力の重要性

ここまで葉梨前法相の問題発言を文言表現の面から検証して再構築してきました。

日本語の言葉というのは、どの場面で、どの単語を、どのように選択するかで、同じ内容をことを伝えているのに、受けての受け止め方が全く変わります。

「オンラインてらこ家」で指導している小論文や志望理由書、就職のエントリーシートや転職時の職務経歴書なども、本質的な問題はここにあると思っています。

従って、受け手にどのように受け止めてもらうのか、で最適な単語や文章表現を身につけておくことで、スマートかつ的確な意志の伝達が可能になります。

それはすなわち受け手に対して「知的アピール」「教養のアピール」につながります。

葉梨前法相だけのことではありませんが、政治家の皆様は失言してメディアに報道されて叩かれた時、こういうコメントをだされます。

「(そういうつもりではないが)誤解を与えたのであれば申し訳ない」

本人としてどのような気持ちでこのようなコメントを出されたのかは個々人によるでしょうが、大概はボキャブラリーが貧困かつ適切な表現方法を知らないところに根本原因があります。誤解を与えるような表現をしている時点で教養が足りないのです。

人々の意志の疎通がチャットやテキストメッセージが主体になればなるほど、言葉の選択、表現の選択は大切になってきます。

「オンラインてらこ家」では、そういう面をきっちり鍛え上げ、社会に送り出すことを主命と考えて事業を行っております。

私たちの講座、サービスにご興味がありましたら、下記サイトか、公式LINEアカウトからご一報ください。


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