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【御礼】仙台テラピ・ド・ジュ研究会、クラウドファンディング達成!〜代表よりご挨拶〜

本日、仙台テラピ・ド・ジュ研究会クラウドファンディング「3.11から心の復興|遊戯療法・音楽療法で親子に寄り添い続けたい」が、目標金額の60万円を達成いたしました!
この投稿の時点で、支援総額は617,000円となりました。
ご支援いただいた80名の皆様に心より感謝申し上げます。

クラウドファンディングの終了まで、残り48時間
終了までご支援を受け付けております。
もしよろしければ、周りの方やSNSなどで私たちの活動をご周知いただけますと幸いです。

そして、代表の佐藤より目標達成の御礼をお伝えさせていただきます。

・・・・・

皆さま、こんばんは。
代表の佐藤葉子と申します。

おかげさまで、本日、プロジェクト達成の瞬間を迎えることが出来ました。
これまで拡散にご協力頂きました皆さま、
そして、ご支援頂きました皆さま、心から御礼申し上げます。

少しだけ長くなってしまいますが、、、
私が何故10年以上もこのような活動を続けているか、、、お聞きいただいてもよろしいでしょうか?

実は私、これまで大きな震災を3度経験しております。
なかなかいませんよね、きっと。

1つめは、小学生のときの宮城県沖地震です。
その日は友人のお誕生会に呼んでもらっていたのですが、大きな揺れと共に学校の避難訓練を思い出し、何とか机の下に頭だけは突っ込めたのですが身体は間に合わず、かなり高い位置から大量の本がどさどさと降って来まして、怖さと痛さと長い揺れでパニックになっておりました。
友達は皆、すぐに大泣きして友人のお母さんにしがみついておりましたが、身体の痛みを感じつつも私は何故か涙さえも出ず、それどころか、友達を慰めておりました。
友人のお母様がすぐにタクシーで遠くに住む子どもたちを送ってくださったのですが、それまで泣きもしなかった私は、母の顔を見てホッとしたのでしょうね、そこでようやく涙を流すことができたことを今でも覚えております。
子どもであっても、すぐに不安や恐怖を表現できる子どもと、出来ない子どもがいることを、身を持って知る体験となりました。

2つめは、阪神淡路大震災です。
この時は心理学を学ぶ学生でしたが、ちょうど高速道路が横倒しになった地域からすぐ近くに住んでおりましたので、爆弾でも爆発したかと思うくらいの衝撃に襲われ、一瞬で高いマンションは傾き、周辺の家という家がペシャンコに潰れ、まるで映画のワンシーンのようでした。
夢の中の世界にいるかのような感覚で、同じマンションに住む方々と共に、潰れた家から住人を救出するため重い瓦屋根を取り除いたり、家に潜ったりしながら必死に人命救助のため走り回っておりました。
遠くから赤ちゃんの泣き声が聞こえると誰かの叫び声が聞こえ、屋根という屋根の上を歩いて探し回り、ようやく辿り着いて布団や家具などを取り除くと、すでに亡くなった赤ちゃんの姿がそこにありました。
友人と2人で泣きながら赤ちゃんを抱いて屋根の上を歩きながら病院を探した時の、あの赤ちゃんの感触は今でもこの腕の中に残っています。
その時も、この子は何のために生まれてきたのだろうと胸が張り裂けそうになりましたが、だからこそ、子どもを笑顔する仕事や、子どもの夢を応援できる仕事に就きたいと、友達と共に心に誓ったことを覚えています。

その後は仲間と共に恩師の指導の下で避難所に出向き、心のケア活動を行なっておりました。
最初の頃は、被災者のやり場のない怒りを向けられることもございましたが、何度も何度もお会いし続けていくうちに少しずつ心を開いてくださるようになり、その方から最後の日に「うちにはもう何もなくて、これしかないけれど」と、庭でとれた花のタネを頂戴しました。
そして、「傷ついた人に寄り添える臨床心理士を目指してほしい」と、おっしゃって頂きました。
私はその方から、人との繋がりの大切さ、命の大切さを教えて頂き、
そして、そのタネが私の心の中に花を咲かせ、12年間の活動を継続させるための原動力ともなっております。

そして、3つめは東日本大震災です。
これまで経験したことのない激しく長く続く揺れの中で、私は瞬時に阪神淡路大震災の時の光景が浮かび、このままでは家が潰れてしまうから早く揺れが止まって欲しいと大声で叫んでいました。
叫んでも、願っても、なかなか収まってくれず、命がけで家族とペットを迎えに2階まで駆け上がり、あちこち身体をぶつけながら外に出たことを昨日のように覚えています。
全てのライフラインが閉ざされた中、ラジオから耳にする「津波」という言葉。
その後も数えきれないほどの大きな余震のたびに緊張が走り続けた日々でした。
内陸部にいた私が津波被害のその惨状を知ったのは、1週間後に電気の供給が回復してからでした。

その後、まずは同じ臨床心理士で一人暮らしをしている仲間たちを家に集めてご飯を食べてもらったり、彼女たちの心のケアに努めました。
そして、沿岸地域に住む親戚や知り合いのところに物資を運んだり、全国の友人から物資を送ってもらって避難所へ運んだり、炊き出しも行いました。
仮設住宅に支援物資を運ぶボランティアをしていた時、津波被害のあった保育所にいる子どもたちの心のケアをしてほしいと声をかけて頂き、その後何年も通い続けました。
同時に、遊戯療法学会の全国にお住まいの臨床心理士の大先輩方から声をかけて頂き、宮城県内にある児童館で子どもの心のケアを遊戯療法を用いて行うことになりました。
その活動が4年間続き、その後を引き継ぐ形で、現在の私どもの活動へと繋がっております。


阪神淡路大震災では
宮城県沖地震の経験を生かし、
東日本大震災では
阪神淡路大震災の経験を生かし、
東日本大震災の時は
震災直後より多くの方々との繋がりを大切にしながら、
人それぞれのタイミングで表れてくる、傷ついた心から生じる不安や恐怖心の再燃、様々な症状、喪失感などを抱えた被災者親子の皆さまとお会いさせて頂いております。

今回のこのプロジェクトでは、阪神淡路大震災を経験された方々からも沢山の応援を頂戴しております。
また、これまでお仕事でご一緒させていただいた方、大切な友達、私を支えてくれている親戚や家族、
そして、私以外の当団体のスタッフのご友人やお仕事関係の方や普段お世話になっている方々、、、
さらに、SNSや偶然、本プロジェクトを知り、共感してくださった方々、、、
皆さまの応援、心より感謝申し上げます。
クラファンを通じて出逢えた皆さまお一人お一人からの想いのこもったご支援を有難く頂戴し、
今後も支援活動を継続して参りたいと思います。

最後に、このプロジェクトのことを最初からずっと見守り続けてくださった、
私どものところにご来談くださっている保護者の皆さま。
これだけの多くの方々が、皆さまのことを応援してくださっております。
応援してくださる皆さまの心と共にこれからも、更に前に一緒に進んでまいりましょう。

皆さま。
この度は誠にご支援ありがとうございました。

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