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情報にまみれた現代社会。囲碁が打てたら幸せに過ごせるかもしれない話。

恋愛やお金、周りの人間関係って逃げても逃げても絡まりついてきますよね。

ゲームで気を紛らわせててもSNSを開いて嫌気が差したり。
飲み会で愚痴を吐いて盛り上がっても家に帰れば1人で泣きたくなったり。
全てがめんどくさくなってスマホごと投げ捨てたくなったり。

そんな気持ちになった事はありませんか?
僕はあります。
寝る前に考え事を始めると明け方まで眠れなくなることなんてしょっちゅうでした。

インターネットが普及した現代では江戸時代の1年分の情報量を1日で受信しているなんて言われています。
この話を聞いて皆さんも思いませんか?

「頭の中に入ってくる情報量が人間の限界を超えている」と。

PCを使い過ぎると熱で壊れてしまうように、人間も同時に考える事が多過ぎると壊れてしまうと僕は思うのです。

そこで僕も頭をスッキリさせるためにヨガや断捨離、デジタルデトックス等と色々試してきました。
整理されたのは間違いないのですが、どれも一過性で継続する事が出来ません。
そんな中、継続的に続けられたのが『囲碁』でした。

詰め碁

囲碁については20年前の「ヒカルの碁ブーム」で名前だけは聞いた事あるという方は多いと思います。
特に20~30代の方は親御さんに連れられて囲碁教室に通ったことがある方も多いかもしれません。
僕もそのうちの1人で小学5年生の頃まで教室に通っていました。

ただ辞めて以来15年以上も離れていたのですが、たまたま機会があったので囲碁を打ったところ、とても引き込まれてしまったのです。

冷たい碁石の感覚。
空間に抜けていく打った石の音。
軽い談笑も交えながら流れていく穏やかな時間。

どう逃げても飲み込まれてしまう情報の津波から初めて抜け出す事が出来ました。
緊張する事もなく、かといって堕落する事もない適度な空間が囲碁処にはあります。

調べてみると囲碁にはこんな別名がありました。
1つが『爛柯 (囲碁の時間は木が朽ちるほど時間があっという間に流れるという中国の故事から。) 』
1つが『忘憂 (囲碁の時間は憂いを忘れられる事から。) 』
そして『手談 (打ち手でコミュニケーションを取れる事から。) 』

上手くなくても強くなくても良い。
程良い情報量とゆるやかな人間関係に包まれた空間に居られる。
だから僕は囲碁が好きなのです。

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