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イップス克服に向けて022:「イップス」と「自己肯定感」

こんばんは、今日、早速、リターンの時にボールを打たずに見るだけ
というのをやってみました。中心視野で見るというのも今まであまり意識し
てませんでした。
やってみると、ボールの回転が本当に見えました。
ですが、試合になると精度は下がったように思います。
総じてはいつもよりミスヒットや盆ミスが減ったように思います。
私の一番の課題は、フォアハンドのイップスです。10年ぐらい前に
市民戦のB級シングルスで準決勝まで勝ったので、翌年第一シードになった
時に発症しました。確か、ゴロとかフェンス直撃になって頭はパニック
それ以来、試合になると得意なはずのフォアハンドはスライスしか打てなく
なりました。色んな事を試しましたが、一定の条件、例えば緊張する初戦で
相手が緩いボールを送ってきてミスを誘発させようという選手だった場合だと今も発症
します。ですが、症状は軽くはなってはおります。
構えてから、間があるとなる傾向があって、テンポのあるショットの場合は
発症しません。実は色々調べたなかでインナーテニスという本があってそこ
にも『ボールの回転を見る』とありました。ですが、回転なんて全然見れないじゃない
かとあきらめていましたが、今回購入させていただいた通りに
やってみると何回か見えました。それと、最後に追加されていた試合の時に『構えたま
ま微動だにしない』というのもやってみました。これも集中力が上がったようでいつも
よりいいリターンが入りました。どうやって打ったか
よくわからないがいいところに入ったショットが全般的に多かったような気がします。
今日のような練習でもフォアハンドはゴロ打ったりするんですが
今日はそれもありませんでした。一緒に練習する仲間も私が緩いボール苦手なのを知っ
ているので時々そういうボールを送ってきます。今日はきれいに叩けました。明日は市
民戦ですが今日と同じようにやります。中学生の時からテニスやってるのですが、積年
の悩みであるイップスが完全に克服できるような気がします。購入してよかったです。
私は大阪在住ですが、吉田さんはオンコートレッスンはされるんですか。
後、サーブも私は肘が下がる事、スライス系統しか打てないという問題があります。つ
い長文になりました。ありがとうございました。

回答


▶完璧主義ほど、完璧から遠ざかる

 
イップスになる人って、悲しいかな、完璧主義なんですね。
 
それが完璧に機能しているうちは、まだいい。
 
第1シードにもなります。
 
周りからも評価されて嬉しくなります。
 
しかし、どうしても完璧にできないときが、やがて訪れます。
 
人前で、失敗をさらすのが嫌。
 
だけどテニスなんて「失敗するスポーツ」ですから、さらすのが嫌であればあるほど、プレッシャーが過大になって、むしろ「失敗」します。
 
完璧主義ほど、完璧から遠ざかる皮肉です。

 

▶他人の目を気にすると、心身ともにがんじがらめになる

 
周りに評価されて嬉しくなるのは、実は、とても不自由なのですね。
 
何しろ評価の基準が周りにあるのだから、自からに由(よ)っていない。
 
これって、いつも他人の目を気にしているから、とても不自由です。
 
精神的にがんじがらめになる。
 
いえ行動も、自分のやりたいことではなく、他人がどう思うかが基準になるから、身体的にもがんじがらめになる。
 
今パッと思いついた卑近な例でいえば、自分は暑く感じるのに、周りの人にどう思われるかが心配(基準)だから、エアコンの設定温度を、下げる申し入れができなかったりするのです。


▶「評価」とは対極にあるのが「自己肯定感」


ここまで書くとお気づきかもしれませんけれども、もちろん「自己肯定感」が関わっています。
 
自己肯定感というのは「評価」に依存しません。
 
ありのままの自他に対する受け入れです。
 
「※※ができるから、優れている」
 
「※※がダメだから、劣っている」
 
このような「評価」とは、対極にあるのが「自己肯定感」です。
 
つまり良くも悪くも自他に評価を下すほど、自己肯定感は下がるのです(良い悪いと判断している時点で、すでに「評価」なのですけれども)。
 
 

▶「成功した出来事」で、自他を認めさせたい罠


先述した「失敗をさらすのが嫌」というこだわりも、「自己肯定感を読み解く感じ方」と、言えるかもしれません。
 
なぜか?
 
自分で自分を肯定できないから、せめて「成功した出来事」で、自他を認めさせたい
 
これが「成功した自分はスゴイ!」という「評価」なのであり、それはありのままの自他を受け入れる「自己肯定感」とは、対極なのでしたね。
 
完璧主義者の自己肯定感が著しく低いのは、こちらの理由によります。

 

▶「知らんけど」でいい(笑)


「どうやって打ったかよく分からないけど、いいところに入った」というのがいちばんです。
 
ボールに集中していると、打ち方なんて分かりません
 
だけど、ちゃんと打ててしまいます。
 
完璧主義の人は、いいショットを完璧に再現したくて、どうやって打ったか分かろうとしたくなる衝動に駆られます。
 
「どうやって打ったか分からんけど、まぁ上手くいったから良かったわ、チャン・チャン」で終わりでいいんです。
 
今風に言うと「知らんけど」でしょうか(笑)。
 
良くも悪くも、過去を引きずらないのですね。
 
なぜそれができるかというと、「良い、悪い」の「評価」にとらわれないからです。
 
そして「今」にとどまるのです。


▶自己肯定感を高める「直接的な力」

とはいえ、「評価」のすべてが、必ずしも悪いわけではありません。
 
「あの人は陰口を言う人だ」などと「評価」することで、人との距離の取り方を適切にコントロールできる場合があります。
 
だけどその「評価」は、主観的で一時的で、状況にもよる。
 
「評価」のすべてが必ずしも悪いわけではないけれど、決めつけないでいると、それもまた自己肯定感を高める「直接的な力」になり得ます。
 

▶求められないアドバイスは「暴力」

 
私もオンコートでレッスンしますが、一方的に教える立場ではありません。
 
どちらかというと一緒に遊ぶ「仲間のひとり」といった感じです。
 
指導しているといよりも、必要に応じて客観的な事実を伝えるだけ。
 
「アドバイス」というのは、相手から求められない限り、一方的に「よかれ」と思ってやったとしても、支配的、暴力的にすらなります。
 
また「人は対等」なのに、「上下関係」を意識させてしまいかねません。
 
それが「ありのまま」の自己肯定感を損なう温床ともなるでしょう。
 
教える側が「上」、教わる側が「下」などと「評価」する。
 
資本主義社会では、金持ちが「上」、貧乏は「下」などと「評価」するのも、似たような錯覚ではないでしょうか。
 
 

▶カバの母さん賢い母さん、教えずに泳がせる


 これは、子育て中に学んだ教訓なのですけれども、子どもと一緒にプールに行くからといって、泳ぎ方を教えようとしてもダメ。
 
一緒に水の中でふざけ合っているのが、いちばん水泳が上達します(笑)
 
ですから、周りから見ていると指導しているとは、気づかない人もいるでしょう。
 
新インナーゲーム』(P126)でいう、「カバの母さん賢い母さん、教えずに泳がせる-----本能の引き出し方-----」ですね。

ビル・ゲイツがビル・ゲイツが「人生で読んだ最高の5冊」のうちの1冊

サーブも同じです。
 
上手く打てるときは、「ヒジが下がる」など分かりません。
 
「ヒジが下がる」と分かるとき、トスしたボールの「ケバ」や「印字」は、見えないはずです。

即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
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