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働くのはムリ。諦めていた私が、在宅で再就職した時の話

「育休から復帰しました。忙しい毎日です」

年賀状の束を順に見ていた私の視線が止まった。元同僚からのその年賀状を、瞬時に束の一番後ろに移した。視界から消しても、ざわついた気持ちは消えない。

忙しくも充実した世界にいる彼女たち。仕事の達成感や評価があり、自由に使える自分の収入や時間があり、将来の仕事やお金もある程度安心。

やむなく退職した悔しさと、家事育児しかしていない自分との違い、専業主婦歴を毎年更新した先の未来への不安。ワーママを思い浮かべると、複雑な感情がセットでやってくることがあった。

「今はムリ」気付けば8年

「驚かないで聞いて。転勤辞令が出た」

驚かないわけがない。夫からそう言われたのは、出産予定日の2週間前だったのだ。わが家の将来計画は一気に崩れ、産後数ヶ月で帯同した。

育休復帰を諦めて退職した私が次に目指したのは、転勤でリセットされない働き方だった。長男が1歳半を過ぎた頃には、Webライターやブログを開始。でも稼ぎはわずか。

長男が入園し、働く時間を増やそうとした矢先、また転勤。転勤前から始めた2人目の不妊治療、めでたく妊娠出産、長男の療育通い、就学後は支援級のため毎日送迎、次男は自宅保育......。「今働くのはムリ」と思ううちに専業主婦歴は8年になっていた。

***

その8年の間に、働くハードルは静かに上がっていた。

仕事と家事育児の両立のような「ワーママの基本的お悩み」の他に、「働ける自信がない」という心理的な問題が積まれていたのだ。

「今の私でも社会で通用するのかな」
「面接からして、もうできる気がしない」

ブランクは、初速や採用率を実際下げるのかもしれないが、それ以上に自分の能力を卑下しがちになっていた。

突然スイッチが入る

そんな私が、2021年秋、突如求職活動を始めた。きっかけは1つの求人情報だった。

「これなら働けるかも!」

フルタイムではない事務職パート、自転車で行ける近さが決め手で、自分のための求人だと感じた。

その年、長男は2年生になり送迎が不要にっていた。次男は、週3回14時まであるプレ幼稚園。

長男が行き渋って遅刻の時は付添登校が必須だが、秋にはだいぶ落ち着き、付添不要な日がほとんどになっていた。長期休暇明けや進級後はいつも不安定になるから、その前の秋はベストな時期かも。

「この求人は逃しちゃいけない!」

数トンあったんじゃないかという重い腰を上げて、電話をし、履歴書を買いに行った。

次男の預かり時間内で調整できず、次男を同伴しての面接。自転車10分ほどで着いた。建物2階の乱雑な事務所で、傍らで次男を遊ばせながら話をした。

会社代表であり面接官の男性は、同じ子育て世代。次男にも優しく、幼児子育て中の私の状況にも理解を示してくれた。具体的な話もされ、感触は良いように感じた。

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すっかり働けるつもりになった私は、「保育園に転園できればもう少し働く時間を増やせます」と話した言葉を実行しようと、近隣の保育園を調べあげた。申請〆切前日に見学し気に入った園で1枠募集すると聞き、滑り込みで申請書を提出。

通わせていたプレ幼稚園の保育時間では、働ける時間がギリギリ。この機会に認可保育園で週5保育が可能になれば、就学まで働く時間をキープできる。働ける未来が急に近付いてきた気がした。

数日後、待ち望んだ結果の連絡。声に色があるとしたら、オレンジの声で受けた電話をグレーな声で切った。

「すぐそこに住んでいて、いつでも仕事に入れますという方がいまして」申し訳なさそうに言われた。募集は1名、そりゃそちらを選ぶよね。

「見学にいらしたのはあなただけなので、通ると思いますよ」と言われていた保育園も、休職中の私よりランクが高い人に枠を奪われた。

ムリの隙間

落ち込みはしたが、働くモードに一度意識が変わっていた私はしぶとかった。不思議と次を探そうと思えた。

でも自転車の近さの求人なんて、もうない。働ける条件や預け先の選択肢を、細かく再確認してみた。プレや一時保育は保育時間が短いので、通勤時間は片道30分程度が限度。そしてその範囲内の求人はほぼ無い。

「やっぱりムリよねー」

とも思ったが、在宅の求人情報が少なくないことに驚いた。偶然、検討範囲外にしていた地域に穴場の一時保育施設も発見。プレの無い曜日に定期利用できそうだった。ムリの隙間に、大丈夫な道を見つけられた気がした。

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専業主婦の間、実はできることだけは続けていた。保育園児のパパママ向けサイト「ぎゅってWeb」の公式ライター/ブロガーに採用され、細々と書き続けていたのだ。

役立つ内容を届けようと日常にアンテナを張り、試行錯誤して書いた記事はランキング上位になることもあった。反応があると嬉しく、書くこと自体楽しかった。5年書き続けた間に、3歳だった長男は8歳に、お腹にすらいなかった次男は3歳になった。

ついに

選考が進み採用も出始め、いよいよ決めようという頃にはもう冬になっていた。最終結果待ちや採用をいただいた中で私が決めたのは、Webライティングの仕事だった。

続けてきたことの延長なので、働くイメージがもてて、やりたい気持ちも1番沸いたから。Web記事を書いてきた経験も採用に関係したかもしれない。続けてきたことが実を結んだ気がした。

仕事を始めると、久しく味わっていなかった感覚と再会した。完成させる達成感、得意を発揮できて評価や反応がある嬉しさ。学びや成長の機会や、もちろん収入があり、自分の価値を感じられるようになった。

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でも、順調なことばかりではなかった。

「ほら!早く行くよ」
(オンライン取材の時間までに連れて行かなきゃ...!)

その後も時々起こる長男の登校渋り。焦って穏やかに対応できず、後から自己嫌悪することも。ただ、際限なく対応できないことは、逆に良い面もあった。

「じゃぁ先に弟を園に送るね。戻ったら行こう」

いったん離れることで、冷静になれる。長男はその間に気持ちを切り替え、私が戻ったら行けることが何度もあった。難しければ休む。休むとある程度のフォローは必要になるけれど、仕事があるので、ずっと相手できないことを長男も理解してくれる。

頭と気持ちが仕事に切り替わり、気に病み続けずにすむ。母以外の役割は、コントロールでき着実にこなせる。気持ちが安定した私は、日中離れていた子ども達が帰宅する時、とても愛しく感じるようになった。

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「ただいまー!」
「おかえり~」

ギュ~の体制で迎える私を、もう小4の長男は嫌がって逃げる。その様子でいつもメンタルチェック。朝渋っていても、帰りはたいてい笑顔。たまに元気がないと、それに気付いて話せる。

今、長男の登校は基本的にスムーズで、メンタルも安定している。「いってらっしゃい」と「おかえり」両方のフォローと、穏やかになった親子関係が、少なからず影響していると思う。

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こんな働き方は、育休復帰していたらきっとできていない。仕事と同時期に学びも再開し、電子書籍も出版できた。電子書籍執筆代行で幅広い表現ができるように、今はプロの脚本家からストーリーを学んでいる。将来の不安は、期待に変わった。

外れてしまった一般的なワーママの道を羨んでいた私は今、オリジナルな道の行く先にワクワクしている。

(出版した電子書籍は、Kindle Unlimitedで無料です)

#かなえたい夢 #育児 #エッセイ #ライター #スキしてみて #キャリア


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