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へんてこ長女~地獄の中学時代その1~

今高2の長女と
中学時代までの長女は
まるで別人です。


おしゃべり
嘘をつかない
学校に真面目に行く
先生と仲良し
友達のお母さんになついて可愛がってもらう
積極的に学校行事に参加する
友達たくさん
自立に向けて意識をしている
歪んだ依存心がない


無口
嘘つき
学校はサボる、ずる休み
先生に反抗する
友達は悪友がほとんど
まわりのお母さんから嫌われる

これほどまでに変わった長女ですが、
長女が変わった理由を明確に言語化することは
難しいです。
おそらく、育児の専門家にも分からないのではないかなと思います。
だって私が非常識なことをたくさんしてきたから。
そのために私は育児について
まわりから、今でも時々あれこれ言われます。
今でこそそんな外野の言うことは気にならないし、
我が家に限っては一般論が当てはまらないことを
自信をもって説明できますが、
長女が荒れていた頃までは本当に色々と悩みました。

中学生になった長女は、小学校高学年から続けていた陸上部に入りました。
小学校の頃は小6対象の大文字駅伝に出場する目的の
陸上部でした。
長女は長距離は苦手でしたが、先生や仲間にも恵まれ、
朝練や放課後、長期休みなども真面目に頑張っていました。

長女が高学年になった頃から、私が家でやる
バランスボールやピラティスなどの体幹トレーニングみたいなことを
遊びながら家でよく、幼児期の二男も一緒にやっていました。
これはとてもいい家族のふれあいだったと思います。
この頃には運動嫌いになっていた長男は、
部屋にこもりっきりでしたが。

今でも姉弟でプランクの耐久競争や
ブレイクダンスの技の一つチェアーや
倒立なども楽しんで練習する日もあります。

これは私自身がダイエットをきっかけに、運動に目覚め、
毎日宅トレをしていたからだと思います。

中学の陸上部で長女は100m走を選びました。
そこで、生まれてはじめて長女に様々な友達ができたようです。
長女に大会に出れるほどの実力はなかったらしく、
休日には選手の応援のために朝早くから夜まで陸上競技場に行くことが増えました。
その場所が近くだったり、半日だけだったら問題ありませんでしたが、
毎回それなりに遠くに行っていました。
なので、交通費、お弁当、お茶はもちろん、
それ以外にもスポーツドリンクやウイダーinゼリー、栄養補助食など
その度持たせないといけないことに
私は不条理を感じていました。
だって、それらはただではないのです。
本人が大会に出場するならまだしも、本人は出ないのです。
そんなことに時間やお金をかけるぐらいなら、走って練習するほうがよっぽどいいんじゃないか?
私はそう思っていました。
私自身、中高と吹奏楽部で運動部のことはよく知りませんが、
それにしたって経費がかかりすぎです。
長女はみんな毎回応援に行ってるというので、中学校に行ったとき、陸上部の顧問の先生に聞いてみました。
そしたら応援は任意だし、毎回全員行っているわけではないと言われました。
それで、長女にはせめて三回に一回とか、頻度を考えるように言いました。
こんなことはもしかしたら、今の時代非常識なのかもしれません。
送迎なども我が家は皆無。
でも我が家の子供達は、何でもかんでも私にあれしてこれしてとは言わないし、
自分でできることも年々どんどん増えていってます。
長女に至っては、毎日のように学校まで送迎する友達親子にたいして、
あまりいい印象も持っていません。
小学校時代は、過保護な友達にたいして
羨ましがったりもしていましたが、
今では過保護なのは子供のためにならない、たまに過保護ぐらいがちょうどいいという考えです。

長女が中2になってすぐのころ、休日の朝起きてきてすぐ、
「今日陸上の応援に行く」
と言いました。
私は何でもっとはやく言わないのかといいながらも、
慌てて応援に必要なものの用意をし始めました。
しかし、いつもは穏やかで優しい夫が一言。
「急に言ったって無理、あかん。今日はやめとけ。」
なんだかんだあって結局、その日長女は大会応援に行きませんでした。
そしてそれ以来、長女は陸上部に行かなくなりました。

それからちょっとしてからかな?
長女は、学校でも荒れはじめました。
夫の一言が陸上をやめたきっかけになったことは間違いないかもしれないけど、
長女にとってはわがままや自分勝手なことは通用しないことを
体感するいいきっかけになったのではないかなと
今では思います。
いざというとき我が家では、夫の一言が一番重んじられます。
根拠はないけど、夫にたいして私が絶対的な信頼があるからだと思います。
こういう夫の対応は、多分大半の他の家では夫婦喧嘩になったりするんだろうなぁ…とは思いますが、
我が家は我が家スタイルです。

中2になる春、長女は二男とともに体操をはじめました。
体幹がある程度あった長女は、数ヶ月後アクロバットクラスに進級し、
今も体操は継続中です。

長女が中1の秋、引っ越しをしました。
学区は変わらずでしたが、夫が単身赴任中でした。
荷造りなどほとんど私一人ですすめました。

10年来のママ友の旦那さんに、
中古一戸建のリフォームをお願いしましたが、
それはもう腕のない、ひどい大工だったということが分かりました。
見積もりはないのが普通、業者に渡すお金を施主に前金としていれさせようとする、毎回忘れ物をする、段取りが組めず、引っ越し日を変更させられる、業者全て素人の日曜大工レベルの仕事、手をできるだけ抜こうとする、安かろう悪かろう、余計変になったら困るからとお風呂の水道を変えてくれない、洗面所の配管にキッチンの配管を使っていてそこから水漏れしていたことが後で分かる等、
本当に数えきれないほど悪質でした。
昔からある地域の零細工務店の二代目、地域ては大工仕事はそこしか頼むところがなかったから
殿様仕事で通ってたんだなと思います。

夫は単身赴任中、義父母や何人か信頼できる友達に相談するも、
そこで私は自分が他人に依存して生きてきたことを
思い知ることになりました。
リフォームトラブル中も、相変わらず続いていた長女の盗み癖にたいして、
義父母は私の教育が悪いと言いはなちました。
その言葉を聞いたとき、私は義父母にたいして、踏ん切りがつきました。
今までお世話になっていたからとか、
おじいちゃんおばあちゃんは子供達にとって安全基地みたいなものだし、
少々の甘やかしには目をつぶろうと思っていた気持ち、
全てその一言で全て消えました。
義父母に気を配ったり、遠慮などする必要等、全くないと。

信頼していた友達には、私の甘さや交渉力の低さを指摘されました。
そして、私がその友達たちにとって、お互いに成長しあえる、いい影響を与え合えるから友達でいるんだと
言われ、それまではその通りだと思っていました。
しかしリフォームトラブル中、私の悪いところを指摘されたあとそんなことを言うものだから、
直感であぁ、これは私自身の存在をまるごと受け入れてくれているわけではないのだと感じました。
私がその時求めていたのは、リフォームトラブルを解決してくれる方法を教えてくれる人でした。
でも友達たちは、一般論を言うだけで、
私という人格を肯定した上での現実的な解決方法を教えてくれませんでした。
今考えたら、友達の対応はごく当たり前なんですが…

たいして、夫は諦めようと一言、それだけ言いました。
私を責める言葉は一言もありませんでした。
夫の単身赴任中、私がどうしても引っ越したいというわがままを聞き入れてくれて、
工務店も私が指定し、好きなようにリフォームさせてくれました。
しかし、その結果できあがったのは欠陥住宅。
お金は夫が払ってくれています。
それなのに、夫は
「俺も単身赴任中で任せっきりやったから責めることはできひん」
と言いました。
その時私は、夫はなんて心の広い人なのだと思いました。

そして夫と義父母、友達の違いをあらためて
はっきり意識することができました。
そしてこの夫の心が広い遺伝子は、そのまんま長女に受け継がれました。
リフォームトラブルについては夫にも感謝していますが、
その間子供達の問題についての相談は、
二男の保育園にしていて、
保育園も私の心の支えになりました。
またその話はおいおいしていきます。

長くなったので、また続きは次回に綴ります。
















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