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そもそも、なぜ数学や科学があるのか?

過去記事のハイライトです。
泥酔して酩酊状態となって閃いた文章。
この記事の最後に元記事を掲載しています。
スーパーそもそも論。
数学は我々にとっての任意の方法でしかありません。
真理には到達できません。残念でした。
それを逆説的に証明することが出来ただけでもよかったですね。


そもそも、なぜ、数学や科学があるのか?

思想家・ボードリャールは「死」という概念が為政者によって操作されていると主張しました。社会システムのトリックで、「死」が怖いと思わされて、平均寿命まで生きないと損してるように思わされているのです。数学や科学が進歩した世界では、早死にすることは社会不適合者のようなマイナスイメージを与えます。石油メジャーがビッグファーマを支配する世界では、とにかく薬漬けで家畜から牛乳を搾り取り、卵を産ませておきながら、その家畜たちには平均寿命まで生きることだけが満足した人生だったと思い込ませるのです。
これは完全に洗脳でしかありませんが、コンクリートジャングルのエコノミックアニマルである日本人は、「24時間働けますか?(働け)」と社会から扇動されて、自ら家畜となって自分の乳を絞りまくることにだけに専念するのです。それで、私はあの大企業で定年まで頑張ってきて素晴らしい人生だったとか、国家官僚になって国家のために尽くしてきて良い人生だったなどと言う人だらけなのです。「死」の操作によって、主観が操作され、とにかく平均寿命まで、卵を産み続けさせられるニワトリ、乳を搾り取られる牛になってるのですが、それを素晴らしい人生だったと思っている人が殆どなのです。(より詳しい説明は前の記事でしています)

『象徴交換と死』(1976)では、マルクス主義の終焉(しゅうえん)を主張、「労働が終わり、生産が終わり、経済が終わる」とした。モースの「ポトラッチ」研究などにみられる贈与交換社会(贈与を受け、返礼することによってそのシステムを保つ社会)の概念から、社会と人間の「象徴的な贈与関係」を考察し、人間の「死」は、働き、子をつくる社会システムのなかで、「延ばされた死の贈与」を受け取ること、とした。

小学館 日本大百科全書「ボードリャール」の項目より一部抜粋


数学や科学は人間の現象世界で必然として生まれました。それは、人間が、意識として、記号として、数値として、世界を認識をしてしまうように脳が進化(劣化)してきたからです。そして、数学と科学を手に入れた巨大資本によって、結局、私たちは完全に家畜にされています。それが、数学と科学の本質的な意味です。これがルサンチマンの思想を言い換えたものになります。

この記事は下のリンクの記事から一部を抜粋したものです。興味がある方はリンク先の記事を読んでみてください。


以上です。

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2022.11.27 変な日本語を少し修正