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「メディアが報じない日本酒の真実」を描いた漫画「夏子の酒」がどこにも売ってない件

久しぶりに「夏子の酒」を読みたいなと思って探したのですが、結局ネットにしかありませんでした。わりと有名な作品でドラマにもなったんですよ。
個人的には滅茶苦茶お勧めの作品です。え?知らない?すぐに買って読んでください。

サンマの生態に関する記事を書いていて、「夏子の酒」を思い出しました。漁業の問題をテーマにしたなら、農業の問題もテーマにしなければバランスが取れない。ということで、農業の実態をわかりやすく描いた作品といえば「夏子の酒」。

「食品添加物」が世にまん延する切っ掛けを作った日本酒業界。ゲノム編集マダイの問題を真面目に追いかけると最後に行き着くのが日本酒業界。食品業界を堕落させた悪の権化としての日本酒業界。いまだにヤコマンやってる恐ろしい嘘つき利権団体でもある日本酒業界。日本酒といいながら消毒液で薄めまくったアルコールを日本酒として売ってる業界。

こんな業界が都合の良い時だけ「松尾様」(酒造りの神)を崇めてまともな酒作りを始めるのが冬です。サンマとよく似ています。無茶苦茶してたら業界崩壊直前。でも、この業界にはまともな人がいて、最近は輸出で盛り返しているようです。私、日本酒は飲まないのですが、調味料としての日本酒は素晴らしいと思います。(海外でもそういう評価があるそうです。)

私、日本酒も、海苔も、日本が生んだミラクル調味料だと思います。海苔もミラクル調味料ですよね?スープに入れるとミラクルが起きるのですが、、、そういうことって皆さん知っているのでしょうか?私は男なのでそんなに手の込んだ料理は作りませんが、スープに海苔をちょっと入れるだけでミラクルが起きてしまいます。

醤油も味噌もそうですよね。醤油や味噌はもともと調味料ですが、日本酒や海苔の他、梅干し、ショウガ、ワサビなど、ジャパニーズハーブも素晴らしいミラクル調味料だと思います。パスタにちょっと日本酒を入れる。ちょっとショウガを入れる。ちょっとワサビを入れる。そうするとミラクルが起きてしまいます。そう考えると、いつもしている話ですが、「科学」って何なんでしょうね。科学なんてなくても、世界はミラクルだらけなのに。

「食べる」という行為。現代に生きる私たちはこれを当たり前のこととして素通りしてしまいがちですが、だれもが日常的に身近に感じることができるミラクルって、実は「味」ではないでしょうか?科学と環境との関係がトレードオフになってしまっている今日、科学を追い求めることによって、私たちは結局のところ自らこの「味」を奪い続けているわけですが、それでいいのでしょうか。科学というのはあくまでも手段なわけですが、私たち、これによって結局何を手に入れようとしているのでしょう。そろそろ立ち止まって考えるべきではないでしょうか。

私、思うんです。「醸造」とか「発酵」とか、こういうのはやっぱり素晴らしいなって。自然の循環を応用した技術だからです。私、ゲノム編集とか遺伝子組み換えとか、この手の技術が大嫌いで思いっきり批判しています。遺伝子工学みたいなクズ学問を勉強するより醸造学を勉強しろよ、と思います。世間の流行は、ほとんどが意図的に作り出されたものです。遺伝子工学やってるような連中は、結局私たちにゲノム編集マダイを食わせるクズ中のクズ人間です。そういう操作されやすいクズを貨幣錯覚を用いて操り、金の力で方向付けしている連中には腹が立ちます。ノーベル賞もそうですよね。

嗚呼、そういうことを分かっている人ってどれくらいいるのでしょう。皆さん、もっと自分の中にある直感を信じていいと思います。「違和感」という感覚は、東洋人にとってはとても重要な感覚です。カントは「純粋理性批判」の中で実はそんなことを言ってます。私たちにとって本当に大切なものって、身近にある自然ではないでしょうか。身近なハーブであったり、自然を応用した醸造技術であったり、ほんのちょっと気を付けて周囲を見渡すだけで、私たちの身近にはミラクルがたくさん。皆さん、自然の循環の中でささやかな幸せを感じながら生きることを忘れてしまった現代社会にもっと疑問をもちませんか?

ゲノム編集技術が金になるとか、あれが金になるとか、これが金になるとか、そういうのは貨幣錯覚です。いつも言っています。ノーベル賞を取るような学者は最初からクズ学者か、または、資本主義がまともな学者を取り込もうとして賞を与えるか、そのどちらかです。だから受け取らない人もいます。フランスの哲学者だったサルトルは、資本主義に取り込まれるのが嫌でノーベル賞を辞退しました。ハッキリとそう言ってるんですよ。

「夏子の酒」、ネットでしか手に入りませんでした。
頑張って探せばどこかにあったのかもしれませんが。

ミルトンは「失楽園」で有名ですが、「アレオパジティカ」(言論・出版の自由)でも有名です。これは、イギリスで起きた清教徒革命を擁護した作品です。

「言論や出版の自由」を許すことは、既得権の転覆に繋がります。だから為政者はなんとかしてこれを検閲して封殺しようと企てます。世界史を勉強してない方は知らないかもしれませんが、イギリスにも共和制の時代があったんですよ。でも、このあたりの騒動が切っ掛けで、結局、資本主義が世界に広まってしまうことになりました。封建時代を克服するはずだったのに、次ににやってきたのは、私たちからミラクルを奪う恐ろしい科学主義の時代だったというわけです。結局、神様/教会による支配から、資本/科学による支配に代わっただけでした。

とは言え、私は、資本主義を克服する手掛かりも、やはり「言論や出版の自由」にあると思っています。でもここ数年、ネット上の情報も含め、この自由がやんわり巧妙に統制されつつあるように感じます。私、それがすごく怖いんです。そのことに誰も気が付いてないように感じていて。それで、私、どうしていいか考え込んでしまうことが増えました。本来なら当然のように身近にあったはずのミラクルが何だったのか、私たちはそれについて忘れ始めているし、同時に、そのミラクルをどうすれば繋ぎ止めることが出来るのかも、私たちは忘れつつある。味も、、自由も、、。

私、皆が個人的な自由を求め過ぎることで、本来もっと身近にあったはずのミラクルを忘れ始めているような気がします。自然だとか、味だとか、私が言っているのは本当の自由のことです。資本主義がゴリ押ししてくる自由じゃなくて、本来あたりまえのように享受できたはずの自由のことです。私、今、当たり前の自由がものすごいスピードで奪われている気がしています。

「夏子の酒」、やんわり言論統制してませんか?
私の気のせいならそれでいいのですが。既得権にとっては戒めなんですよね、言論や出版の自由を許すと体制を転覆させられるってことが。

ネットには情報があふれています。
でも、情報があふれているからこそ、問題意識を持った人しか重要な情報にたどり着くことができません。私、現代社会というのは人工的に作られた巨大なダム湖のようなものだと思います。多くの人はこの巨大な湖を泳ぎ切ることが出来ず、神の見えざる手によって湖底に引きずり込まれるように沈んでいく。でも一方で、必死に泳ぎ切ろうとする人もいる。

皆さんは、どちらですか?

問題意識を持っている人にとっては当たり前の情報であっても、そうでない人にとってはとても遠い所にある情報だったりします。問題意識を持った人は湖の対岸に甘酸っぱい果実がたわわに実っていることを知っているけど、足元の濁った水ばかりに気を取られている人はそのことに気が付けない。今は問題意識を持った人ならネット検索でほんの数秒で重要な情報を手に入れることができる時代。でもこれは裏を返せば、多くの人が永遠に重要な情報を手に入れることができない時代でもある。では、その問題意識とは、、、いったいどこからくるのでしょう?

皆さん、私、皆さんにもっと感じてほしい。
言葉にとらわれ過ぎるから、見えなくなるんだと思います。
それで色んなところで格差が生まれてしまうのではないでしょうか。
たとえば情報格差。こういうの、学的にはなんて言うんでしたっけ?忘れました。
私、お酒にやられて認知機能が急低下しております。
しかし!忘れるという機能は、実は生物に備わった根源的で重要な機能でもあるのです!という話はまた機会があればします。

「夏子の酒」は、資本主義が強いてくる商業的な価値観に立ち向かう純粋な女性の物語です。うぅ、思い出しただけで泣けてきます。それほどに感動的な内容なのです。いつもながら作品の中身には立ち入りません。読んでほしいのです。私、ネタバレされることが凄く嫌なので、ネタバレしたくないのです。

日本の農業の真実と、それから、日本の食卓に添加物をまき散らす切っ掛けとなった日本酒業界の真実を知ってほしいです。昔の醸造メーカーというのは地方の殿様で強い政治力がありました。明治期に瓦解した古いタイプの既得権ですが、今もそれなりの権力を保持しています。

かつては「桶買い」といって、大手酒造メーカーが地方の酒蔵を支配するシステムがありました。大手酒造メーカーが地方の酒蔵の酒を買ってきてブレンドして売るんです。大手メーカーの工場には無数のタンクが並んでいて、ホースを都度繋ぎ替えて地方から桶買いしてきた酒を混合しまくってます。それに醸造アルコールを添加するんです。で、最後に違法なヤコマン(香り付け)です。ハッキリ言ってろくでもないです。人間のクズです。でも、昨今は、地方で真面目に酒造りをしているメーカーが注目されるようになってきたそうです。とても良いことだと思います。お金に余裕のある方は地方で頑張っている酒蔵のお酒を買ってくださいね。

おわり


追記(2024.2.1)
酔っぱらって書いた文章を少し修正しました。文中の学的にどうこうって言ってるところは、情報の非対称性を言いたかったんだろうと思います。それで今、作為的な情報の非対称性が生まれつつある、巧妙なマーケティングによって、みたいなことを言いたかったんだと思います。多分。
この記事を書いた後に放射能汚染水の放出が始まってしまい、残念です。
この記事を読んだ人、しっかり文句を言い続けましょうね。