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「在宅で長く過ごす」ためのサポート①

「在宅でできるだけ長く生活する」ことが目標

 在宅医療が軌道にのってくると、要介護の本人も見守るご家族も、気持ちにゆとりが出てきます。
 住み慣れた自宅で、自分のペースで生活ができることには何ものにも代えがたい価値があります。「家に帰ってきてよかった」「やっぱり家がいちばんいい」と皆さんが実感されると思います。

 けれどもその一方で、在宅療養をしている時間のすべてが“穏やかな時間”というわけではないのも事実です。
 高齢世代は、時間の経過とともに、少しずつ心身の衰えが進んでいきます。足腰が弱って歩行が不安定になる、食事がなかなか進まなくなる、排泄で衣服を汚すことが増えるなど、少しずつ気掛かりな様子が出てきます。いつの間にか認知症の症状が進んでいて、徘徊などの困った言動が出てくることもあります。
 そして本人の衰えが進むほど、介護をするご家族の精神的・身体的な負担も増えていきます。そこで無理を続ければ、ご家族のほうが心身の健康を害してしまい、結果的に在宅療養を続けられなくなる例もあります。

 私たち在宅医療チームは、いわば“要介護の人と家族の生活を支えるプロフェッショナル”です。
 要介護の人の状態が変わってきたときには、本人やご家族の意向を尊重しながら、一つひとつ対応を考えていきます。

 例えば高齢者の足腰が弱ってきたら、リハビリテーションを増やすこともできますし、筋肉の減少を防ぐために食事内容の見直しを提案することもあります。
 在宅医療チームは患者さんの生活のなかに入り、継続的に関わっていきますから、小さな変化にも早く気づいて早期に手を打つことで、症状の悪化や進行を防げることも少なくありません。
 介護者の負担については、そのときの状態に応じた介護法を具体的にアドバイスしたり、介護保険サービスを見直したりすることで、負担を軽減できるケースが多々あります。
 そのように要介護の人とご家族が在宅でできるだけ長く生活をしていけるように支援をするのが、私たちの役割です。

 また在宅医療クリニックは、地域の病院とも連携しています。介護を受ける人の状態が安定しているときには家で過ごしていて、病状が悪化したなど何かあったときは入院治療を受ける、という利用の仕方も可能です。
 ただし、体力が落ちて誤嚥性肺炎で何度も入院をしているような方では、いつまでも入退院を続けることが正解とは限りません。もし入院したまま家に戻れなくなれば、「家で過ごしたい」という本人の希望に背くことにもなるからです。
 そういう場合は、肺炎の症状があってもあえて入院ではなく、在宅で治療をする“在宅入院”の提案をすることもあります。


 I さん夫婦はともに80 代のご夫婦で、夫婦2 人だけで生活をしています。5 年ほど前からI さんには認知症の症状が出てきており、地域のケアマネジャーからの紹介で、当クリニックが支援に入ることになりました。
 在宅医療を始めた当初は、I さんもある程度は会話ができましたし、妻もI さんの面倒をよくみていて、健康面でも生活面でも大きな問題は少ない状況でした。
 I さんは、デイサービスのような施設介護はあまり好きではないということで、自宅で過ごせるように定期訪問診療や訪問介護での支援を始めました。

 しかし、在宅医療を始めて1 年が過ぎた頃から、Iさんは認知症の症状が進んで表情が乏しくなり、日中は家でぼんやり過ごすことが増え、筋力低下も進んで、日常動作でもふらつきや歩行の不安定さが目につくようになってきました。さらに、1 人で外へ出てしまい、警察に保護される、夜間に家の中を歩き回り、家具にぶつかり頭を怪我するなど、トラブルが急増。私たちが訪問するたびに、妻は夫の困った状況や老々介護のしんどさを嘆いています。
 医療従事者から見て、このままでは転倒して骨折をするなど、Iさんの命に関わることもありますし妻の負担という点でも、「在宅での生活はそろそろ限界」と判断し、妻にショートステイや施設入所など、施設での専門職によるケアに切り替えたほうがいいのでは、と提案をしました。
 しかし、Iさんの妻はそこまでの切迫感は抱いていないようで、「本人が他人の世話を受けるのを嫌がるかもしれない。自分ができる限りは、ギリギリまで家で面倒をみたい」というお話です。私たちは、症状が進んでもやはり2 人で自宅にいたいというI さんご夫婦のために、ケアマネジャーと相談し、自宅でできる転倒防止策を勧めることにしました。
 まず介護保険サービスの住宅改修で室内の危険な段差をなくすとともに、玄関やトイレなどに手すりを設置。I さんが自分で歩きたい気持ちがあるうちは、なるべく手すりを使って安全に歩いてもらうようにとお願いしました。
 同時に、平日は訪問介護のヘルパーが毎日入るようにし、I さんが自宅で1 人になる時間がないよう、妻が買い物や通院に出るときはヘルパーがいる時間に合わせるようにしました。


【解説!】

先々を予測して準備しながら、本人・家族に寄り添う

 在宅療養を始めてしばらく経つと、I さんのように徐々に要介護度が高くなってきます。
 本人の状態が変われば、必要な支援も自ずと変わってきますから、その時々で支援の内容や介護の計画も変更していきます。

 一般に医療・介護の専門職は、たくさんの方々の治療・療養の過程をみていますから、その人が今の状態からこの先どういう経過をたどるか、ある程度は予測が立つことも多いものです。
 I さんのように足腰が弱ってふらつきがある人であれば、やはり転倒の危険が高いのは事実です。転倒して打ちどころが悪ければ、最悪は命に関わるケースもあり得ます。
 転倒事故を回避する目的で、まだ歩ける人であっても、早めに車椅子に変更するという方針の医師もいます。特に病院や高齢者施設では、そうした事故対策が優先されがちです。

 しかし、私たち在宅医療チームは“在宅での生活を支えるプロ”です。「いずれ転倒しそう、危なっかしい」と思っても、本人にまだ歩きたい意欲があるうちは、できるだけその意思を尊重するようにしています。
 事故を防ぐ目的で、車椅子やベッドから動けないようにしてしまえば、確かに事故は減るかもしれませんが、同時に要介護の人の自由な生活も奪われてしまいます。

 また介護をしているご家族の気持ちについても、同じことがいえます。I さんの妻のように、要介護度が上がり、明らかに施設介護が必要な段階であっても、家族としてはその変化を受け入れられず、気持ちの整理がつかないケースというのはよくあります。
 もちろん、専門的な知見からその時期に合ったアドバイスや提案はするのですが、それを家族が受け入れられないときは、私たちが考える“正解”を押しつけないように注意しています。
 このとき、私たちにできることは、先々に起こり得るリスクを予測し、いざというときにすぐに対応できるよう準備・対策をしておくことです。そして、家族が変化を受け入れられるようになるときを待ちます。

 この「待つ」という姿勢も、本人・ご家族に寄り添う支援をするためには、非常に重要な要素です。
 I さんの妻も最終的に施設での介護を受け入れられたように、本人の状態の変化とともに、ご家族の気持ちも少しずつ変わっていくものです。在宅医療チームも一緒に悩み、その人その家族にとって納得のいく着地点を一緒に考えていくことが大切です。


介護スタッフの意見は家族と同等の重み

 在宅医療では、家族だけでなく、在宅医療チームのメンバーも訪問看護師、ヘルパーなど誰かしらが、ほぼ毎日のようにお宅を訪れ、生活を継続してみていくことになります。
 こうした複数の目で見守る体制であれば、高齢者の体調変化や、変化の予兆に気づくチャンスも多くなります。症状が軽いうち、予兆のうちに気づいて早く手を打てば、入院しなければならないような大事に至ることも少なく、在宅での生活を継続しやすくなります。

 高齢者の体調変化は、食事でむせることが増えた、いつもより眠気が強そうだった、声が嗄れていたなど、高齢者に日常的に接している人が「何かいつもと違う」と感じるような、些細な変化から始まることも少なくありません。
 在宅医療チームでは、高齢者に接する時間が多いのはヘルパーなど介護スタッフのことも多く、介護スタッフの意見や気づきは、ご家族の意見と同等の重みがあります。私は医師や看護師だけでなく、ヘルパーさんにも「今日は変わったことはないですか」とこちらから声を掛け、積極的に情報共有することを意識しています。


【事例9で知ってほしいポイント】

● 在宅療養を続けていくなかで、高齢者は少しずつ心身の衰えが進み、要介護度か上がっていくことが多い。

● 在宅医療では、転倒予防よりも本人の自由な生活を尊重。本人に歩きたい意欲があるうちは、歩いてもらう。

● 病状の変化により、必要な医療・介護が変わってきていても、本人や家族が受け入れられないときは、専門職の考える“正解”を押しつけず、いざというときのために準備をする。

● 本人・家族が、変化を受け入れられるようになるまで「待つ」ことも、在宅医療チームの支援の1 つ。

● 家族やヘルパーの意見や気づきは医師や看護師のそれと同じくらい重要。要介護の人を日常的にみている人が「いつもと違う」と感じることは、体調変化のサインであることも。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎