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最終段階こそ、在宅医療の良さがわかる➃

 Qさんは、70 代で脳梗塞を起こしたあとに認知症も進んできて、徐々に全身状態が落ちてきました。3 年以上、寝たきりの状態が続いています。
 介護をしているのはQさんの妻が中心ですが、長男一家が近くに住んでおり、長男やその妻が時々Qさん宅を訪れ、高齢の両親の生活を見守ってきました。

 Qさんは次第に体調が不安定になり、いよいよ衰弱が進んできいます。食事やお茶などの水分もあまり取れなくなっており、眠っているか、力なくぼんやりしている時間が増えています。
 私たち在宅医療チームは、Qさんが最終段階にあると判断し、ご家族皆さんに集まってもらい、最期までの医療や看取りの方針について再確認をすることにしました。
 これまでにも何度か最終段階についての話し合いをしてきましたが、Qさん本人とご家族は、「できるだけ本人の苦しみがないよう
、自然なかたちでの最期を希望する」との意向でした。
 今回も、栄養については胃ろうなどの経管栄養を行わない、点滴や薬を最小限にする、痛みや苦痛はできるだけ取り除くという方針をあらためて確認しました。
 またQさんの妻だけでなく、独身の長女さんもしばらく仕事を休んで実家にいてくださることになり、看取りも「このまま自宅で」という合意を得られました。
 私たちは訪問診療と訪問看護を組み合わせ、ほぼ毎日チームのメンバーが訪問することとし、初めて在宅看取りをされるご家族を支援する体制にシフトしました。

 やがてQさんは、食べ物や水分をまったく受け付けない状態になり、顔色も悪くなってきました。ご家族は「のどが渇いてつらくないのか」と不安げでしたが、この段階では体が水分を受け付けなくなっているので、本人はつらさを感じていない、むしろ点滴などで水分を与えると痰が増え、本人を苦しめることになると説明すると、納得されていました。
 その後も、のどがゴロゴロ鳴る、呼吸が苦しそうなど、Qさんの様子が変わるたびに不安や緊張を感じたようですが、チームのメンバーが1 日1、2 回訪問し、「大丈夫ですよ」「これでいいです」と声を掛けていくことで、次第にご家族も臨終へ向け、覚悟が決まったという表情になっていかれました。
 そして、2 週間余りが過ぎたある日、Qさんは息を引き取りました。Qさんの妻と長女さんが昼間家事をしていて、夕方にベッドに行ったら、もう息をしていなかったそうです。
 連絡を受けて私たちが訪問したときは、Qさんの妻と長男さん一家、長女さんが集まっていて、皆さんで談笑をしています。家族で看取りができたという達成感もあるのでしょう、別れの悲しみのなかでも、「家族の思い出の詰まった自宅で、みんなで見送れて本当に良かった」と話してくださいました。


【解説!】
最終段階の医療・ケアを、どう考えるか

 命の終わりが近づいているときの、いわゆる終末期の医療はどのように考えればいいでしょうか。
 在宅医療では、最終段階にどのような医療・ケアを望むかについても繰り返し、本人やご家族と話し合いをしていきます。Qさんの家庭のように「本人の苦しみが少なく、自然なかたちで」と希望されるケースでは、以下のような対応をすることが多くなります。

・心肺蘇生
 
呼吸や心臓が止まったときに心臓マッサージや人工呼吸を施すのが心肺蘇生です。最近では、高齢による衰弱や闘病の末に死期が迫っている人に対して心肺蘇生を行うのは、苦痛を与えるだけの延命治療にあたると考えられるようになっています。無理な延命を望まないときは、本人やご家族から心肺蘇生を行わない蘇生措置拒否(DNAR)の意思表示をしていただきます。

・人工栄養
口から食事を取れなくなったときに栄養を補うのが、人工栄養です。胃や腸にチューブをつけて栄養を入れる経管栄養と、血管に栄養を入れる中心静脈栄養などがあります。人工栄養はやはり人工的に生かされる延命のイメージが強く、近年は終末期の高齢者には行わないケースも増えています。人工栄養になってから終末期を迎えた人では、臨終に向けて栄養量を減らしていくこともあります。

・従来の治療、服薬
糖尿病や高血圧など、薬物療法で治療を続けたてきた人は、命の終わりが近づいたときは以後の治療を中止し、薬もこの時期に必要とされるものに限って最小限に抑えます。

・点滴
死期の迫った人が食事や水分を取れなくなったとき、以前は点滴をして水分を補うのが標準的な対応でしたが、最近は水分が多過ぎると痰やむくみが増え、かえって苦痛が増すことがわかっています。基本は行いませんが、行う場合もごく少量にとどめます。

・緩和ケア
がんの疼痛や呼吸困難などの、苦痛を取り除く緩和ケアは最後のときまで必要です。医学的には医療用麻薬を使うことが中心になりますが、その人らしい生活や家族との関わりを支援する、本人の思いを傾聴するなどで、死への恐怖・不安を軽減することも緩和ケアの一環です。


家族の看取りに慣れている人はいない

 いよいよ命が終わるという段階になると、その人の心身には以下
ようなさまざまな変化が現れてきます。

・食べ物や水分を受け付けなくなる。
・血圧、心拍、体温などが不安定になる。
・顔色や手足、爪の血色が悪くなる。
・うとうとしているか、眠っている時間が多くなる。
・話し掛けても反応が鈍く、表情が乏しくなる。
・呼吸が不規則になる。
・尿量が減少する。
・のどの奥で痰がゴロゴロと鳴る。(死前喘鳴)
・あえぐような独特の呼吸をする。(下顎呼吸)

 上記のほかにも、激しい疼痛や幻覚、意識障害などが起こることもあります。医療従事者であれば、こうした臨終についての知識もありますし、実際の医療現場でも多数の経験をしているため、「自然な経過」として受け止めることができます。
 しかし、ご家族は違います。
 最近では、ご家族の死を間近で見る経験はほとんどありません。大切な家族が死の間際にいるという重大なときに、冷静でいられる人はまずいないでしょう。薬が効かなくなったらどうすればいいか、苦しそうに見えるがこれでいいのかと、震えるような思いで過ごしているはずです。
 私たちは、在宅看取りをするご家族を支援するため、看取り期には毎日訪問するのを原則としています。最後の1カ月ともなれば、場合によっては1 日2 回、訪問が1カ月で数十回になることもあります。
 終末期には特に医療行為はなく、本人・ご家族のお話を聞くだけということも少なくありませんが、医師が話を聞き、そばにいてくれるだけでも、心の痛みは和らぐものです。そうして不安に寄り添い、その時々に最適なケアを探りながら、臨終までの道のりをサポートするのが私たちのやり方です。
 医師や看護師にとっては度々訪問するのは確かに大変ではありますが、そうすることで在宅看取りをされたご家族と“一緒に最後まで戦った戦友”のような感情が生まれます。これは医療従事者にとっても、確かなやりがいとなっています。


【事例17 で知ってほしいポイント】

● 死が避けられない最終段階(終末期)になると、食事や水分を受け付けなくなる、眠っている時間が多くなるなど、本人の心身にさまざまな変化が現れてくる。

● 終末期に望む医療・ケアについて、繰り返しご家族と在宅医療チームとで話し合いを行う。本人が延命治療などを希望しないときは、その意思をチームに伝える。

● 在宅看取りの方針を決めたあとも、看取りに慣れていない家族は不安や緊張が高まるのが当然。

● 看取り期には、チームが毎日訪問するようにし、本人、ご家族、在宅医療チームが一丸となって在宅看取りを進める。

● 毎日訪問することで、ご家族は安心して看取りに向き合え、医療従事者も一緒に戦った戦友のような存在になる。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎