見出し画像

「在宅で長く過ごす」ためのサポート⑤

 Mさんは、ここ数年は終日ベッドの上で過ごす在宅療養をしています。もともとは畑仕事をしていて腰を痛めたのが原因ですが、入院治療を続けるうちに筋力や臓器の働きが低下してしまい、食事はベッド上で取ることができますが、それ以外は全介助となり、要介護度も最も高くなっています。
 介護をしているのは主に70 代の妻と、訪問介護のヘルパーです。近くに娘さん2 人が住んでいて、時々ご両親の様子を見にきています。地域のケアマネジャーからの紹介で、当院が関わることになりました。

 訪問診療で診察すると、寝たきりになって長いMさんは全身の筋力も落ちていますが、食物を飲み込む嚥下の力も弱っている様子です。話し掛けると返事はされますが、言葉は不明瞭になっており、食事時にもよくむせているとのこと。当院に来る前にも、この数年で2 回、誤嚥性肺炎で入院治療を受けているということでした。私たちは、食事の仕方や食物の形状に注意し、誤嚥を起こしにくいものにしてもらうとともに、歯科衛生士が口腔ケアを定期的に行い、肺炎予防に努めながら見守ることにしました。

 しばらくは何事もなく過ぎていきましたが、秋口のある日、深夜にMさんの妻からクリニックに電話がありました。痰とせきが続いて苦しそう、熱もあるということです。
 在宅医療チームが向かって診察をすると、痰でゴロゴロと音がしている状態で、Mさんも見るからに呼吸がつらそうです。熱は37.9度、採血をして調べるCRP という炎症を示す指標や超音波検査などからも、肺炎を起こしていると判断しました。
 私たちは診断を妻に伝え、在宅で治療をすることもできるし、入院治療も受けることができるとお話しすると、妻は「何かあったら嫌だから、入院したい」という希望です。
 このときはそばで見守る妻の不安も考慮し、連携している病院に緊急入院を依頼、病院で治療を受けることにしました。

 Mさんが急性期病院での治療を終え、自宅に戻ってきたのは3 週間後のことです。
 私たちが訪問診療で自宅に伺うと、Mさんは薄く目を開けるだけで反応も鈍く、肺炎は治っていても、体力・気力の低下が進んでいるのが見てとれました。
 私たちはその後、数カ月は訪問診療や訪問看護を増やし、Mさんの栄養状態や体力回復を慎重にみていくことにしました。

 年が明けた2 月。Mさんの状態もようやく落ちつき、家族と会話ができるくらいに回復してきて、ほっとしていたのもつかの間、再びMさんの妻からの電話が鳴りました。
 在宅医療チームが訪問して診察・検査をすると、Mさんは秋口のときと同様に肺炎を発症していました。
 このとき私たちは、妻が以前より落ちついた様子なのを確認したうえで、次のようなお話をすることにしました。
「今、Mさんを入院させるとせっかく体調が戻ってきていたのが、逆戻りになるかもしれません。在宅でも、病院と変わらない治療ができます。Mさんが好きなものを食べて自由に過ごせる自宅で、このまま治療をしませんか」
 私たちの話に、今度は妻も理解を示してくださり、毎日医師や看護師が訪問をして、治療をしていくことになりました。

 在宅での抗菌薬の点滴などの薬物療法と生活支援により、Mさんは1カ月ほどで、無事に肺炎から回復されました。


【解説!】

飲み込む力が弱った高齢者に多い、誤嚥性肺炎

 事例のMさんのように、寝たきりの状態が長くなった人は誤嚥性肺炎を繰り返すことがよくあります。
 誤嚥性肺炎とは、食べ物や唾液が誤って気管に入り、そこに含まれていた細菌が肺に到達し、炎症を起こすものです。
 嚥下力が落ち、食事や飲み物を飲むときにむせたり、のどに詰まったりすると誤嚥性肺炎を起こしやすくなるほか、睡眠中に唾液が気管に入る、経管栄養のチューブから細菌が肺に入るなどで、誤嚥性肺炎につながることもあります。
 誤嚥性肺炎の典型的な症状は、次のようなものです。
・発熱
・呼吸困難
・激しいせき
・膿性痰(黄色い痰)
・呼吸雑音(ゴロゴロ、ゼイゼイと音がする)

 ただし、高齢者では典型的な症状が出ないまま、肺炎が進んでいるケースもあります。元気がない、ぼんやりしている時間が多い、夜間にせきこむ、食事に普段以上に時間がかかる、体重が減ってきたなど、何気ない症状の裏に誤嚥性肺炎が隠れていることもあるので、注意が必要です。

 誤嚥性肺炎を予防するには、食物の形状や食事の姿勢に気をつけましょう。水のようなバシャバシャした液体より、とろみがついたもののほうがむせにくいですし、食事の姿勢では首が後ろに反ってあごが上がった状態ではうまく飲み込めません。ベッドでも少し上体を起こし、枕などで頭を支えて飲み込みやすい姿勢を保ちます。

 そのほか、口の中の環境が悪く細菌が増えているとき、加齢や低栄養・病気などで免疫力が低下しているときも、誤嚥性肺炎のリスクが高まります。毎食後に忘れずに口腔ケアをする、栄養不足・睡眠不足にならないよう食事内容や睡眠に気をつけるといったことも、誤嚥性肺炎の予防につながります。


「肺炎を起こしたら入院」という常識の弊害

 在宅療養している人では、一般には誤嚥性肺炎が悪化すると入院し、数値が改善したら家に戻る、というケースが多いと思います。こうした入退院を2 回、3 回と繰り返し、次第に終末期へと向かっていく例が少なくありません。

 こうしたとき、入院先の病院で行うのは「誤嚥性肺炎の治療」のみです。画像や血液検査のCRP などの炎症反応の数値を見ながら、抗菌薬を投与し、数値が改善したら「肺炎は治った」という判断になり、退院させられます。
 しかし高齢者では、肺炎は治っても、入院によって全身の筋力が落ち、時には認知機能も低下し、全身状態は確実に下がってしまいます。在宅医である私の印象では、高齢者は入院すると少なくとも2 割ぐらいは元気がなくなって戻ってきます。これでは肺炎が治ったとしても、「患者さんが回復した」とはとてもいえません。

 これまでの医師の“常識”では、「検査でCRP が10を超えたら入院しなければならない」という感覚がありますが、高齢期医療では、それ自体が患者さんの意思を無視した医療行為であり、むしろ弊害にもなり得るものです。
 特に在宅医療は、患者さんの生活を支えるためのオーダーメイド医療です。そこでは、患者さんの生活を置き去りにすることになる入院が最善という感覚は、見直していかなければなりません。


病気だけでなく
生活も診る「在宅入院」という考え方

 私たちは、Mさんのように入退院を繰り返すケースでは、あえて入院をさせず、在宅で治療をする対応を行うこともよくあります。
 肺炎であれば、病院と同じように抗菌薬を中心に治療するのですが、病院では入院患者の状態を毎日確認しないことなどあり得ません。在宅でも同様に、毎日訪問して入院時と同等の医療を提供しながら、同時に患者さんの全身状態や生活支援にも目を配ります。
 こうした医療スタイルを、私たちは「在宅入院」と名付けています。患者さんの病気だけでなく、生活まで診るということは、ある意味“病院以上”の医療です。
 高齢者や要介護の人に対して、在宅医療だからこそ、できる医療があることを皆さんに知ってほしいと思います。


【事例13で知ってほしいポイント】


● 寝たきりの人や嚥下力の落ちた人は、口の中の細菌が誤って気管に入り、肺に炎症を起こす「誤嚥性肺炎」を発症することがよくある。

● 誤嚥性肺炎の典型的な症状は、発熱、呼吸困難、激しいせき、膿性痰(黄色い痰)、呼吸雑音(ゴロゴロ・ゼイゼイ)など。

● 誤嚥性肺炎の予防法は、食べ物・飲み物にとろみをつける、あごを引いた姿勢で食べる、口腔ケアをする、免疫力が低下しないよう食事や睡眠に気をつける、など。

● 高齢者は、一度入院すると目的の疾患が治っても筋力や認知機能が落ち、全身状態が低下してしまうことが多い。

● 家にいる患者さんのところへ医療従事者が毎日通う「在宅入院」では、病気だけでなく、生活全体の回復を目指す。


【Column】
フランスでも導入が進む「在宅入院」

 先日、フランス医療制度の“在宅入院(HAD)”について、オンラインセミナーを聴講しました。フランスの在宅入院は、病院での入院と同等の高度技術、多種職頻回介入を在宅で行うシステムとのこと。従来の「在宅は慢性期の管理が中心」という概念が「急性期への対応にも」という概念の
もとに周産期から終末期までに対象患者が広げられました。

 日本の在宅医療のような高齢者を中心にしたものとは異なり、対象者はすべての患者さんであり、なかでも医療依存度の高い方(2 時間のケア× 4 回以上必要な方)が対象となるようです。また薬剤も病院と同等のものがほぼ使用できるそうです。
 コロナ労災の対応では、コロナ病棟に入院できない患者さんへステロイドや抗凝固薬を投与するため自宅に伺い、入院や重症化を防ぐ対応や、回復した方の受け入れも積極的に行っていたようです。
 フランスのCOVID-19 パンデミックは、日本の約10 倍であり、医療従事者の負担は計り知れなかったと思いますが、そのなかで先生の「私たちはこのときのためにこの道を選んだのかもしれない」という想いで診療に当たっていたというお言葉を聞いたときは、私も胸が熱くなりました。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎