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最終段階こそ、在宅医療の良さがわかる①

本人・家族の思いは、揺れるのが当然

 このパートでは、人生の最終段階、いわゆる終末期の在宅医療について取り上げたいと思います。
 「人生の最終段階」という言葉に明確な定義はありません。一般的には、治療をしても現代の医療では回復の見込みがないと判断され、死が避けられなくなった状態をいいます。
 個々で状況は異なるので一概にはいえませんが、平均的な数字でいえば、あと数週間から数カ月でその人の一生が終わる、という段階を指すことが多いと思います。

 この段階になると、在宅医療をしてきた本人・ご家族のなかでも、さまざまな迷いや葛藤が生じてきます。
 これまで治療を続けてきた人に対しては、どこまで治療をするのかという1 点を取っても「十分に頑張ったのだから、もういいだろう」と思う人もいれば、「ほかに本当にできることはないのか」と微かな回復の可能性に期待したい人もいます。
 さらに、人生の残りの期間をどこで誰とどのように過ごしたいか(過ごさせてあげたいか)についても、本人とご家族、それぞれの思いがあります。時には家族間で意見が対立し、混乱が大きくなることもあります。
 もともと在宅療養を始めるときに、在宅看取りという方向で考えていたご家族ですら、いよいよ最期が迫ってきたとき、気持ちが揺れることが多々あります。

 本人は「家にいたいけれど、家族につらい思いをさせるのでは」と迷いますし、家族も「家にいさせてあげたいが、現実として自分たちに看取りができるのか」と不安が高まります。
 こうした迷いや葛藤は、どんな家族にもあるものです。このような人生の難問に、唯一絶対の正解はありません。揺れながら、迷いながら、一歩ずつ進んでいくしかないのです。
 在宅医療チームは本人・ご家族の思いに寄り添いながら、一緒になって考えていきます。みんなで考えて、みんなで決める─それでいいと思っています。

 そして「最期まで自宅で」という方針が固まったときは、私たち在宅医療チームが全力でサポートします。
 痛みや苦痛を取る緩和ケアなどの医療面は当然として、最期の日までその人がその人らしくいられるように、生活全体を支えます。
 特に看取りが近づいてきたときは、在宅医療チームでほぼ毎日お宅を訪問します。看取りに至るまでのご家族の不安を軽減し、「これで大丈夫ですよ」と声を掛けながら、ゴールまで伴走をするようなイメージです。このような支援があれば、ほとんどのご家族は、立派に在宅での看取りを果たされます。
 こうした人生の最終段階の細やかな支援は、多くの病院では対応ができません。在宅医療が得意とする優れた「エンドオブライフ・ケア」といえるでしょう。


 Nさんは、夫が亡くなってから1 人暮らしをしていましたが、5年前に神経難病を発症。次第に歩行が不安定になり、3 年前から当クリニックが入り、在宅医療をしています。
 Nさんは、ここ1 年はほとんど寝たきりの状態になっており、訪問看護・訪問介護をフルに使って生活しています。すぐ近くに既婚で子育てをしている次女が住んでおり、週に3、4 回は次女がNさんの様子を見に行っています。
 
 神経難病が進行し、嚥下機能も落ちてきたNさんは、この1 年の間にも誤嚥性肺炎を何度か起こしています。
 一度、一般的な経過ではそろそろ胃ろう造設や人工呼吸器の装着を検討することもあると話をしたところ、Nさんは「この年まで生きられたし、胃ろうや人工呼吸器をつけてまで、生きるのは嫌」というお返事でした。
 また「この先に何かあっても、ずっと家にいたい」という希望も強くありました。そういうNさんの意思について、いちばん身近で介護をしている次女も理解されていました。

 あるとき、遠方に住んでいる独身の長女が、実家であるNさんの元へ帰省してきました。この前に長女が実家に帰ったのは半年以上前で、Nさんが急に弱々しくなってしまったのを見て、心配を募らせたようでした。
 そんな折、Nさんが食べ物をのどに詰まらせ、慌てた長女が救急車を呼んでしまいました。救急搬送先で治療を受け、Nさんはなんとか一命を取り留めています。
 しかし、病院の医師は長女と次女に対し、自分では体を動かせないNさんは、今後誤嚥のリスクを考えると口から栄養を取るのは困難、胃ろうや人工呼吸器を装着しない場合、命の終わりが近い、という説明をしました。
 次女はこれまでの経過を見ていますし、Nさんの意思も知っています。そのため「人工呼吸器をつけたりせず、家に帰らせてあげたい」と話したそうです。
 しかし、これに猛反対をしたのが長女です。「人工呼吸器をつけないと死んでしまうなら、すぐにつけてください。このまま家に帰るなんてあり得ない」と激しく主張されたそうです。

 次女から連絡を受けたあと、当クリニックの医療連携室が病院を訪問し、Nさんの気持ちを確認することに。
 肺炎が改善して会話ができるようになっていたNさんは、やはり「人工呼吸器はつけず、家に帰りたい」という意向です。

 医療連携室のスタッフは、あらためて長女、次女の2 人をベッドで寝ているNさんのそばに呼びました。そこでNさんに向かってゆっくりと「家に帰りたいんですよね」と問いかけると、声は細いですがはっきりと「はい」という言葉が返ってきました。
 続いて「何をしても生きてほしい」と願う長女の気持ちに共感を示したうえで、これまでの経緯とNさんの意思を説明。そして、Nさん本人の気持ちを尊重し、家族として支えてあげてほしいとお話ししました。
 長女さんは数日間考えられたあとに、ようやく理解を示してくださり、その後、Nさんは再び自宅に戻り、2 人の娘に見守られて最期の日々を在宅で過ごすことができました。


【解説!】
家族にも、それぞれ異なる思いがあるもの

 Nさんの事例のように、最終段階の治療方針を巡って、家族間で意見が割れるというのはよくあることです。家族といっても、年齢や立場、介護の関わり方などによって考え方は異なります。

 よくあるのが、Nさん一家の長女・次女のように、本人の近くで介護をしている人と、離れた場所にいる人との感覚の差です。
 近くで介護をしている人は、高齢者の病気の経過や体調がどういう段階にあって、本人がどんな思いでいるかを日頃から肌で感じています。そのため、本人が「もう治療は十分」というときは、その意向を受け入れやすいと思います。
 しかし、遠くにいる人にはその現実が伝わらないことがあります。高齢の親の元へ、息子・娘が年に数回帰省するといった場合、親はそのときだけは頑張って元気そうに振舞ったりします。その結果、離れて住む子どもの記憶のなかにあるのは、元気だった頃の父親・母親の姿のままです。そこで急に親の命の危機を知らされると動転してしまい、治療してほしいと強く求めることがあります。

 当クリニックでもそうした意見の相違は時折あります。このような場合は、息子さん娘さんに親御さんの家へ行ってもらい、現在の本人の姿を見てもらうようにしています。
 最終段階が近づいている人は、半年も会わずにいれば、状態が相当に落ちています。現在の本人を実際に見て、話をしてもらえば、本人が望まない治療をいつまでも強いるような方はそれほど多くはありません。

 また最終段階の治療方針についての考え方は、世代やその人の環境、ライフステージによっても変わってきます。
 私の印象では、親族のなかでも配偶者や本人のきょうだいなどの同年代の人は、年を取る大変さを知っていますから、本人の意向に共感されることが多いです。それに対して息子・娘世代は、インターネットや本でも情報を調べられますから、治療法探しに懸命になられる方もいます。
 事例のNさん一家の長女・次女のように、子ども世代が独身か既婚かによっても、意見は変わってくるのかもしれません。私自身の経験からしても、独身の人と自分の家庭をもっている人では、親の死による喪失感もとらえ方が異なるように思います。


最も大事なのは、「本人がどうしたいか」

 最終段階の治療方針を巡り、家族間の意見が対立したとき、いちばん基本の拠り所となるのが、やはり本人の意思です。
 本人が意思表示をできるときは「本人がどうしたいか」を確認し、意思表示が難しくなっているときは「本人ならどう考えるだろうか」を想像してみてください。
 家族には、家族としての思いがあるのは当然です。「1 日でも長く生きてほしい」「別れたくない」と思うものですが、それを少しだけ抑えて「どうしたら本人が、最期の時までその人らしくいられるか」を考え、そこに寄り添ってあげてほしいと思います。

 在宅医療チームも加わって何度も話し合いを重ねると、8、9 割の人は「このまま家にいたい(本人は家にいたいと思うはず)」という結論になります。あとは本人を中心にして、チームのみんなで決めた方針を実現していけばいいだけです。


【事例14で知ってほしいポイント】


● 人生の最終段階の治療方針を巡って、本人と家族、あるいは家族同士で意見が異なり、葛藤することがある。

● 身近で介護をしている人は、これまでの経過を把握しており本人の思いも率直に伝わりやすい。一方、遠くに離れて住む家族には、現状がなかなか見えにくいことがある。

● 年齢や立場、独身か既婚かなど、家族それぞれでも意見は異なる。だからこそ本人と家族、在宅医療チームのみんなで話し合うことが重要。

● 最終段階の治療方針を考えるとき、最も大事なのが本人の意思。「本人がどうしたいか」「本人ならどう考えるか」に思いを寄せてみることが大切。

● 意見の相違があっても、何度も話し合いを重ねることでみんなが「これでいい」と思える方針が定まってくる。

引用:
『事例でわかる! 家族のための「在宅医療」読本』
著者:内田貞輔(医療法人社団貞栄会 理事長)
発売日:2021年6月1日
出版社:幻冬舎