トウキョウが僕にもたらしたもの【大学生の上京物語】
田舎から都会に出てきた。いわゆる上京ってやつ。
都会と言ってもすぐ近くに山がある、「ここって東京!?」と誰もが思うであろう「都会の田舎」だった。
これが、僕にとっては好都合だったのである。
「上京して1人暮らしをする」自分史において一つの節目でもあった。
そうした大きな環境の変化がありつつも、そこに柔らかく馴染むことができたのは、いい意味で期待を裏切った騒がしすぎない街並みのおかげだろう。
この街に来て、もうすぐ4年の月日が経つ。そして毎日原付で駆け上がったあの坂道も、安さか量か質かで転々とした近所のスーパーも、もう訪れることはなくなる。
これを書き始めた午前5時半の窓の外は、まだ真っ暗で何も見えない。しかし僕の中では、建物、通学路、最寄り駅までの道、いつもの散歩のコース、住み慣れた色んな街の様子を鮮明に思い浮かべることができる。
過ごしにくさというか、生きづらさというか、場所的ではない環境の変化に悩まされることは多々あったし、それは4年経つ今でも感じる瞬間がある。
「東京はね、すごいんだよ。都心に出たら、もうそれは人がごった返していて、みーんな何かにとりつかれたようにさっさと歩く。僕は自分のペースで歩くことはできなくて、周りに動かされているような感覚になる。何か殺伐とした雰囲気が漂っていて、テレビでみたあの光景にいざ自分が入り込むと、周りだけが動いていて、僕は立ち止まったまま、変わりゆく景色を見ているみたい。この社会の一人としてカウントされていないようにも感じる。だけどね、よくみると本当に色んな人がいて、色んな音や色んな声が聞こえて。その中に自分が確かに存在していることを認識できた時、自分は自分でいいと思えるし、どういう形で存在してもいいんだって思える。どんなことを考えようと感じようと、表現しようと、それが自分であることに違いはない、自由で、ありのままでいいんだって思える。大勢の人の中で、他人になんて目を向けない環境、干渉しない、アットホームじゃない冷たさ、かえってそれが僕を僕でいさせてくれる要因だとも思う。」
疲れる。東京にいると、ただ過ごすだけで疲れを感じる瞬間がある。でも、間違いなくこれは東京に来ないと感じられなかった。
こっちのノリなのか大学生というものがこうなのか、こっちの「面白い」なのか、この人の「面白い」なのか、何気ない会話でもついていけなくて戸惑うことも、今こうして、noteを書いていることも、すべて東京にきて、色んな価値観を持つ人に出逢ったことが始まりだから。
正直「しんどいな」、「あれ、合ってないのかな」ってよぎることはあるけど、それ以上に、この環境は僕を刺激してくれるし、吸収できると思えるものが山ほどある。今はそれに気づけている。感じられている。きっとこれを感じなくなったら、僕はこの東京という世界から抜け出すのだと思う。
ここに生かされているのかもしれないけど、ここで生きている。
大げさだけど、その感覚が確かにある。そう思うことができる。
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