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あの日の記憶

子守唄を歌う私のすぐ目前、視界に顔の輪郭が入り切らないくらいの距離に子供がいて、その瞼は重くて仕方ない様子で動いていた。

私は5秒ずつくらいに目を閉じたり開いたりしながら観察していて、呼吸が寝息に変わってしばらくした頃に歌うのをやめた。

あまりにも可愛いその寝顔をそっと胸に寄せた時、突然、過去の記憶の上映が始まった。

それは去年の夏のある日。居間のバウンサーの上で、0歳4か月の子供が昼寝をしている。母親の私は首を吊る準備をしている。

居間と台所を繋ぐドアのノブに、注文しておいたちょうど良い太さのロープを結ぶ。ドアの上を通して、輪っかを作って結ぶ。いずれの結び方も、あらかじめ手順の画像を保存しておいた、強度があり解けないもの。長さを確認して、踏み台を運ぶ。

このとき何よりも気をつけたことは、ぶら下がった私の体が子供の視界に入らない位置であること。子供はその当時、一人でバウンサーから降りられるほどの成長はしていなかったため、目が覚めた時に見えない位置であれば見なくて済むだろうと考えた。

こうして書いてみると何とも冷静で、その冷静さが覚悟の強さを物語っていると思った。まぁ、そんな強い覚悟をもってしても、失敗したので今こうして生きているのだけど。

記憶の上映は、最後に時間を少し遡って、子供の寝かしつけをしている場面に切り替わった。

これが最後になるんだと思いながらの寝かしつけ。いつも通りに、バウンサーをゆったりと揺らす。いつも通りに、子供がウトウトし始める。子供の重そうな瞼を見つめる………

その記憶の辺りで、現実の私は涙を流していた。

それは、なぜだか不思議でたまらないけれど、当時すでにこの子のことを全身で愛していたと、唐突に気づいたから。愛情なんてわからないと混乱していたその時、私はとてつもなく深い愛情を子供に抱いていた。私は、私が思う以上に、ずっと前から母親だった。

過去の自分の無意識が急激に流れ込んできて、全身の水分が涙になったようだった。自分の涙で溺れながら、この子を守りたいんだと、ずっとずっと前からそう思っていたんだということを知った。証拠なんてどこにもないけれど、それは間違いない事実だった。

そんな強い感情にまみれているうちに、死ぬことへの気持ちの純粋さというものを思った。私は当時、一途に死ぬことだけを考えていた。本当に真っ直ぐで、あんなに真っ直ぐに何かを思ったのは初めてだった。

そんな経験をした私なら、もしかしたら、一途に生きることだけを考えることも出来るんじゃないかと思いついた瞬間、世界がひっくり返りそうになるのを感じた。

私がいまだ抱いたことのない「生きるしかない」という気持ち。「死ぬしかない」を散々味わった私なら、そこにたどり着けるかもしれないし、味わってから死にたいと思った。

心の底からそれが沸いて溢れた時に、私の世界はひっくり返る。そんな世界を見てみたい。そのために、死にたくなりながら生きたい。そう思った。

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