マサチューセッツでの友と私
こんなアメリカ人の友人の言葉を紹介するところから、江藤淳の『アメリカと私』は始まります。
20代にアメリカで2年半を過ごした僕にとってこの言葉は、とてもしっくりと来ます。確かに自分の中の何かが変わったと感じます。
2〜3年ほど外国で暮らして帰ってきた人の感覚には、独特のものがあるのではないかと思います。
10年過ごしたならば、変わるのは当たり前です。しかしたった2〜3年ほどの生活が自分を変えてしまう事もある。
2年過ごしたマサチューセッツ州の学生寮で、僕のルームメートの Tは台湾人だった。Tとは仲も良かったが、喧嘩もよくしました。短気で生意気だった僕はよく Tに突っかかっていった。
Tは同じ寮の黒人(アフロ・アメリカン)達のことをたびたび悪く言いった。
僕はその発言に差別的なものを感じ、その度に怒った。
日本で何度かフィリピン人をバカにする発言を友人がするのを耳にした事が思い出された。僕はそれがとても嫌だった。自分より肌の色が濃い人への蔑視が許せなかった。そういった経験から僕の中に溜まっていた怒りがあった。Tへの僕の非難はとても感情的になっていった。
そしてある日 僕は怒鳴った。「お前はひどい差別主義者だ!最低な奴だ!」
すると Tはこう言った。「そうだ!だけどそれが俺なんだ!お前は俺を否定するのか?!」
思いもしない答えだった。僕は黙った。何かが僕の中で崩れた。僕には分からなくなった。差別的なのは誰なのか? 僕は黒人の事を悪くいうTを心のどこかで「これだから台湾人は嫌だ」と蔑んでいたのではないか?
1994年の事だ。南アフリカで総選挙が行われ、アパルトヘイト (人種隔離政策)が廃止された年だ。T はそのニュースを見て、僕のところに来て言った。
「知ってるか?多くの黒人が少数の白人に支配されていたんだ!それが覆ったんだ!すごい!すごい!」
T はとても嬉しそうだった。僕は穴があったら入りたかった。
そんな事がありながらも、マサチューセッツにいる間、僕はTを含め多くの東アジア系の友人(台湾人、韓国人、中国人、州都ボストン生まれの中国系アメリカ人)にいつも囲まれていた。僕はだいぶ無茶な発言や行動をしたと思うが、彼らは決して僕を排除しなかった。彼らとの交流から教わった事は数知れない。しかしそのような経験は僕らが同じ学校の仲間で、彼らが善良だったから出来た事だ。僕が Tにしたような発言と態度は、本来ならとても危ういものだと思う。友人達には感謝しかない。
日本に帰って来てからもう四半世紀以上経たつのに、僕は今でも自分を東アジア人と感じているようです。
その事を強く感じたのは、オリンピックのフィギュアスケートで殆どの種目のメダルを東アジア人(日本人・韓国人・中国人)が占しめた時で、どうしようもなく興奮してしまい、自分でも驚おどろきました。日本の選手と韓国の選手の競せり合いなどは、僕にはどうでもよかった。メダルということだけでなく、東アジアにこんなに素晴らしい選手が揃そろっているということが、何とも嬉うれしかった。このような東アジアに対する強い「愛郷心」のようなものが、たった2年の経験によって僕の中に醸成されていたのだった。
とアメリカの哲学者 Eric Hoffer は言っている。その通りだと思う。
引用文献
[1]『アメリカと私』江藤淳 (電子書籍版)、2018.11.1発行(2007.6.講談社学芸文庫より電子書籍化
定本:1972.6.講談社文庫、初版:1964.12.25.
[2]『魂の錬金術-Eric Hoffer 全アフォリズム集』エリック・ホッファー
2009.2.10.第7刷発行(2003.2.5.第1刷発行)
エリック・ホッファーのアフォリズム集
The Passionate State of Mind and Other Aphorisms(New York: Harper & Brothers, 1955)
および
Reflections on the Human Condition(New York: Harper & Brothers, 1973)の全訳
私の他のエッセイ
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