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家族は最も距離の近い他人 | 自己犠牲に陥っていませんか?

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は家族と言えど所詮他人でしかないということについて書いてみます。

僕の奥さんは中国人ですが、中国では家族だからこそ言いたいことは言う、という文化・価値観です。彼女から見れば、日本の家族はそうではなく、遠慮したり礼儀を用いたり、まるで距離の遠い他人のようだと思うようです。

一方で日本には男性が働き、家族を養うという文化が色濃く残っています。知人が蓼科の山にゲストとしてやってきて僕と夕食を共にした際、僕が色々あって東京砂漠で倒れそうになっている話をしました(詳しくは下記noteを参照ください)。

この話を聞いて彼女は「えええ、やっぱり男性ってそれほどまでに仕事をして家庭を養うという責務を感じているんですね」と驚いていました。

国際感覚があり多様性を持って生きていると思っていた自分ですら実は日本人男性としての伝統的な文化・価値観にべったり染まっているんだなと実感しました

僕はたびたび奥さんと衝突しました。

僕が外で一生懸命働いているんだから、週末は休みは自分の好きなことをしても良いだろうと当然のように思っていたのです。好きなことばかりやって彼女のことを気にかけなくなっていたのです。

そういう時、彼女は僕に対して猛烈に指摘します。どうして私を大事にしてくれないのか、どうして気にかけてくれないのか、仕事はもちろん大事だけど二人で生きていく人生の方がもっと大事なはずなのに、と。

そう言われて僕はようやく気づくのです。分かってはいるけど確信犯的に行っている家族に対する裏切り行為について反省し、行動を改めることになりました。

家族とはいえ他人です。その距離が近いのが中国、遠いのが日本における他人との関係性だと思っています。他人だからこそ遠慮せず言いたいことを言う中国の文化は今のところ僕にとってはものすごく助かっています。

最も近い社会関係としての家族。

他人同士だからこそ利害が対立することもあります。お互いが主張して妥協し合うことによって社会は成り立ちます。一方が極端に我慢することは社会の体をなしていません。単なる自己犠牲です

社会における他人との関係は契約です。

ですから自分の利害をしっかりと主張し、相互に妥協した結果を契約という形で目に見える状態にしておきましょう。

そうすることで自己犠牲の罠から抜け出し、互いにとって快適な状態を末永く維持することができるようになるでしょう。

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