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東京と山での時間の流れ方の違い

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は東京と地方での時間の流れ方の違いについて書いてみます。

最近東京に仕事で呼ばれる機会が増えました。ちょうど昨日の夜、中央高速で蓼科に戻ってきたところです。

東京は人だけでなくモノやお金の流れる量がとても多いので、それを処理するために皆忙しくしています。物量の荒波の中でお互いがぶつからないように気を使いつつ泳いでいるような感じです。

久しぶりにJRや東京メトロに乗りましたが皆さんスマホを見てタスクの確認をしたり、仕事の連絡をしたり、情報収集にいとまがありません。

無言で小さな画面と向き合っている皆さんを見ているとこちらも忙しくしなければ、社会の中で置いておかれたような気がしてきます

一方で僕が住む地方では時間はとてもゆっくりと流れます。

東急リゾートタウン蓼科の中で新しい物件を購入したことは以前書きましたが、引っ越す前にリフォームをかける予定です。

リフォーム会社の方と現地を見ながらあれやこれやと、実現したいことや具体的に変えて欲しいことなどをお伝えしたのが2週間前。

見積もりを依頼する言葉をかけてその場を去る時、いつまでに見積もりをいただけるかについての返答もなく、電話やメールでその後の進捗について知らせていただけることもなさそうです。

去年、今の部屋にあるFF式ガスファンヒーターを取り付けた際も同じような感じで、東京からこちらにベースを移した当初は、あまりの時間間隔の違いに困惑していました。

東京などの大都市では色々なものが”利便性”の名の下で人の手によらない仕組み化、自動化がされていき、どんどん処理が単純化されて高速化されていきます。時間の流れがとても速く進みます。

一方で地方における仕組みは基本的に人によるものですから、ゆっくりとアナログに進んでいきます。時がゆっくりと過ぎていることを(本当に)窓の外を見ながら実感したりするのです。

地方にベースを移してから僕は待つようになりました。
待てるようになったのです。

それしか方法がないのですから。

時間が遅い世界では、時間と自分が寄り添って、互いの存在を意識していたわりながら佇んだり、歩んでいくのです。

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