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変革を唱える人が似たような服・笑顔でプロフィール写真を撮る矛盾

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は内側の自分を外側の社会にそのままさらけ出すことについて書いてみます。

SNSを見たり、仕事でクライアントと接していると外面と自分の内面とが一致しない矛盾した行動をされている方と多数出会います。例えば、

  • CO2を削減して環境に配慮した社会を築きたいと強く思っている人が運動をあまりせずに毎日加工食品を食べている(自分の身体を犠牲にすることは環境負荷、社会への負担増加に繋がります)

  • 働き方改革を推進しようとしている人がブラックな働き方の見本市のようになっている(人々に対して”べき論”を展開する前に自分が倒れてしまいそうです)

  • DX(デジタルトランスフォーメーション)を実施しようとしている人がリアルで開催される役員会議の席次を巡って延々と時間を使っている(そもそもリアル会議を削減したり、席次にこだわらない仕組みをつくることが”トランスフォーメーション”ではないでしょうか)

といったような人たちです。

僕は新卒で大企業に入った時から通勤が嫌いでした。

満員電車の窒息するような雰囲気が嫌だったこともありますが、オフィスで仕事の質や、自分の人生に直結しない”他愛のない会話”をすることが大嫌いでした。

僕は企業の中では強い上昇志向がありましたし、結果として自分で独立して会社のトップをやることになりましたが、その理由の大きな部分に”会社に出社したくない”というものがありました。

そのために会社の中ではなるべく意思決定を持てる地位を獲得しようと努力をしましたし、何度も言いますが独立して自分が何でも決められる立場を手に入れました。

出社を求めてくる会社を変えよう、その背景にある社会を変えようとも思いましたが、それよりも環境を変えることも含めて自分で行動をして自由を手に入れることの方が早いと考えたのです

他責ではなく自責で行動した、と言えるかもしれません。

社会の変革の実現は自分をベストプラクティスにすることから始まるのではないでしょうか。そのための闘争は自分を最も身近な実験体として行われるものなのではないでしょうか

大きなメカニズムとしての社会を批判するのではなく、ミクロの社会としての自分を変えることによって、興奮と喜びに基づいて人々を巻き込んでいく

そういった人々が増えることによってその合算としての社会が結果として変わっていくことになるのではないでしょうか。

批判で世の中は変わらないのです。

世の中は自分の中にあるからです。

そして自分だけが変えることができる対象なのです。

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