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普段見ている風景や景色で感覚・思考の幅が決まる

こんにちは@tateshina_lifeです。

今日は見ている世界の大きさが感性や思考の広がりに繋がるということについて書いてみます。

可愛い子には旅をさせろというのは本当ですし、旅をさせてくれない親なのであれば自分から旅に出て大きな世界や景色を見ることをおすすめします。

大きな世界や景色は海や山などの大自然でも良いですし、日本ではない海外のどこかでも構いません。スポーツ観戦で大きなスタジアムに身を置いてみたり、クラブやライブハウスでうねる空間に身を任せても良いでしょう。何なら物語の世界でも良いのです。

特に日本の大都会で育ち生活している人にとってとても有効だと思います。都会は何もかもが利便性の名の下に整然としており、意外な物事に出会うことがあまり多くありません。ましてや日常とは圧倒的にかけ離れた風景や景色に出会うこともあまりないでしょう

僕は仕事で目の前にある課題についての本質をつくことが得意です。プライベートでも相手が無意識とも言える場所にしまっている本当の姿を言い当てることが得意です。

それらの能力は、大きくイメージして思考することに依ると思っています。大きなイメージや思考の源泉は僕がたどり、目にして体験してきた風景、景色に基づくところが大きいと、都会に住む人たちとたまに接していて実感、確信しています。

僕の話ですが、小さい頃から宇宙などを題材とした物語に触れ、大学生になってベッドタウンの単調さから抜け出して東京の暗くタバコの煙が漂うクラブで田舎では誰も聴いていない音に身を任せ、社会人になってから仕事で駐在した中国で毎日のように起こる思いも寄らない出来事に五感を再構成され、今では標高1,300mの山の中に住んで毎日八ヶ岳の圧倒的な風景を窓から見ています。

人間の身体の可動域は、その箇所を積極的に動かさない限りどんどん狭まっていきます。思考や感覚も、もっと言えば感情についても使わなければ使えなくなっていき、いずれは消滅してしまいます

思考や感覚、感情の可動域を広げるためには、それらを強制的に広げる圧倒的な景色や風景を見たり、体験をする必要があるのです。日常に埋没するということは自分の身体や思考、感覚、感情が日常に最適化されるということです。

一方でそれは否定されるものではありません。

田舎で農業をやっているお婆ちゃんの90度に曲がった腰と、それでも達者に歩いていく姿には言葉にできない時間の積み重ねの凄みを感じます。日々と向き合った結果として素晴らしい世界を見つける人もいるのです

しかしそれはあくまでも日々の暮らしの繰り返しに真摯に向き合い続けることができた結果です。マクロとミクロは結局のところ繋がっているのです。

都心の利便性はそういった自然界の圧倒的な情報を薄め、結論だけを簡便に与えてくれます。圧倒されたり、向き合うということをしなくても良いのです。

日々の小さな物事から宇宙を発見してみてください。

そしてそれが難しければ山に来て圧倒的な自然の中に身をおいてみてください。もちろん海でも良いでしょう(僕が案内できないだけですが)。

便利さからどれだけ離れることができるのか。

便利さに取り込まれてロボットになってしまうのか。

選び取るのはあなたです。

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