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【児童発達支援センターB園⑦】B園で出会ったアーティスト、DAIKIを紹介します

このnoteでは、女の子として生まれ、「ちいちゃん」と呼ばれて育ってきたかつての自分。男性として生き、「たっくん」と呼ばれ、福祉の専門家として働いている今の自分。LGBTQ当事者として、福祉の現場に立つ者として、「生」「性」そして「私らしさ」について思いを綴ります。(自己紹介もぜひご覧ください)
前回に引き続き、児童発達支援センターB園のことを中心にお話しさせてください。今回の記事はセンターの卒業生DAIKIとDAIKIのお母さんにもご協力いただきました。
★★これまでのB園の物語はこちらのマガジンからご覧いただけます★★

私のnoteのトップ画像のイラストは、とても素敵な絵だとたくさんの人に楽しんでもらっています。

この絵の作者であるDAIKIと出会ったのは15年ほど前。児童発達支援センターB園に通う子どもの1人でした。

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自閉症で多動性が高いDAIKIは、ひと言で言えば「めっちゃ手のかかる子」でした。

例えば、給食のあと、多くの子どもは共有スペースでみんな一緒に遊びます。でも、私が出会った頃のDAIKIは、感情面や行動面でのコントロールがうまくできず、ほかの子を叩いたりすることもあったため、別の部屋で1人、三輪車をこいでいました。それこそ暴走族のように猛スピードで。

手のかかる三輪車暴走族のDAIKIも、その後、どんどん成長していきます。中学校からは電車に乗って1人で通学できるようになりましたし、スイミングスクールにもひとりで通えるようになりました。

何度か電車の中でDAIKIと偶然出会ったことがありました。いつもDAIKIの方から私を見つけて、「田崎先生!」と声をかけてくれるんです。

彼の夢は、大好きな電車に乗って、大好きな放課後デイサービスに就職して、スタッフとして子どもたちと関わること。いつかその夢を実現するために、今はお母さんが経営するお花屋さんでバイトして、社会経験を積んでいます。

DAIKIに、私のnoteのために絵を描いてほしい、DAIKIが書いてみたいと思うものを、DAIKIが好きなタイミングで書いてくれたらそれでいいからとお願いしました。18歳になったDAIKIは、「お仕事頑張ります!」と私の申し出を快く引き受けてくれました。

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DAIKIからはいろいろな題材の作品が送られてきています。DAIKIのお母さんは「好きな人から、好きなことを頼まれたのがとてもうれしいようです」と家での様子を教えてくれます。

DAIKIは、動物のサイを緑で描いたり、大仏さまをピンク色に塗りほっぺを紫に塗ったり、見る者をハッとさせるDAIKIならではの感性を持っています。

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いつか、私の顔を描いてもらえたら、noteで披露したいと思います。おたのしみに。

追伸:「パラリンピックの聖火式に選ばれて参加したよ!」と、最近の写真を送ってくれました!

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【DAIKIのnoteはコチラ!】

【これまでの「児童発達支援センターB園」の物語はこちらから】

【前シーズン「A乳児院」の物語も是非ご覧ください】

※私が「障害」を「障がい」と記さない理由は、こちらをご覧ください。


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