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対話と僕⑧:僕が『対話』で得られたモノ

・はじめに

ここまでは、僕が『対話』に参加した人の反応や変化、僕が体験したことから再現性がありそうなものをまとめてきた。
以前もどこかで述べたように僕は『対話』を新たな思考や意味・スキルを身に付けるためのツールだと思っているので、再現性は一つのキーワードだった。
その中でも特に僕が可能性を感じているのは『真っ当に批判し合う能力』であり、これを身に付けるために『対話』をどうやって使っていくかを考えているわけである。
引き続きこの能力の意味や必要性を掘り下げていこうと思っている。

今回は再現性は一旦棚に上げて僕自身が『対話』で得られたことを書いていこうと思う。
前述の能力を掘り下げていくためにも、改めて自分のことを言語化しておくことも必要なんじゃないかと思ったからである。

・僕が『対話』で得られたこと:発言の価値

一昔前の僕は、『正解しないといけない』『不正解だと恥ずかしい』『採用されないと意味がない』といった考え方が頭から離れず相手の意見を否定することでこの辺りの希望をかなえていたように思える。
加えて自分に自信が無いことも重なり虚勢を張っていたとも言える。
『対話』を通じて色んな意見に触れることでこうした感情を少しずつ抑えられてきているんじゃないかと思う。

その理由の一つとして『発言の価値』に気付かせられたことが挙げられる。
何か一つを選択しないといけない類の対話や仕事上の打ち合わせで自分の意見が採用されないことはよくあることだと思う。
前述のとおり、そういった結果は僕にとって苦痛でありストレスがたまることだった。

そんな中、とある仕事の打ち合わせで決まりかけた意見に対して天邪鬼的に批判的な意見を発したところそこから色んな意見が表出して議論が活性化した。
結果的に自分の意見が採用されたわけではなかったが、決まりかけていたものとはかなり違った意見に到達した。
打ち合わせの後に同僚から「あの意見から議論が発展してよかった。今回の件はじっくり話し合うべきだったから」というフィードバックを受けた。
もちろんどんな打ち合わせでも天邪鬼的に意見をかき回すことが正解というわけではないが、発言自体に意味があることを実感できる経験だった。

採用されなくても結果に影響を及ぼす発言があることを初めて体験した出来事だったかもしれない。
この経験を通じて、発言が議論を活性化させる、採用されなくても他者の意見を強化する、といった『発言の価値』を意識するようになった。

これと同じような体験をマネジメントの文脈でも何度も体験した。
また、発言することで前提のズレに気付いたり、固定概念から脱却できたりと『発言の価値』を体験することが多かった。

・僕が『対話』で得られたこと:自己受容

前述のように『正解しないといけない』などといったような感覚を持ちつつ、常にどこかで『周りの人に比べたら自分なんて』という感覚を持っていた。
コンプレックスにまみれていたこともあって、とにかく自分に自信が無かったんだと思う。
そんな中で対話を通じて『発言の価値』を実感する経験を重ねることで『自分自身の価値』を感じられるようになっていったのかもしれない。
今思えば自己有用感や共同体感覚に近いものだったのだろう。

正確に言うとすべてを受け入れられているわけではなかったが、『対話』を通じて『自分』というものの理解が進んだことは確かな感覚としてある。
他者の発言によって自分を再発見できたり自分の意見を強化する経験をすることができたことが『自己受容』のきっかけになったんじゃないかと思う。
何かに作用しているということは自分や自分の意見に意味があることだよな、という感覚を少しずつ持てるようになっていたような気がする。

・僕が『対話』で得られたこと:他者への興味関心

前述のような体験に繋がるものとして、ポジティブな意味で相手がどう感じているかを知りたいという意識をもともと持っていたのだと思う。
自分に自信が無いからこそ、視点が他者に向かっていたのかもしれない。
結果的に『対話』するうえでは大事なポイントを押さえられていたようにも思える。
加えて『発言の価値』や『自己受容』という感覚が備わったことで、いわゆる『空気を読む』という行為ではなく、純粋に他者に興味を持って意見を引き出すようになった気がしている。
そうして引き出した意見が自分を変化し強化させていく感覚を覚えるたびに、自信が無かった自分にとって『対話』というツールが重要なモノになっていった。

近年流行りの『傾聴』や『他者受容』というキーワードも根本的には『他者への興味関心』から始まるものだと思っている。
「傾聴や他者受容がコミュニケーションには大切です」といった月並みな話よりは「自分を理解するためには先ずは他者への興味関心が必要です!」という方が僕にとっては納得感がある。
その結果、相手の意見を評価するのではなく理解して掘り下げることの有用性を感じていたのかもしれない。

これはとても感覚的な話になるのだが、ここまで述べてきた項目の根本にこの『他者への興味関心』があるように思える。
特に僕は前述のとおり自分に自信が無いところからスタートしているのでメタ認知や自己受容を避けてきたところがあった。
『対話』を通じて他者の意見に触れ、自分の意見を批判してもらい、新しい発見をするというループを繰り返すことで強制的にメタ認知や自己受容が進んでいったように思える。

ここまで紹介してきたことは僕が何度も『対話』を体験することで得られたものなので、いわゆるスキル的な側面があると思う。
普段のコミュニケーションにも役立つスキルだと思うので、これらを身に付けるための『対話』の場があってもいいのかもしれない。
そういう意味では前回紹介したような『匿名対話』は有効かもしれない。

・書籍紹介

今回は『対話』という文脈ではないものの、他者との間に存在している『違い』にフォーカスして分かり合えなさと向き合う方法を教えてくれている『他者と働く──「わかりあえなさ」から始める組織論』を紹介したい。
『技術的問題』『適応課題』『ナラティブアプローチ』などの概念を学ぶだけでも十分様々な場所で活かせる概念を学ぶことができる。

技術的な解決が難しい課題である『適応課題』の種類を4類型に分類し、解釈の枠組みである『ナラティブ』の溝を埋める為のプロセスを4つに整理して示してくれている。
それらは組織に属する他者との『ナラティブ』の溝に橋を架けていく方法に繋がっている。
『対話』の重要性は方々で語られてきたが、本書では『対話』の為に何をすべきかが丁寧に述べられている。
個人の時代と言われてはいるが未だに組織の力は大きく今後も組織の力が必要である事は変わらないと思う。
本書のタイトルである『他者と働く』事をより良くしていくために必要な事が述べられており、現代だからこそ必要な考え方だと感じた。

・最後に

随所で述べてきたように僕は自分に自信が無く複数のコンプレックスを抱えているので、前述のような経験ができたことは運が良かったと思っている。
『対話』でコンプレックスが解消する!という話をするつもりは一切無いが、少しだけ前に進めたような感覚は掴んでいる。
前述のように正解に拘らなくなったり、相手からの批判を受け入れられるようになったのは事実だと思う。

なんだかんだで他者との繋がりを無くすことが現実的でないのであれば、そういった場をどうやって活用するかを考えるべきなのかもしれないと思っている。
その為のスキルや成功体験を積み上げることができるツールが『対話』なのかもしれない。
他者の意見を受け入れることが自分にとって如何に大事なことであるかを体験できるツールが『対話』なのかもしれない。
僕が開催した人の多くが同じような体験をしてくれているので、今後もこの『対話』をどうやって活用していくか考えていきたいと思う。

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