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『あたりまえなことばかり』 池田晶子

当時ブログに書いた文章をnoteに載せてみたくなりました。

=2007.03.06の記事=
『あたりまえなことばかり』 池田晶子

私のブログのキーワードのひとつに間違いなくあるのが、「考える」ということ。あるものについて考えてみたり、自分なりに捉え直してみることで、新しい発見をしたり、新しい価値を見出すことは、とても楽しいことです。

その楽しさを教えてくれたのが、先日亡くなった池田晶子著の『あたりまえなことばかり』でした。どういった経緯で手に取ったかもう忘れてしまいましたが、哲学書らしからぬ洒落た本の体裁。パラパラとページをめくると易しい言葉で興味深いことが書かれて、思わず引き込まれてしまいました。

実は以前にもこの本の内容を引用したことがあります。

「言葉は命である」という記述を引用したのですが、今でもそれは私の心の真ん中に息づいています。

さて、ここでクエスチョンです。3つの問いに答えてください。

「死ぬということはどういうことなのだろうか」
「宇宙の果てはどうなっているのだろうか」
「なぜ人を殺してはいけないのだろうか」

これらの問いに、あなたならどう答えますか?

***

佐世保小六女児同級生殺害事件が起きたとき、インタビューに答えた先生は、こう言いました。

「生徒たちに命の大切さを教えなければいけない」と。

このとき私が感じた違和感を、今なら言葉にすることができます。
先生、なぜ人を殺してはいけないのか答えを教えることができますか?

池田晶子はこんなことを書いています。

「生死」「宇宙」「善悪」等、完全に人間の本質としての知識について、人は人に何かを「教える」ことなどできるのだろうか。

そして、こうも書いています。

自ら考えさせること。考えて納得させること。それ以外に善悪を教育することはできない。

そう、私が感じた違和感はこう言い換えれば解消します。

「生徒たちと一緒に命の大切さを考えていかなければいけない」

これなら納得です。

***

さて、では3つの問いに答えてみましょう。もし子どもから尋ねられたら、あなたはどう答えますか。今なら私だったらこう答えます。

「そんな大事なことは人から教わるものじゃない、自分で考えろ。」

考えることの大切さを、池田晶子は何度も繰り返し書いています。

子供であれ大人であれ、人は不思議に目ざめることによって、自ずから矩(のり)を知るのではなかろうか。無理に道徳や哲学を教え、学ぶ必要もない。不可解な大宇宙に生き死ぬ不思議、この感覚に目ざめるだけで、じつは十分なのではなかろうか。この感覚は、ある意味で、畏怖する謙虚さのようなものだからである。

「生死」「宇宙」「善悪」。考えても考えても分からない不思議。

科学をもってしてもすべての謎をいまだ解き明かすことはできていません。その事実に気づいたときの驚き。その気持ちを大事にしたいと思います。

「驚きを忘れるな」
この本に出てくるメッセージの中で、特に印象的なものです。

人は驚きを忘れたとき、おごりが生まれ、おそれを無くす。

知らないものを知りたいという欲求。知らなかったことを知ったときの驚き。どうなってるのだろう。なぜだろう。そこから考えるという行為が始まります。それが人として生きるための出発点です。

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