GW明け、大学憂鬱、バイト行きたくない。好きにするのだ
GWが明けて今。5月6日。我が同志社大学では振替休日から授業が始まる、祝日を満喫する家族を横目に風を切りすぎながら自転車を漕ぎ、大学へと向かう。
学食で昼食を食べる。混んでいる、いつでも混んでいる、疲れる。味は普通に美味しいいつも通りの喧騒、渋谷みたいだ。いや、原宿だ若者が多いし。大学の授業の始まりのベルが鳴る。少し遅れて行こう、遅くなって周りを見渡すと人が多い学食の外にはもう誰もいない、誰もいなくなったんだ。嘘をつきながら生きているみたいな感じがする。1年ぶりくらいの友達に会った。そいつはよっ友ではないので、今度飯行こうぜ。と本当の気持ちを言った。大抵の口約束は守られないのが少し悲しくもある大学4年生の春だ。
もうほとんど合わなくなったし会わなくなった人がここ同志社大学には多く多くいる、小中高とは比べ物にならないくらいだ。まあそんなものだと斜め上を見ながら、電車に乗る。歩く速度が速いのはここにいたくないことの表れなのか、憂鬱の中大学に行くと、いつも授業に行く意味を見失う。つまらないとかいうつまらない言葉で片付けられるような感情ではない、だからと言ってクソバンドマンが使いがちな憂鬱とかいう単語に片づけさせたくもない。
僕だけ時計の秒針が半分記憶的速度で進んでいるみたいで。
ご立腹したがる大人や親にはもうなんと言えばいいかわからないくらい大学生活モラトリアムをしてしまっているようです。
いろんなことがいろんなスピードでそれぞれ終わっていき、また終われば始まるという当たり前の事象を繰り返す。そんな日常を鼻歌で誤魔化す毎日、もう夏から始まるインターンや、単位が取れる気がしない第2外国語(いまだに1年生と同じレベルにある)、来る真夏の海辺に心を弾ませながら少しだけアイドルの歌でも歌う、木綿のハンカチーフみたいな。あとはやっぱりスピッツの青い車とか渚、スパイダー、ひなたの窓に憧れてをかけてドライブに行きたいですよね。君と海を見ながら。最近ハマっているSTU 48の風を待つ、出港、思い出せる恋をしよう、青春各駅停とかも夏にぴったりハマる最高だな。君は現れてくれるのだろうか、、、果たして得てして、まだ若いしいや若さとか関係なく恋くらい楽しくしたいですよね。恋ってどんな味だったかも忘れた。忘れて味覚障害にでもなるその前にそんな柔らかい感情が僕の目の前大事な場所に現れて、それに気づくのを待っている。気付かなければ、ユーラシア大陸からやってくる春風にでも流されて台湾くらいまで飛んでいってしまうのだろう。
何が書きたいかわからない、でもだからこうやって文章を今も書いているのだろう。目的とか意味とかそういう堅苦しいものがはっきりと見えてしまうほどつまらない生き方はない。意味のないことが周り回っていつか意味になるのだからそんなことに悩まされている過去の僕には迷ったらいけ!とそれだけ言いたい。失敗の数があなたを作るのだから。恥をかいた数があなたの魅力になるのだから。だからカッコつけてすかして何もやらない事がかっこいいと思ってるそこら辺の大学生みたいには成り下がらないでほしいな。群れて騒ぐことしか脳がないのはね、確かに群れて騒ぐのは楽しけどそればかりして後悔の数がそれに比例するのなんて御免じゃない?疑問符か読点か迷いながら、マヨイガ。
その時々に聴きたい曲、見たいものがある、常にそれが一致するなんてことはないのだ、だから芸術やエンタメが存在するんだ。死にたい夜と、生きる幸せの朝に聴きたいものや見たいものが同じな訳が無いでしょあなたよ。出来れば続いて欲しい想いに思い出に名前なんて、必要ないし、この書いてる文章の意味も自分でよくわからないけど、噛み砕いて砕いて石橋を叩くではなくてただあるがままに生きたいことの表れなのかな。
不眠症が再発して、音楽が書けると言うならもうそれでもいい。なんだっていい応えてくれ。ネガティブな感情をポジティブに吐き出せるほど僕は強くない。でもだからと言って誰かにこの感情をぶつけるほど弱くない、自分の気持ちは自分でしか変えられないから。そんなこと教えてくれてありがとうね。
もーーそうですそうそう、訳もわからず行こう今日の俺、私、自分、君、あなた、お前ら、みんな。
ではまたつまらぬ紀貫之みたいな紀行文をたらたら書こうと思う。サザエさん的日常に捧ぐ。手紙みたいなものは書けないけれど
みなさん、5月病とかいう言葉にくれぐれも騙されないでね。
日によるから心の調子なんて。5月だから、、とか言ったら5月生まれのあの子が可哀想でしょ!全くもう!
お元気でいてくれれば、それでいいのです、ではではまたねありがとうね
田村シュンス
あなたがファッキン幸せでありますように