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映画ができるまで 〜アイデアの集め方3〜


前回、前々回に引き続き、映画「冬のほつれまで」のアイデアの集め方について書いていきます。

これまでのアイデアの集め方の記事は下のリンクからご覧ください↓

前回は社会を知ることでアイデアのもとを集めることを紹介しました。
今回はアイデアの集め方シリーズの最後として全てを疑うというのを紹介します。

これまで日常の観察や社会を知ることで、アイデアを集めたり自らの考えを明確にしてきました。ですが今回はそれらをひっくり返すようにアイデアを全て疑うことをします。
そうすることで新しい視点や疑問が浮かび上がってくるので、今まで気づかなかったアイデアに出会うことができます。
常識や固定概念などにも疑問符を投げかけて、本当はこうなのではないかと考え直すことが大切になってきます。

1.なぜ疑うのか

僕自身は見つけたアイデアが必ずしも面白いものであったり良いものであるとは限らないと考えています。そのアイデアで押し進めることは自らの傲慢な考えである可能性もあるからです。アイデアの反対側が発する意見というか、声も大切にしたいという思いが根底にあります。

例えば、あなたがそろそろ新しいスマホに買い換えたいなという時を考えてみてください。そのタイミングに広告で新しいiPhoneが発売することを知ります。すると無性に欲しくなったりしませんか?

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一度欲しいと思うとなかなか抜け出せないもので、その商品を購入するまで気持ちが治らなくなったりします。
しかしその商品はあなたにとって本当に必要な商品でしょうか?その商品は今使用中のスマホの満足いかない部分を改善してくれますか?もしくは新しいiPhone以外の別の機種、または他のメーカーが出しているスマホではその悩みを解決してくれないのでしょうか?
というか今スマホを買い換えること事態必要ですか?今使っているものでもまだ十分使えるのではないでしょうか。自分が買い換えたいと思ったタイミングで広告を見たせいで欲しいと錯覚しているだけかもしれません。

考えるとキリがないですが、買い物ひとつとっても一度思いついた思考はなかなか払拭できないと思います。自らの欲求に従うのも勿論悪くはないと思います。ですがこれを続けていくと、人の意見に耳を傾けず傲慢な思考に陥りやすくなるのではないかと僕は考えています。

だからこそ思いついたアイデアを一旦全て疑うという行為が大切になってきます。疑うことで見えてくる反対側の意見が実は真意であることもあります。広い視野で物事を考えると、生まれたアイデアがまだまだ未熟なものであると気づかせてくれます。

2.それは自身の考えなのか

それでは僕の場合、「全てを疑う」という行為をどのように取り組んできたのか、これから書いていきたいと思います。

前回の「映画ができるまで 〜アイデアの集め方2〜」という記事の中で、僕は社会勉強のためにニュースをよく見るようになったと書きました。そうした数々の情報を取り入れていく中で、僕の中である疑問が浮かびました。

それは人々の大半は無意識のうちに多数の意見に支配されているのではないか、ということです。

どういうことかと言いますと、例えばみなさんはこのような体験、もしくは似たような経験はありますか?

高校のホームルームで文化祭の催し物について議論しています。たった今、お化け屋敷かたこ焼き屋台の二択にまで絞られました。あなた自身はどちらにするかまだ結論を出していません。ホームルーム代表から多数決で決めるとアナウンスがあり、挙手で意見を募ることになりました。どうやらお化け屋敷の方が挙手している人が多いみたいです。

さてあなたはどちらに挙手をしますか?

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おそらく賛成意見の多かったお化け屋敷に手を上げる人が多いのではないでしょうか。その時に何となく手をあげていませんでしたか?
その何となくという感覚はいったいどこから来るのでしょうか?

このように知らずのうちに誰かの意見に賛同していることがあります。場の空気を読んで自分の意見は主張しない。日本ではよく「村社会」と呼ばれたりします。こうした誰かの、周りの意見を取り入れることで、いつの間にかそれを自分の意見として認識しているのではないかと、僕は考えます。

日常生活に落とし込んで考えてみると、テレビのニュースやTwitterの書き込み、口コミなどで手に入れた情報を正しいと言わんばかりに日常の会話などで取り入れてはないでしょうか?その情報は本当に正しいのでしょうか?

正しいかどうかも判断せずに情報を発信してしまうこと、僕も勿論あります。そうなってしまう原因はやはり、「楽」だからだと思います。受け取った情報の正しさを考えるのは面倒くさいことです。考えない方がずっと楽なのです。だからといってそのまま考えなしに取り入れていくと、次第に意見が統制されていくようにも思えるのです。

3.事件の報道姿勢に対して

僕はこの映画制作の前にたくさんに事件やニュース、出来事を調べました。人の死とは何かについて興味を持ち、第二次世界大戦や原爆のことを調べたりしました。そのことについては前回の記事でも書いています。
そこから発展して戦後史上最悪の無差別テロとなったオウム真理教の地下鉄サリン事件のことを調べました。オウム事件の被害やどうしてあんな悲惨な事件が起きたのか、人の心はどこにあるのか、疑問はつきませんでした。
するとだんだん死刑制度そのものに興味を持ち始めました。死を持って罪を償うとはどういうことか、死んだらそれ以上の痛みを伴わずに済むから罪が軽いのではないか、いやでも死ぬことは生きることを奪われることであるからやはり重い罪なのではないかなど、答えのない問いにずっと向き合ってました。

そんな中で世間を揺るがす大きな事件が2つ起きます。

・川崎市登戸通り魔殺人事件
・京都アニメーション放火殺人事件


この二つの事件は2019年に起こったものです。どちらも多くの尊い命が犠牲になりました。この事件を起こした犯人の行動は到底許されるものではありません。どんなに罪を償っても償い切れないほどの大きな過ちをしたのは事実です。そこは間違いありません。
ただ、僕がこの事件を通じて疑問に思ったのは犯人の行動ではなくメディアの報道姿勢に対してでした。

当時テレビのワイドショーなどで連日取り上げられていたこともあり、事件の詳細について日々情報が入ってきました。その中で報道各社は被疑者の生い立ちや幼少期を取材し、引きこもりがちで友達がいない子であったと伝えていました。一見何気なく捉えることもできますが、僕にとってはそれがとても不可解に聞こえました。
なぜなら今回起きた殺人事件と幼少期の生活環境はなんの因果関係もないからです。
考えてみてください。この報道をすることで視聴者に与える影響は何なのか。おそらくこういうことだと思います。

”引きこもりがちで友達のいない、一人で生きるような人間は殺人事件を犯す犯人になりうる”

引きこもりや友達がいない人間が必ず殺人を犯すのでしょうか。決してそうではないと思います。可能性がゼロとまでは言えませんが、そんなことを言ったら誰にだって殺人を犯す可能性はあるのです。
こうしたマスメディアと言われる大きな組織が大々的に報道することによって、無意識のうちに集団で属することが正しく、一人で孤立した人間は社会不適合者だと植え付けているのではないかと思います。絶対的に正しいと主張することは同時に誰かを迫害することにもなりかねないのです 。
そのような小さな言論の積み重ねが多くの人たちの意見を徐々に支配しているようにも感じます。同時にその力により抑圧されてきた人たちが反発することで悲惨な事件が起きてしまうのかもしれません。

4.一人で生きる美しさ

このようなことを考えた結果、僕は一人で生きる人間を肯定したいと思うようになりました。
一人で生き抜くことは想像以上に大変です。しかしどんなに世の中から迫害されていても、自分の信念を貫いて生きる姿はとても美しいことではないでしょうか。そんな人間にこそスポットライトを当てるべきだと思いました。
そこで僕は、誰の意見にも左右されず一人で生きる少女の物語を描こうと決めました。

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もともと作品を構成し始めた時のテーマは「自分の大切にしてきたものが誰かに認められる」というもので、他者との繋がりで自身の存在価値を確かめるというものでしたが、この考えになってからは「誰にも認められなくていい。自分自身さえ認めればそれでいい」というテーマに変更しました。
他者によって救われるのではなく、自らの力で生きていく力強さに焦点を当てることで、主人公を通して周りの人間が変わっていく物語になるのではないかと考えました。

まとめ

これまで3回の記事に分けてアイデアの集め方について紹介しました。アイデアを集めるのは非常に大変な作業です。常に考え事をしながら過ごしていると、何が本当に正しいのか分からなくなりますし、疲れてしまうこともあります。しかしその生みの苦しみがあるからこそ、完成した時に何倍もの喜びとなって返ってくるのも事実です。これだから創作活動はやめられないと思う瞬間でもあります。

この記事を通して僕が映画の中でやりたいことが書かれていたと思いますが、簡単にまとめるとこんな感じです。

・植物を通して人との出会いを描く
・誰にも左右されることなく一人で生きる少女の物語にする


人との出会いを描くといいながら、一人で生きるというトンチンカンなことになっていますが、これについてはぜひ映画を観て確かめていただけたらなと思います。

次回からは映画制作においてより実践的な内容に入ります。脚本の執筆方法について僕なりの方法を紹介できればと思います。お楽しみに!

p.s.

今回の記事で紹介している、映画「冬のほつれまで」第42回ぴあフィルムフェスティバルのPFFアワードに入選しました!
9月12日から国立映画アーカイブで各作品2回ずつ上映され、9月25日に行われる表彰式で最終審査員により各賞が発表されます。
今年はオンラインでの上映もあるそうなので、皆様この機会に是非ご覧ください!
●入選作品一覧はこちら

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「第42回ぴあフィルムフェスティバル」
【会期】2020年9月12日(土)~26日(土) ※月曜休館
【会場】国立映画アーカイブ

また武蔵野美術大学優秀作品展におきましても現在映画が上映中です。こちら会期が残り1日となっています。美大を見学するついでに観ていただけたらと思います。詳細は以下の通りです。↓
令和元年度 武蔵野美術大学 卒業・修了制作 優秀作品展 【一般公開】
会期 2020年7月26日(日)
上映時間 12:19~13:27(68分)
入館料 無料
会場 武蔵野美術大学美術館 美術館ホール
参加方法 「ご来館の方へのお願い」をご覧ください。

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