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現代にポスターは必要か?【ディズニーランドの入り口で②】

本記事は、前編『一日の計はポスターにあり【ディズニーランドの入り口で①】』の続きもの。

前回は、ディズニーのテーマパークにおけるポスターの役割、そして「比較する」とはどういう営みであるかを改めて確認した。そして、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーのポスターから敷衍して、両者のスタンスの違いを見ることとなった。
今回は、東京ディズニーランドのポスターに再び舞台を戻し、アトラクションのポスターがが時代や出自によってどのように差異を持つのかを垣間見、そしてこれから先のポスターはどのような形を取るのか予想したい。

特記のない限り、写真はすべて筆者が撮影したものです

アトラクションポスターの通時比較

これ以降は再び東京ディズニーランドに舞台を戻そう。通時的比較とは、端的に言えば新旧の比較に他ならない。1983年の東京ディズニーランドオープン(あるいは元のディズニーランドでポスターが登場した1956年)から現在までの間に登場したポスターは、それ自体としてどのように変化してきたのか……これを年代ごとの特徴で分類してみようという試みである。

尚、それぞれのポスターは2022年現在に東京ディズニーランドで展示されているものを基準とする。

1. 東京ディズニーランドの1980年代

1983年に東京ディズニーランドがオープンする。先ずここでは、「空飛ぶダンボ」のポスターを紹介したい。

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「空飛ぶダンボ」はディズニーランドにもあるアトラクションだが、どうやら東京ディズニーランドのオープンを機にポスターも作り直されたようである。
ここから東京ディズニーランドの1980年代がスタートするが、ポスターのデザインの初期型とも呼ぶべきフォーマットが生まれていく。

他の例も紹介しよう。「ビッグサンダー・マウンテン」は東京ディズニーランドでも大人気のアトラクションである。それは、ポスターの素晴らしいデザインにも表れている。

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本ポスターはディズニーランド・パリと東京ディズニーランドでしか用いられておらず、西部劇の本場であるアメリカ合衆国では別のデザインが用意されている。アメリカ合衆国内の二つのテーマパークでは70年代の終わりに登場した「ビッグサンダー・マウンテン」だが、東京でのオープンは1987年であり、このポスターはオリジナルを改作したものというわけだ。

アメリカ版とフランス版、そして日本版の違いを整理してまとめてみよう。

ディズニーランドもといマジック・キングダムにおいては、ビッグサンダー・マウンテンは「レールロード」、つまり「鉄道」としての性格が強調されている。『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』に掲載されたコンセプト・スケッチ(64ページ)では"BIG THUNDER MINE&RAILROAD COMPANY"という企業名が記載されており、これは「レールロード」よりもより物語の細部に近い。一方で、フランスと日本では「ビッグサンダー・マウンテン」という山の名前をアトラクションとしている。
つづいて、エリア名は東京ディズニーランドのみが「ウエスタンランド」となっている。挙げた日本版のポスターの下部、文句と提供とエリア名が一挙に記載されている狭苦しい部分に注目して欲しい。他では、ここに"FRONTIERLAND"「フロンティアランド」とくる。これは"BIG THUNDER"に次いで二番目に大きな文字であったのだが、日本においては日本語表記が幅を利かせていて、文字は全体的に小さくなっている。
最後に標語の違いもある。ディズニーランド・パリのみが"THE WILDEST RIDE IN THE WEST!"としているようである。東京でも見られないことはないが、それでもやや異なったものを使用しているようだ。

この時代のポスターで重要になるのはやはり「アメリカが先か、日本が先か」ということである。というのも、1980年代の東京ディズニーランドのポスターの多くは、世界中のパークのものを翻訳なり改作なりして持ち込んでくることで実現していると言えるからである。1983年当時、アメリカ合衆国の両パークから輸入してきたアトラクションがワールドバザールの五つを除けば全部で二十三あるのに対して、オリジナルのアトラクションは四つしかなかった。そしてこの四つも、他のパークに設置する前提で開発された「ピノキオの冒険旅行」であったり、「ディズニーランド鉄道」に代わった「ウエスタンリバー鉄道」であったりと、ほとんと海外のものと言って差し支えないものだ。そこから1990年までの間に新たに六のアトラクションが輸入されたが、東京専用のものは「シンデレラ城ミステリーツアー」の一つのみだった。
『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』からして、1990年までにオープンしたアトラクションのうち十九のポスターが、東京ディズニーランドでのアトラクションオープン(あるいはその前年)に合わせて用意されたものであったのだ。東京ディズニーランドに設置されるおよそ八割のアトラクションがアメリカ合衆国より持ち寄られたが、私はそのうち約半数以上のポスターは新たに作り直されていると見ている。

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「カントリーベア・シアター」のポスターは1970年代に事前に作られていた。そこで、"THE WILDEST SHOW IN THE WILDERNESS"という標語の下部にスペースを作り、わざわざ仮名を挿入した。他方、「空飛ぶダンボ」のポスターはあたかもはじめから日本語を入れる予定だったかのような空間が空いている。ディズニーランドでもこのポスターは展示されたが、どうも不自然な隙間が空いている下に小さく”Disneyland"のロゴが入るという。
「白雪姫と七人のこびと」は、1955年のディズニーランドオープンから存在する初期メンバーで、「ピノキオの冒険旅行」は東京ディズニーランドに向けて新たに用意された。オープンには30年弱のブランクがあるが、両者は今や双璧を成し、その違いは釈然としないまでに溶け込んでいる。これもひとえに、同時代に同じフォーマットでポスターの作成が行われたことが一助になっていると信ずる。

2. 東京ディズニーランドの1990年代

ポスターのデザインの潮目が変わるのは1990年代。当時公開されたエリアとして「クリッターカントリー」と「トゥーンタウン」がある。

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「トゥーンタウン」は実はこれ単体がポスターとなっているのだが、着目すべきは日本語の少なさである。

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「カントリーベア・シアター」「空飛ぶダンボ」「ビッグサンダーマウンテン」その他と比較し、「スプラッシュマウンテン」「トゥーンタウン」は明らかに日本語の総量が少ない。前者は文字の大きさとしては明らかに小さく、「トゥーンタウン」に至っては遂に片仮名が当てられていないことがわかる。日本語表記はせいぜい「提供 講談社」の五文字で済ませているのである。

他の例と対照的に比較してみることにしよう。「トゥーンタウン」のポスターに見られるような90年代の革新性は、1983年に登場したポスターの影響を多分に残した改作「ワールドバザール」を見てもよく理解できるはずだ。

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どちらもここには大きく仮名で「ワールドバザール」と入っている。

そしてもう一つの例を挙げる。1983年と1998年の二度、東京ディズニーランド専用にポスターがデザインされたアトラクションといえば……実は「ホーンテッドマンション」だ。

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アメリカ合衆国、ディズニーランドにしろマジックキングダムにしろ、「ホーンテッドマンション」はファンタジーランドの「幻想」ではなく、ニューオーリンズスクエアやリバティースクエアの「心霊スポット」である。1983年版は、アメリカ合衆国で使用されていたおどろおどろしく版画のようなポスターをコラージュして仕立て上げ、日本語で「ホーンテッドマンション・ファンタジーランド」と入れてくれていたが、1998年版ではより実線的で小綺麗なイラストレーションへ変わる。日本語の文字が消えているのか、それとも諸君の目の錯覚なのか……。
ここで言いたいことは、海外のポスターを輸入してくる際に日本語を付加せずそのまま持ってくるのみならず、新たに日本版のポスターを設計する際でさえ、日本語のスペースが省かれるようになたっということだ。

いずれにせよ、「トゥーンタウン」「ホーンテッドマンション」に見られるような日本語排斥傾向が、21世紀のポスターへと引き継がれていく。

3. 日本語をはしょりたい21世紀

2001年に東京ディズニーシーがオープンすると、ポスターにも多様性が生まれてくる。また、2003年には20周年を迎えた東京ディズニーランドだから、そろそろゲストも遊び方に慣れてくる頃だ。

2001年9月4日、東京ディズニーシーが、東京ディズニーリゾートに開園した。それにあわせて、イマジニアたちはあらゆる宣伝方法を使い、パーク内のイベントを効果的に演出した。
「日本の人びとはディズニーテーマパークに詳しいので、一から始めなくてもよかった。それでも、チケットを買うときから楽しんでもらえるものを作りたかった。ポスターなら楽しんでもらえる、と思ったんだ」と話すのは、ウォルト・ディズニー・イマジニアリングのシニア・プリンシパル・グラフィック・デザイナー、ウィル・アイアーマンだ。

『ディズニーテーマパークポスターコレクション』121ページ

2000年の「プーさんのハニーハント」を最後に、ポスターにおける日本語の登場率は更にぐんと下がっていく。
そして、新たな時代の象徴とも言えるのが、2004年にオープンした「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」である。

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「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」のポスターには一文字も日本語が含まれていない。アトラクション名は最早デザインの一部と化しており日本語ではないし、「提供」は“PRESENTED BY"と変わっており、偶然か必然か“FUJIFILM”のロゴまでアルファベットということになっている。

その後のポスターを見ると、2009年、2020年にオープンした「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」「ベイマックスのハッピーライド」のみならず、2007年にリニューアルした「スペースマウンテン」と「カリブの海賊」、2008年、2014年にそれぞれリニューアルした「魅惑のチキルーム」「ジャングルクルーズ」、2015年に花王をスポンサーとして迎えた「スプラッシュ・マウンテン」、新規映画が公開されると新たなシーンが追加される「スター・ツアーズ:ザ・アドベンチャーズ・コンティニュー」など、いずれも"PRESENTED BY"の表記になっている。

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現代ディズニーにポスターは必要か?

さて、前編の冒頭に戻ると、我々は東京ディズニーランドに至るまでの間に様々なポスターを目にし、それによって胸が高鳴るということが言える。そして、それぞれのポスターはテーマパークの性質、アトラクションの性質をよく表しており、その上で時代を追って変化しつつある。

しかし、ここで敢えて踏み込んだ疑問を問いかけたい。そもそも、ディズニーのテーマパークとポスターは不可分なものとして存在するのだろうか?

SNSや東京ディズニーリゾート・アプリの登場によって、我々はディズニーパークでの楽しみ方を変化させざるを得ない。筆者の過去3回ほどの東京ディズニーシー訪問を見ると、平均して一時間弱程度を東京ディズニーリゾート・アプリに費やしている。同じくらいの時間をそれぞれスマートフォンのカメラ、TwitterなどのSNSに割り振っている。パークにいる九時から二十一時までの十二時間のうち、最低でも三時間はスマートフォンと格闘していて、長いと倍くらいになる時もあるという計算である。
東京ディズニーリゾート・アプリを用いて我々はアトラクションの待ち時間を見て、レストランを予約し、現在の時刻を確認したりする。そもそも、チケットの購入までスマホでできる! それに加えて、東京ディズニーリゾートが展開する各種SNS(Instagram、Twitter、Facebook、YouTube、LINE)は、我々がリゾートの情報と接するファーストコンタクトであるし、各種リリースや詳細な注意事項は公式ホームページでほとんど閲覧できる。

WDIで作品の管理を担当するマイク・ジャスコは言う。「ディズニーランドでは、みんなパーク内を移動する。汽車の駅もあるしね。空港や地下鉄内の広告、時刻表のように、みんなディズニーランドの入り口近くのトンネル内に掲示されたアトラクション・ポスターを見て、自分が何をしたいか、どこに行きたいか確認するんだ。(以下略)」

『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』12ページ

「空港や地下鉄内の広告」や「時刻表」といえば、現在インターネット上に代替されている分野の王道ではなかろうか?

また、別の問題もある。「東京ディズニーランド20周年のいま……」と帯に書かれた、『海を超える想像力─東京ディズニーリゾート誕生の物語』において、東京ディズニーリゾートを運営する株式会社オリエンタルランドの加賀見俊夫社長(現在は会長)は次のように書く。

東京ディズニーランドがどれほど人々に受け入れられたかを如実に示しているデータは、リピート率である。一度東京ディズニーランドに来られたゲストは、実に九〇パーセント以上が再び訪れる。

加賀見俊夫『海を超える想像力─東京ディズニーリゾート誕生の物語』72ページ

他方、これに関して『ディズニーランドの社会学─脱ディズニー化するTDR』で新井克弥氏は痛烈に次のように述べる。少々長いが、言葉遣いも含めてそのまま引用しよう。

だが、二十一世紀に入ってからのインターネットの本格的な普及によって、この「情報消費のための情報」=バーチャルリアリティーの極端な肥大化が起こる。それは、成熟したディズニーファンたちが、マスメディア経由ではなく、インターネットを通じて独自に情報を入手し始めた必然の結果だった。(中略)。
こうなると、ディズニー側がマスメディアを介してどんなに一元的な情報を提供したとしても、もはやゲストはいうことをきかなくなる。「ギズモ=ウォルト」から分裂した「モグワイ=ゲスト」は、やがて破壊の小悪魔「グレムリン=Dヲタ」へと変態する。もともとはディズニーから生まれたにもかかわらず、マスメディア経由の一元的なディズニー世界、すなわちウォルト主義を破壊する存在へと転じていくのだ。

つまり、こういうことだ。ファンのゲストたちは、インターネット上にあふれる膨大な数のディズニーに関連する情報のなかから、それぞれ任意にディズニー情報をチョイスし、これをカスタマイズして「自分だけのディズニー世界=マイ・ディズニー」を作り上げる。ただし、これはウォルトとTDR側が提供する世界観やテーマ性ともはや同じものではない。

新井克弥『ディズニーランドの社会学─脱ディズニー化するTDR』127〜128ページ

多くのディズニーゲストは、インターネットを介して自ら情報を作り、発信し、あるいは受け取り、それによって東京ディズニーリゾートの理解を歪曲していく。それにより、現実目の前に存在し、歴史的に積み上げられてきたようなウォルト・ディズニーの精神は「破壊」の対象となる。

しかし、なぜポスターなのか? なぜなら、それは移動中の人たちに語りかけることができるからだ。ポスターは一瞬で人びとの注意を引きつけて、メッセージを伝えることができる。よくできたポスターを見れば、そこに描かれた物語を一瞬ではっきりと理解することができる。絵は何千語ものメッセージを一度に伝えることができるのだ。ディズニーランドのポスターがまさにそうだ。

『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』7ページ

前編で見たポスターの最大の用途「施設の持つ物語や体験を一枚の絵によって語り、客を勧誘すること」は既に十分に代替されており、最早、達成するのは難しいと言えないだろうか? 私がnoteを書いている時点で、あるいはあなたが読んでくださっている時点で、ポスターの役割は既に死んでいるも同然なのではないか? ゲストは、ポスターによって施設を発見することを望んではいない、事前にプランされた予定を遂行することこそが目的なのだから。

これに関して言えることは、以下の二点である。

第一に、この事実はポスターのデザインから裏付けできそうだということだ。

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以上は、2020年秋にオープンした、東京ディズニーランドで最も新しいアトラクション「美女と野獣“魔法のものがたり”」である。これまでに見てきたポスターが日本語を削減してきた流れは既にご理解だと思うが、このポスターでは"Tokyo Disneyland" "Fantasyland"という表記が背景と同化し、殆ど存在しないに等しいものとなっている。加えて、「トゥーンタウン」をToontownと表記するだとか、「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」をMonsters, Inc "Ride & Go Seek!"とするのに対して、「美女と野獣“魔法のものがたり”」という日本語の名称とEnchanted Tale of Beauty and the Beastでは、そもそも施設名が異なる。
そのため、このポスターを見かけたゲストがこのアトラクションに到着しようと思っても、第一に客はどのエリアを探せばいいのかわからないし、第二に「エンチャンテッド・テール・オブ・ビューティ・アンド・ザ・ビースト」というアトラクションは存在しないということになる。展示場所さえ間違えば、このアトラクションが東京ディズニーシーのものである可能性すらありそうだ。
しかし、誰も客はそれに不平を言わない。客は「美女と野獣“魔法のものがたり”」の存在を知っていて東京ディズニーランドを訪れているし、その場所も知っているからである。客に対して幸か不幸か歩み寄ったデザインであると言えるだろう。ポスターはハイコンテクスト化し、情報伝達という役割を失い、デザインとして形骸化しつつある。

第二に、ポスターのデザインの変化は、東京ディズニーリゾートを訪れるゲストのスタンスの変化の影響を多少なりとも受けているということを考える。
これまでの議論を整理すると、1980年代、90年代、そして21世紀のポスターを比べると、日本語の量が減少していると見なすことができる。加えて、東京ディズニーランド・シーのポスターは前者が施設優位、後者がエリア優位に制作されている。これらの点を総合すると、東京ディズニーランド・シーの来歴を見て取ることができる。
株式会社オリエンタルランドのファクトブックによれば、2003年には1.6%であった外国人ゲストが、06年には3.2%に、15年には5.0%となり、その後は10%の大台へと乗った。2020年は本来、東京オリンピック・パラリンピックが開催されるはずだったが、そのための準備が長い間をかけて進められていたというわけだ。

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しかし、当の日本人客とて例外ではない。文化庁が実施する『国語に関する世論調査』の調査題目を見てみよう。
最も古い平成7年度の調査では、「外来語や外国語が増えること」の是非が問われている。その翌年「外来語(カタカナ語)の認識」や「外来語(カタカナ語)の意味が分からなくて困ること」が問われる。平成10年度に「漢字についての意識」「漢字の多様についての考え」などが登場するようになり、翌年には「国語の乱れ」という言葉が登場。2001年、即ち平成13年度には、「日本語の大切さ」「美しい日本語」などがテーマとなり、ついに外来語という単語が見出しには現れなくなる。その後、平成14年度から令和元年度まで18年間の調査で五年度しか登場しなくなる。我々は正に21世紀を境に、「異質な外国語を認める」というターンから「日本語の独自性を守る」ターンへと移っているのである。

我々の生活には、このようにして英語の存在が根付いてきた。そしてそのことは、東京ディズニーリゾートでも見て取れるはずだ。2016年6月16日に東京ディズニーランドに登場したアトモスフィアショーは、「ジュニア・ヒーローズ」や「ジップンズーム・ガイドツアー」、「ワイルドウエスト・チャンス」というように、日本語依存度が高い順序で去っていった(必ずしもそれが理由と断言するものではないが)。そして、「ジャングルリズム」「オーパス・ファイブ」「ブレイクビート・ダンサーズ」「ファン・メンテナンス」といった、言語に依存しないものが最後まで残り続けた。あるいは、「ジャングル・クルーズ」がリニューアルに際してプロジェクションマッピングや『ライオン・キング』の楽曲を導入したことも記憶に新しい。「ニモ&フレンズ・シーライダー」はピクサー映画『ファインディング・ニモ』『ファインディング・ドリー』をフィーチャーしているため、日本語が理解できずとも楽しめる。「美女と野獣“魔法のものがたり”」「ベイマックスのハッピーライド」は、音楽に日本語を使用しているが体験の核心にはない。前者は英語で聞き馴染みがあるし、後者はむしろ『ベイマックス』という映画の舞台にそぐうものである。

氾濫の時代で、美しいものに“気付き続ける”

だが、やはりポスターは「本来の役割」を失っていくのか? 仮にそうだとしても、ポスター自体は無くならないだろう。私はまだ希望はあると考えている。

移動空間の一つである電車内においても、多くの乗客がスマートフォンを操作しており、こうした現象は電車内広告の在り方にも影響を及ぼしている。たとえば、2015年にJR東日本が山手線に新型車両を導入する際に中吊り広告の廃止を発表するという出来事があったが、これはスマートフォンの操作によって乗客の目線が下向きになること から、車内上方に位置する中吊り広告への注目率低下が懸念されたことが理由の一つだったという。

天野美穂子/橋本良明『東京圏における電車内の情報行動と車内広告の効果』150ページ

筆者は最近、スマートフォンの使用を控えて極力窓の外を見たり、そうでなくとも目を休めたりしようと努める。しかしながら、多くの人はスマートフォンに目を落としているし、私もつい画面と向き合っていることがある。
だが、本調査は意外な事実を突きつける。

1.1 電車内の情報行動(性別・年代別)で示した通り、電車内の情報行動で最も多くみられたものは「スマートフォン、携帯電話を操作する」で、全体(N=2601)の62.9%が該当していた。こうした電車内でスマートフォン、携帯電話を操作する人は、車内広告も見ているのだろうか。
表1.3.1は、車内広告を見る程度に関する質問(「Q18 あなたはふだん、電車内の広告を見ますか。」)に関して、「よく見る」、「ときどき見る」、「たまに見る」 の該当率を示したものである。全体の該当率は65.6%、また、車内でスマートフォン・携帯電話を操作する人(69.8%)は操作しない人(58.3%)よりも有意に該当率が高かった。この結果は、すなわち、電車内でのスマートフォン・携帯電話の操作は車内広告視聴の妨げにはなっていないことを示唆している。

天野美穂子/橋本良明『東京圏における電車内の情報行動と車内広告の効果』156ページ

なんと、ここでは情報収集の意向がスマートフォンを優越して相関するというのだ。

もちろん、日常空間である電車と、非日常空間である東京ディズニーリゾートでは、比較はできない。手持ち無沙汰な電車内と、夢の一日を前にしたペデストリアンデッキでは、条件が揃わない。そうはいっても、いつか、スマートフォンから顔を上げてみれば、そこにはポスターが待っていると私はそう信ずる。

イマジニアは、当時の国立公園や軍隊勧誘、マジックショーや公共事業促進局、そして世界博覧会のポスターなどを参考にした。(中略)。当時の旅行ポスターは大きなもので、シルクスクリーン(絹などの孔版で捺染する方法)の技法で制作され、鉄道の駅やバス停、空港などに展示された。こうした旅行ポスターは、人びとが忙しく活動する社会で、伝えたいことを瞬間的かつ容易に読み取ってもらえるものでなければなかった。

『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』8ページ

ポスターとは何だったか? それは即ち、「東京ディズニーリゾートとは何か?」を思案することに他ならない。アトラクションポスターの源流は、忙しなく波打ち、しかし平凡で退屈な日常の中に燦然と輝いて見える「夢のリゾート」だったのではなかろうか? あるいは謀って立ち向かうものではなく、ふと電車が止まった瞬間に、ふと立ち止まった瞬間に、歯車のように動き続ける社会で一瞬噛み合って、運命的に出会うものだったのではないか? そして、東京ディズニーリゾートのポスターも正に客にとってそうした立場にあたるのではなかろうか?

東京ディズニーランドへ向かうJR舞浜駅には、JR東京駅から15分200円で簡単に訪れることができる。このJR東京駅は、JR駅で3番目に乗降の多い駅であり、駅利用者数の世界ランキングを作ればトップ10に入ると言われる(括弧内略)。
事実、東京ディズニーランド・シーの入園者のうち、62.9%が関東からのゲストである。そして、0歳から39歳までのゲストで全体の78.5%を獲得する(いずれも2019年のデータ)。彼らは東京に職場や学校を持ち、埼玉県や神奈川県、もちろん東京都や千葉県に住んでいる人たちであり、東京駅を頻繁に利用していると想定すれば、合点がいくだろう(括弧内略)。

ベイマックスのハッピーライド─ともだちよ、ありがとう|TamifuruD(たみふるD)|note

ここにおいて、ディズニーランドが中身を伴った「メリケン博物館」である必要は全くない。そこでは「物語がある」ということだけが重要視され、「どんな物語か」は全く関係ないものとなってしまう。遊びに行く目的地として選択されているに過ぎないディズニーパークは、その中身を問われていない(そしてやはり、これは「映画観に行こうよ」とも近い)。だから、ゲスト自ら物語をいい具合に拒絶していると言えるのではないでしょうか。

はじめての痛快ディズニーランド入門─四つの誤解とその答え|TamifuruD(たみふるD)|note

端的に言えば、東京ディズニーランドでゲストが見る英文は全て、アメリカ人ゲストが理解できるものとして考えて良いわけである。我々はそれを「英文の飾り」だと思って承知し見逃しているが、ロサンゼルスやフロリダでは、あれらは切実な「物語」の一部として捉えられるのである。そして、この考え方に則っているため、フランスのパークでは主言語はフランス語になるし、香港や上海のパークでは主言語は中国語になる。

今夜きっと眠れなくなるディズニーシー乱歩|TamifuruD(たみふるD)|note
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ワールドバザールの一面

我々にとって東京ディズニーリゾートが、日常の中でわずか一日だけ(シンデレラのように!)甘美な物語の中に身を投じることを許してくれるリゾートであることに変わりはない。もっとも、そこでは「物語」ではなく「物語があること」が重要になる。パークでふと顔を上げると、そこで目に飛び込んでくるのはやはり英語である。日本語は数少ないロードサインとして端に追いやられ、アトラクションの入り口でしかみることはあまりない。元々、東京ディズニーリゾートのアイディアとはそういうものだった。
また、確かに、客は自らの体験を切り貼りしてマイ・ディズニーを生み出している。それは私とて例外ではなく、否、むしろ私のこの記事こそが他のゲストの弊害として立ちはだかることになる。しかしその営みが日常の糧になるのであれば私は幸いだ。

アイアーマンは言う。「(前略)次の作業は、すばらしいポスターを作ることだった。『このポスターをわたしの部屋に飾ったら素敵だ』とゲストに思ってほしかった」

『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』121ページ

実はこれが東京ディズニーシーのポスターに向けたものであることに、信憑性のない運命を感じてしまう。

これまで、東京ディズニーランド・シーのグッズには数々のアトラクションポスターがデザインされてきた。これまで何度も登場した『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』をはじめとして画集書籍も刊行されており、『ディズニーテーマパークポスター ポストカード集』は現在第三弾を数える。先刻紹介した「ポルト・パラディーゾ・ウォーターカーニバル」や「レジェンド・オブ・ミシカ」をはじめとしてポスターは絶えず入れ換わっているから、以前に展示されていて現在見られないものはやはり懐かしいし、希少価値が高く、何よりファンも多い。そういった意味で、ディズニーパークのポスターはやはり、ディズニーパークを訪れるゲストから愛されていると言えるだろう。

東京ディズニーリゾートのポスターとはかくあるべきか。日常の中で、ふとした瞬間に目に飛び込んでくる、そういうものであるべきだろう。僅かに落ち込み、安息を求めたときに、計略したでもなく偶然出会う。そういう形になっていくのではないか。
そうして、新たなポスターの形へと進化し続けながら、東京ディズニーリゾートを象徴しながら、それでもなお当初のポスターの意義にそぐうものになると私は信ずる。そこから、私たちの日常がまた美しいものになれば、これ以上素晴らしいことはない。

世界に人間の想像力があるかぎり、ディズニーランドのポスターはずっと生き続けるのだ。

『ディズニーテーマパーク ポスターコレクション』13ページ
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第一回▶︎『一日の計はポスターにあり【ディズニーランドの入り口で①】』
第二回▶︎『現代にポスターは必要か?【ディズニーランドの入り口で②】』

参考文献

特記がないもののみ記載

みつき『アトラクション年表 - ディズニーパークwiki - atwiki(アットウィキ)』──「アメリカ合衆国からの輸入アトラクション」と「オリジナルのアトラクション」、また両者のオープン年として

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