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’23年9月4日  94歳だった祖父へ


Hello じいちゃん


9月6日私は羽田空港から釧路空港へ、妹の車で実家へ向かっていた。
玄関を開けて、いつもなら この椅子にこうして座っている祖父は仏壇の前で白いお布団に横たわっていた。

" Hello ただいま じいちゃん"
この家で生まれて育った私が、笑顔で明るくじいちゃんに声をかけられるようになったのは、7年前に祖母がなくなってから。
子供のころは孫に関心なんか無さそうな頑固じじい。
テレビのボリュームはいつも全開、ラジオで株価を同時に聞いて、日経新聞を見ながら、持ち株の記録をチラシの裏にひたすら記録するのが祖父の日課。

何か一つでも消したり、取り上げたりすると
「まだ見てる!!聞いてる!!」って感じで怒鳴られる。。。
聖徳太子かよ!!絶対全部わかってない!!
って突っ込んでたけど、孫の私も似ています^^; 

2022.7月 髪を切ってあげて笑顔の祖父

元祖イクメンで 一匹狼な転職王


祖父は昭和3年の12月生まれ。福島で次男として生まれ、祖父の父が開拓のため北海道に入植したので道東で暮らすことになった。
兄弟は男ばかり5人。近所には長男のお兄さんと、三男の弟が住んでいて、三男のおじさんは郵便局員をしていたので、クリスマスなんかになると郵便局のプレゼントを必ず送ってくれる、とってもニコニコしていて優しいおじさんだった。私はその三男のおじさんが大好きだった。

で、祖父といえば私と妹にニコニコとかしない。
むしろ、何で女に生まれてきたんだ!!
酪農家の跡継ぎできないじゃないか!!
みたいなことを言いまくるので、私はかなり祖父とは喧嘩をした。とにかく主張が強い!!

そんな祖父だけど、実は全然働かない人だったそうだ。
漁師になってみたり、農家じゃないこともいろいろやってみたらしいんだけどイマイチで、酪農家になったのはいいけど、株をやりだしたもんだから、搾乳は祖母と長男の父がやったりしていたそうで。
ダメ男じゃん!!って感じ。。父のお弁当はいつも白飯と卵焼きだけ。
それはそれは貧乏だったそうなのに、祖父は世間がどう言おうと揺るぐタイプではなかったよう。父はずっとそんな祖父のようにはならず真面目に働くと誓ったようだ。

そんな祖父だけど、イクメンだった時期もあるようで
父の下の3番目のおばさん?が生まれたときに、祖母が入院することになったそうで、祖父は近所の親戚の子供がいる叔母さんたちの家を回って、お乳をあげてほしいと、ほかの子供も面倒見ながらお願いをしたりしてたことも有ったと葬儀の前におばさんが教えてくれた。

私が小さい頃は、そんなイクメンで腰の低い人には全く見えなかったけど、祖母が亡くなりそうになって、定期的に病院に来るとチューブだらけになっている祖母をパイプ椅子に座って眺める祖父の背中が、とても小さく寂しそうで凄く心配になった。
あんなに祖母のことも全く興味なし!みたいな感じだったのに、やっぱり妻なんだなってあの時 胸が熱くなった。

ばあさんと寝るだけだ

祖父は祖母が亡くなって泣いてなかったのは覚えてる。

しかし、家から出棺になる日まで、みんなで1階で眠るときに、祖父はさーーっと白装束の祖母の隣に布団を自分で敷いて
淡々と寝る支度をしたので、当時の私はびっくりして
じいちゃん 怖くないの!?」
って聞いたら笑顔で「ばあさんと寝るだけだ」って言って布団に入って寝た。いつもは祖父のイビキがうるさいからって、ふすまを1枚隔てて寝ていた2人。 
イビキうるさい!』って祖母が起きやしないかと思ったけど、祖父のさりげない優しさにウルっとした。

特別 手をつないだりしてあげるわけでもないし、
優しい言葉をかけまくっていた訳でもない。 
一緒にいつも仲むつまじくいたわけでもない。
だけどお互いの長所を信頼して、リスペクトしてたんだって、後になって色々知って。

告別式が終わって、お骨になった祖母の骨壺を持った祖父。
「家に帰ろうか」
って父と母、私と祖父と車で葬儀場から帰った時の
あったかい祖父の表情が忘れられない。

そんな日を思い出しつつ、仏間の祖父から布団2枚分くらいのスペースを空けて、私は2晩祖父と眠った。
「じいちゃんイビキかかないでね」って言って。
大好きなオカルト動画で仕入れた、亡くなったら迎えにくるひとにちゃんと着いてくんだよーって豆知識も、じいちゃんに話してあげた。

祖父はさすがにイビキはかかなかったけど、
夜中に仏壇がバリバリカタカタ言ってて ぞわっとした。。しかしながら、私は家事で朝も早いし母を病院に連れてったりしないといけないので
眠いから寝ます!!」って感じで無視して寝た。
翌朝、仏壇の仏像が回ってた・・何がしたかったんだか。

家族を守って!!

感傷に浸り泣くのだろうか?と思った通夜の2時間前に事件は起こった。
母が「お母さん 具合悪い 血圧174 病院行きたい」と言い出した。
ギョッとしたのだけど、車を運転して連れてけるのは私だから父に相談して近くの病院に時間外で飛び込んだら、ドクターたちが急にバタバタして

ドクターヘリ!!日没だから飛べない?!
じゃ救急車!!

って声が廊下を飛び交って、え!!まさか。。。ヘリは
高いところ怖いいから嫌よ。。って思ってたら

医者に呼び出され

医師 「心筋梗塞の疑いがあって危ないのですぐ釧路の病院へ搬送します」

私 「あの救急車ってちょっと待ってとか出来ないんすか?」

医師 「タクシーじゃないんで無理です 救急なんです 
    車が来たら行きますよイイですか??」

って確認をされたので電話だけさせてくださいと断りをいれて、父と妹に連絡をし、駐車場に放置しなくてはならない車のカギを守衛へ預ける手立てをしたり、義理の弟に連絡をしてもらって搬送先の釧路の病院まで戻ってもらうよう頼んで、釧路に居る母の妹にも連絡をした。

喪服で救急車に乗るなんて前代未聞!
なんだけど、嫌な予感がしてたので病院に行く前にATMでお金をたくさん出してから行った時に母が「葬式の時に、だれかついでに連れてかれちゃうってあるからねぇ~」なんて言ってて!!変な預言は要りませーん!! もうっ!!て事態は冗談じゃなくなってるし
救急車でもドクターの説明を受けつつ、各所に連絡をしつつSNSにも一応投稿?!
じいちゃん!お母さんをまだ連れてかないでね!!ってお願いをした。 

とにかく、義理の弟君も病院で待っててくれて、母の妹のおばちゃんも間に合った。実は数時間後には釧路を出る時間だったそうで、さっと入院セットを詰めて持ってきてくれていた!! おばちゃんの娘は看護師なので、搬送先の看護師さんたちも知り合い。本当にラッキーと感謝しかない。

ワタシの霊感先生のオバチャン

色んな同意書にサインしたり、介護施設長でこういう書類を書きなれてるという弟君に教えてもらって書いてみたり。オバチャンと一緒に来てくれた、結婚したてのいとこもお嫁さんを連れてきてて、お嫁さんもナース!で本当心強かった!! 親戚最高だぜ!って叔母さんとも久しぶりに話せてホッと一息。

はてさて、この母の妹であるオバチャンは私の霊感先生。性格も私と似ていて大好きなおばちゃん。
"オバケが見えないって思ったら見えなくなるよ~"とか、"ワタシにはなにも出来ないから、他に行ってくださいって言いなさい"とか。全部オバチャンが教えてくれた。

待ち時間が長かったので、私が彼氏と春に別れたよって不思議なエピソードもふまえておばちゃんに話したら『なんでこんなヤツなのって思ったから良かったわ!明らかにダメだったでしょ!!』
って言われてビックリ!! やっぱりなんか見えない何かで解るらしい。。
ワタシも『この人とはきっと別れるけど一緒に居てみようかな』と直感で思ったけど付き合ってた。
別れようとすると、その度に変なことが起きて怖くなって霊媒できるトランスジェンダーの人にアドバイスを貰ったことが現実になって、やっと別れられた話までした。
14年も付き合ってしまったのでオバチャンに『早く言ってよー! 私の30代を返して~😆!!』なんてケラケラ話してた。
今度彼氏がもし出来たら、先に見てね!!って約束した。
翌日からオバチャンも入院するとこだったのに、ほんとに凄いタイミング…。

母方の霊感が凄かった祖母が亡くなってから、オバチャンはスナックを始めた。オバチャンらしい仕事。
ワタシも飲食店のバイトが一番好きだったし、そのうち行かなきゃって思った。

じいちゃんは親戚と仲良くするんだぞって言いたかったのかなって思いながら、真夜中に母を入院させて120㎞の道のりをまた弟君と戻り葬儀場に戻りました。
弟くんもオカルト好きらしくて、コヤスタ見てます!!とか、コヤスタナイト行ったよー! ヤースーさん会ったよ~って話したらめちゃくちゃ喜んでた! ちなみに妹は霊感ないので、さっぱり興味ないらしい😅
介護施設の仕事してるから、怖いこと体験してないの??と話したらガッツリ見るとかは全然ないですねー。でも、居ないのにコールが来るとかは有りましたよって話してくれた。見まくってたら仕事大変だし、良いことだよ! って話しながら誰も通らない国道を車でひた走った。

もう深夜0時になるっていうのに、姪っ子2人も起きてて!パパ!!たみちゃんおかえり!!って迎えてくれて可愛くて胸きゅん!

とにかく姪っ子2人が可愛い! 実家で働いてくれてる従兄の兄ちゃんにも懐いていて、やんちゃではあるんだけど、自分たちの小さい時を見ている様で可愛くてしょうがない^^

たぶんこの子達には感覚はないかもしれないけど、何かあったら助けてあげられるオバチャンでワタシも居たいなって常々思うのです。

お母さんの代わり

とにかく、忙しいと悲しむ暇もないわけですが
母の代わりに喪主の父をサポート。

もともと難病で、病気がちな母だけど居なくなったら困るんだから仲良くしてよね!!と帰り際言っておいたけど。
6人家族で住んでいた家にはもう2人。
いつか、父と母も逝く日がくる そしたらどうしようね?と妹と車で話した。葬儀を終えて数日で母もなんとか退院できたから良かった。
母はお骨になった祖父に「じいちゃん有難う」って手を合わせていた。

本当 ありがとうしかない。
なんとか無事に帰路に着けた。
妹が釧路空港まで姪っ子をつれて送ってくれた。
上の子はバレーボールの試合で来れなかったけど、下の子が「たみちゃんの乗る飛行機見る!!!
って 帰っていいのに展望デッキで飛ぶまで見ててくれたそうで。飛行機の窓ガラス越しの遠くのデッキに、妹と小さな女の子が見えた。
めちゃくちゃ可愛い。可愛すぎて思わず涙。。

昔、同じように従妹たちの乗る飛行機を妹とデッキで見送ったのを思い出した。妹よ可愛い姪っ子を2人も産んでくれて有難うなのだ💛
じいちゃんも空へ飛んで行ってしまったのか?
株を生きがいとし、毎日書き物をしていた祖父の最後の日記は9月1日。

達筆すぎて父もおばさんたちも読めないらしいけど、今度帰ったら読んでみようと思う。おばさん達とみてるYOUTUBE CHANNELがかぶりまくっていて
めちゃめちゃ盛り上がり!
父方の家族は霊感とかはないはずなんだけど、祖母にも夢見の力があったんだよーとか、おばさんの1人は結構スピ系も信じる&検証していて。

わたしの従妹にあたる、オバサンの娘は、子供に『なんでパパとママのとこにきたの?』って聞きたくて、何度か聞いたら答えたんだよ!って言ってたり。

何て言われたのかは忘れてしまったけど、何度か聞いたらちゃんと答えたらしい!! 従妹に会えたら聞こうと思う。やっぱり不思議なことは大好きな一族。
オバサンも、じいちゃんとばあちゃんのとこに何で産まれたのか知りたいなぁ~って話した。
修学旅行みたく夜中までオバサンと話して盛り上がってたら、暗闇の中を、白と小豆色と金色の光のループがずーーっとクルクルまわり出した。20分は部屋中をまわってたと思う。

きっとオバサンには見えてない。
じいちゃんかな?? と思いながら眺めてた。

なんだかんだ大変だった祖父の突然の旅立ち。
もうすぐで49日。 

私は仕事が帰って来てから激務になるし、疲れて転んで骨折するわ。。ですが、ほおっておくと私はすぐチョロチョロするから、大人しく真面目に稼ぎなさい!ってことなのかもしれません。

今の家の近所の飲食店のマスターと話してたら、彼のお爺さんが、関東大震災か空襲を奇跡的なまわりの人からの勧めのお陰で東京から埼玉に移住することになって、ほんの数日で命を長らえたって話しをしてくれた。
たしか、親戚なのか近所の人か職場の方か。忘れたけど残念ながら移動しなさいって言ってくださった方はお亡くなりになってしまったそうだ。

うちのじいちゃんも、ギリギリあと数日で戦争にいくことになってたのに、終戦日になって行かなくて済んだって言ってたなと思い出して。

2人のじいちゃんが、生き残ったから、こうして私達はただの飲食店で知り合えた。
ほんの数日、ちいさな何かの違い。
あぁ生きてるって、あらゆる奇跡の連続なんだなって改めて感謝でいっぱいになりました。

おやすみじいちゃん
逗子の海を、海の世界を
今度一緒に潜って見せるからね


祖父が飾ってくれていた、幼い頃の私達の写真
左は今は実家にいてくれてる東京の従兄、そしてその妹の従姉、ワタシ、妹と祖父母
実家の裏の森に棲む フクロウちゃん💓
皆に幸あれ


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