「パッション」とは「受け入れること」ーー地方移住に必要な心構え
島根県出身で、東京で学校の先生として働いていた吉田英文さん。妻・あゆみさんの実家がある富山県へIターンされました。
「富山に移住しよう」と提案したのは、あゆみさんではなく吉田さんだったそう。富山へ移住後、あゆみさんは念願だったパン屋をオープンしました。
吉田さんが移住されたのは、「寒ブリ」で有名な漁師町・氷見(ひみ)市。ハンドボールがお好きな方なら、氷見の強豪校のこともご存知なのではないでしょうか。
氷見へ移住したきっかけ、そして富山での暮らしで感じることについてじっくり伺いました。
タイトル写真: ©︎北條巧磨
◎富山の「どんよりした冬」が好き。
ーーこちらが奥様がUターンしてオープンされたパン屋「考えるパンkoppe」さんですね。木の温もりがある素敵な空間ですね。
コロナが流行り始めたころにオープンしましたが、おかげさまで、ほぼ毎回売り切れています。
この店舗兼住宅には、「ひみ里山杉」を使っています。そして、建築家・能作文徳さんに設計していただきました。能作さんのご意向もあり、地域の方や建築を学ぶ学生さんたちに手伝っていただきDIYで仕上げました。温もりがあるのは、そのためだと思います。
ーー吉田さんのご出身は島根県だそうですね。
はい。高校を卒業するまで、島根の人口5000人くらいの小さな町に暮らしていました。大学進学とともに上京し、教師になりました。
ーー東京ではどんな暮らしをしておられましたか?
最初は東京の多摩地域に住んでいましたが、パン屋めぐりが大好きな妻と結婚し、素敵なパン屋さんがたくさんある代々木上原で二人暮らしをすることにしました。
妻は、いつか鳥取か島根に移住したいと言っていたんです。そして、自分でパン屋さんを開けたらいいな、とも。
ーー移住先が富山に変わられたきっかけは?
結婚してすぐに、妻のお父さんが亡くなりました。妻は一人娘で、お母さんとお祖母さんの二人暮らしになってしまったため、妻に「富山に移住しようよ」と提案しました。
かつて妻が勤めていた氷見(ひみ)市がとてもよいところだと妻から聞き、氷見に移住を決めました。
ーー吉田さんはどのように富山で仕事を見つけられましたか。
富山県の教員採用試験に無事合格できたので、富山県の高校教員として赴任することになりました。勤務校は南砺(なんと)市にある高校でした。
ーー富山へ移住されていかがでしたか。
今まで誰にも理解してもらえたことがないのですが、日本海側ならではの冬場の曇天が好きで落ち着きます。逆に東京の冬の晴れ間は何か落ち着かないというか…(笑)。
あ、車の運転は少し怖かったですね。東京で運転したことは一回しかなかったので。でも、氷見市に移住すると、自動車教習所に二回無料で通えるんです。おかげさまで、少し安心して移住することができました。
ーーどんよりとした気候がお気に召したとは(笑)。
◎商店街の空き家をリノベーション
ーー東京でのお住まいと、富山でのお住まいを比較していかがですか。
東京で一人暮らしをしていた時は家賃7万9千円、妻と二人暮らしを初めてからは12万円のところに住んでいました。
富山へ移住してからは5万円の家賃のアパートに住みました。当時、子育てしている移住者へは2万円の補助があったので、実質3万円。しかも、東京で住んでいた家に比べたら格段に大きい部屋だったので、所有しているたくさんの本を収納できる…!と感動しました。
現在は、さらに移住者や起業への支援が手厚くなっている印象です。
※現在の支援制度は、下記サイトを参照ください。
ーー現在お住まいの場所に決められた理由を教えてください。
移住してしばらくは店舗を持たず、妻は氷見市中央町商店街の「うみのアパルトマルシェ」など県内のイベントでパンを出店していました。そしてアパートに住みながら、商店街の空き店舗などを見てまわりました。
私たちが借りた空き家の大家さんは関東にお住まいで、仏壇を残しつつ、リノベーションは自由にして良いと言ってくださり、賃貸でお借りしています。家賃も、東京と比べると驚くほどお手頃です。
大家さんも元教員とのことで、私たちの取り組みを応援してくださっていて嬉しいです。移住において住まい探しは重要ですが、大家さんとの出会いも良いご縁と感じています。
ーー自由度が高い賃貸物件を見つけられたんですね!お住まいの氷見市中央町商店街はどんな場所ですか。
必要なインフラが全て徒歩圏内に揃っています。勤務先、2つのコンビニ、郵便局、銀行、保育園、幼稚園が全て徒歩圏内にあります。家の目の前には夜10時まで無料で使える体育館もありますし。
僕の暮らしはローカルライフだと思われるかもしれないけれど、僕にとってはアーバンライフなんです。人口は4万5千人の市だけれど、車なしで生活できるし、渋谷区の代々木上原より便利です。
◎「教育」ができること
ーー今はどんな仕事をされていますか?
実は、教員をやめて氷見市役所に転職しました。
ーー転職されたきっかけを教えてください。
最初の勤務校であった、南砺市の高校が閉校することになりました。なんとか閉校を止めたいと思いましたが、周りは人口減少で学校がなくなってしまうことをどうしようもないと諦めているようにも感じました。
僕の故郷である島根県は人口減少対策が進んでいて、子供の数は減っているけれど、高校の数はほとんど減っていないように思います。県外からも生徒を募集し、地元の生徒と県外からの生徒が刺激しあいながら学んでいるとも聞きますから、「学校がなくなるのは少子化だから仕方がない」というのは違うはずなんです。その諦めムードを変えるには、行政からも教育に関わる方がよいと思ったんです。
ーー吉田さんが仕事を通じて成し遂げたいことはなんですか。
「チャンスの格差をなくしたい」「機会の平等を維持したい」というのが僕のモットーです。どんな場所で、どんな家族のもとに生まれても平等であることを望んでいます。
僕は島根県の田舎で、高卒の両親のもとに生まれて、「勉強なんてしなくていい」と言われて育ちました。でも勉強がそれなりに好きで続けていたら、親は大学に行かせてくれて、家業の畳店を継ぐ必要もないと言ってくれたんです。
日本は世界の他の国や地域と比べて見ても、まだ機会の不平等が少ない国だから、僕自身も自由に学んで、職業や居住地の選択をすることができました。そのことを維持することに少しでも貢献したいと思っています。それが今は、都市と地方、そして熱意のある地域とそうではない地域で教育に関する格差が広がっています。そういった現状を踏まえて何らかアクションしていくことが大切だと思っています。
◎移住したら「1年間は受け入れる時間」
ーーこれから富山へ移住される方に、アドバイスがあればお願いします。
「なめらか移住」をオススメします。富山に限らず、都市部から地方へ移住される方は、地方のアパート住まいを経てから空き家をリノベして住むとか、県庁所在地の比較的”都会”なまちに住んでからもっと田舎へ移住するとか…。
ーーなるほど。段階を踏んで移住していくということですね。
アパート暮らしであれば、自治会に入ることは少ないし、地域とそれほど大きな関わりをもたずに暮らせるので、東京での生活とほとんど感覚は変わりません。
自治会等にも入り、地域の一員となったら、まず1年間は受け入れる時間と思うと良いと考えています。これは地域だけでなく、職場もそうです。少なくとも1年間は、自分のこれまでの経験や考えは一旦保留にして、流れについて行く。季節によって、いろいろな行事もあります。地域の方との信頼は、一朝一夕には築かれません。1年でも短いかもしれません。最低でも1年間そこに住み続けることで地元の方からの信頼感が強くなります。
東京での感覚とは違う点も多々あると思いますが、1年間はグッと堪えて、地域のルールに則って生活してみることをおすすめします。
移住先で何かを変えたいという「パッション」を持っている人こそ、一度移住先の当たり前を受け入れた方がいいです。パッションって、「困難を受け入れる」が語源なんですよ。どんなに不条理だと感じても受け入れ、観察し、町をじっくりと見つめることが、いちばんのまちづくりです。
ーー富山のお気に入りのスポットを教えてください。
家族でよく行く「うみあかり」の日帰り温泉ですね。移住後に生まれた娘は、こちらの大広間でハイハイや歩く練習をしました。移住直後、仕事が大変な時にも「うみあかり」の温泉が癒してくれました。なんと、入浴料はたったの550円です。
そして、家の向かいにある喫茶店「モリカワ」さんのランチは、たくさんのお刺身がついて700円です。喫茶店なのに魚が美味しいのが氷見らしいでしょう?
ーー考えるパン「KOPPE」さんが商店街にもたらした影響も大きかったのではないでしょうか。
店舗を地元の木材で作ったことがご縁になり、岸田木材さんの「ひみ里山杉」をパン屋の前で無人販売することになりました。ホームセンターには外国産材が多いので、「氷見にこんないい木があるんだ!」と買っていかれる方がたくさんおられて。
なんと、無人販売で集まったお金で、岸田木材さんが商店街の空き店舗を借りることになりました。
ーー商店街に好循環が生まれたんですね!
◎富山は北欧に似ている?
ーー氷見での子育てはいかがですか。
商店街は少子高齢化で、小さい子供が本当に少なく、その分皆さんに可愛がってもらっています。うちの子がアーケードの歩道を歩くだけでキャーキャー言ってもらえます(笑)。娘と「うみあかり」の温泉にいけば、常連さんやスタッフさんがみんな可愛がってくれます。
コロナ禍前には月に一回東京へ行く仕事もあったのですが、娘を連れて東京に行くと、子供連れだと迷惑がられ、冷たい印象を受けました。
一方、手厚い福祉で有名なフィンランドに家族旅行で行ったのですが、みなさんが子供と親に優しく、言葉の通じないフィンランドの方が東京よりも安心して子供を連れて外出できました。話は少し逸れたかもしれませんが、富山の子育てへの安心感は、北欧と似ているかもしれません。
ーー富山に移住されての気づきがあれば教えてください。
地元の新聞に掲載されるハードルが、良い意味で低いのに驚きました(笑)。富山県は新聞の購読率が非常に高く、記事に名前が載っていなくても、写真にチラッと写っているだけで「新聞に出ていたね」と声かけられるのには驚きです。
あとは、「発信側」になるといいことがたくさんありました。富山に来てからFacebookを始めたのですが、会いたい人は大体誰かの知り合いですし、向こうもこちらの発信を目にしてすでに知っていることが多くて。一気に人間関係が面白くなりました。
ーー会いたい方とすぐに繋がれるのが、地方の面白さですよね。
渋谷区に住んでいた時は、住んでいる地域を自分たちの活動で良くしようという発想はほとんどありませんでした。社会は自分では簡単に変えられない、上層部の誰かが動かしているものだと感じてしまっていました。
でも、氷見に来て、自分の行動が大きいインパクトを与えることに気付きました。「自分が頑張ればこのまちを変えられる」という感覚は、都会にいたら持つことができないでしょう。
ーー氷見のこれからについて構想があれば教えてください。
「偶然が起きやすいまち」に変えたいです。人口の少なさを逆に生かして、偶然の出会いを作れたらいいなあ、と思っています。
レヴィ・ストロースの著書『野生の思考』に「ブリコラージュ」という言葉が出てくるんですが、これを氷見でやっていきたいんです。
行政や会社は「ビーフシチューを作るぞ」と目標を立ててから材料を集め、調理していきますよね。そうではなく、冷蔵庫を開けて、そこにある食材で偶然を生かして作っていくのが「ブリコラージュ」です。フランス語ですが、「ブリ」という言葉が入っているので氷見にぴったりだなと思って。
劇作家の平田オリザさんが、田舎から人が出ていくのは「偶然がないから」だと指摘されていました。「都会への憧れとは、偶然の出会いへの憧れだ」というようなニュアンスで。
でも、商店街は偶然が起きやすい場所です。人の流れを意図的に作りながら、「氷見ブリコラージュ」を実現できたらいいな、と思っています。
ーー富山と東京での暮らしを比べるといかがでしょう。
東京にいた時の幸福度を1とすると氷見での暮らしは70くらいに跳ね上がりました。不満なこともあるかもしれないのですが、大局的に見れば、幸せです。東京にいるときは「稼がなければいけない」とあくせく働いていたけれど、ここではお金では測れない価値観で暮らせます。
東京にいると、ずっと消費者であり続けます。生産者や発信者になることは難しいんです。でもここでは多くの人が生産者であり、発信者でもあり、どこかで助け合える社会になっています。
例えお金の収入が減ったとしても、これだけ娘のことを思ってくれる近所の人たちがたくさんいたり、”お裾分け”をいただいたりする幸せを感じられます。「自己満足」を貫ける暮らしが氷見にはあります。
そもそも、東京と氷見では持っている「モノサシ」が違います。東京で生活されている方には、一度、地方の「モノサシ」で幸せを測ってみることをおすすめしたいです。
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氷見のことを真剣に想い、地域の可能性を最大限に引き出すために全力を尽くしておられる吉田さん。
丁寧に紡ぎ出された吉田さんの言葉からは、富山の酸いも甘いも受け入れた「パッション」を感じました。
自分にとっても幸せとは何か…。
そんなことをじっくり考えに、富山に来てみませんか?僕たち「ためスモ」は皆さんの富山での滞在をお手伝いします。
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