仕事でうつ病になった私が気づけた、本当の「自信」の保ち方。人から認められなくて良いと思えるまで。

こんにちは、環(たまき)です。みなさん、うつ病にかかったことはありますか。私は軽度でしたが1回あります。うつ病には様々な症状や原因があり、一概に説明することは難しいですが、今回は私のうつ病を経て、得ることができたマインドをご紹介します。このマインドを持てたおかげで、今までよりも人との付き合いが楽になりました。


完璧主義、仕事熱心。うつ病になりやすい素質満載な20代前半の私のマインド。


私がうつ病になったは、2014~2015年のこと。今から約6,7年前。当時24~25歳あたりでした。当時、大手飲食店で正社員として店舗マネジメントをしていました。

新しく異動した店舗には私以外に4人の社員がおり、そのうち1人は上司でした。うつ病は、この上司との関係性が原因です。わたしは4人の中でも最も若く、社歴が短かったです。とはいえ、私は仕事に対して全力投球。負けず嫌いだったので、マネジメントスキルやリーダーシップが同僚より出遅れているとは思ってはいませんでした。もちろんまだまだ未熟であることも理解していたので、いろいろ学んで成長していこう!と思いながらポジティブに働きはじめました。世界は素晴らしい、みたいなお花畑マインドだったと思います。(笑)


いろいろ教えてくれる上司。社会人スキルを身につけさせたい上司と、個性を守りたい私の若い主張。


上司は、私の成長を考えていろいろ教えてくれました。特に言われていたのは社会人スキルです。私はその大手飲食チェーンで大学のアルバイトからずっと働いてきていたので、なかなか学生感覚が抜けていないところもありました。上司は、もともとメーカーに勤めていたらしく、そういったところに感度が高かったのか、私に報連相の仕方や、上司への接し方、礼儀礼節などビジネスマナーを身につけさせて、1人前のビジネスマンにしようとしてくれていました。今思えば、とてもありがたいことだったのですが、当時の私は、社外の世界を知らないということもあり、あまりビジネススキルの重要性がわからず、ちょっと押し付けがましいなとも思っていました。なんなら、今の自分を否定されたような気持ちになっていました。

私は20代の前半から後半くらいは、自分の個性がほんとに好きで、ちょっと奇抜なファッションや、変にポジティブ思考なところとか、新しい物好きで飽きっぽいところとか、自分に自信というか、人とは違ういろんな面で自分のことが好きでした。あ、ナルシストとかじゃないですよ。このころは、仕事一直線だったので、あまり外の世界を知らなかったこともあって、余計視野は狭かったかもしれません。

そんな風に自分のことを考えていたので、上司のアドバイスは、社会人とはこうあるべき!と型にはめようとしていると感じてしまうものでした。自分の個性を大事にしたいと思っていた私は、自分が否定されているように感じてしまい、上司からのフィードバックがとても重荷に感じるようになっていました。

今思えば、自分の個性を否定されていたわけではないとわかるのですが、社会人としても大人としても未成熟だった私は、バランスをとる、ということや、上司の教えてくれることは、あくまでもスキルや手段である、ということまで察することができませんでした。ここをもっとお互いしっかり目線合わせできていたら、もっと建設的な思考ができ、良い関係性になれたはずだったと思います。


差し戻しの恐怖。出しても出してもNOと言われる計画書。悪循環のはじまり。


会社のプロモーションごとに、お店の販促計画を立てていたのですが、計画を立てても立てても、提案書類を上司に差し戻されてしまう。最初のうちは、どこがいけないのか上司も教えてくれて、私もそれを必死に吸収してアウトプットしようとしていました。

ただ、結局私の計画は採用されず、なし崩し的にプロモーションに突入してしまい、お店で自分の役割を果たせず何もできない日々。

そんなやりとりを何プロモーションも繰り返しているうちに、計画書を提出することが怖くなってしまいました。また出しても、きっと差し戻されてしまう。どうしたら上司が納得いく計画やアイデアを出せるんだろう…。私は、一人追い詰められていました。私の意見や計画に自信が持てなくなってしまい、いつものポジティブな思考が戻ってきませんでした。

マネジメントのミーティングの時も、うまく発言ができない。自分から手を挙げることもできないし、意見を求められても、話がまとめられず、何が言いたいか分からない話し方。周囲の困惑している顔を見て、余計に落ち込んでしまい、ますます自信を失い、勤務中でも涙が勝手に出てしまう。

この時すでにわたしは、軽度のうつ病にかかっていました。


決定打。地雷を踏みぬいた上司の言葉。


ある日、お店が入っている商業施設が営業中、急に停電してしまうことがありました。私はちょうどその時お店の時間帯責任者の立場で、お客様へすぐに声を掛け、販売を一時中止しました。この時、私以外に同じ社員の同僚がお店におり、この同僚がすぐに上司に連絡を入れてくれました。この後の対応を仰ぐためです。連絡後、上司はすぐにお店にきてくれ、対応を指示していきました。

そして、上司は指示を聞くわたしたちに対して、こんなフィードバックを言い放ちました。

「マネージャーだったら、○○さんみたいにすぐ報告してくれないと困る」

「○○さんだったら、こういう風にすぐ動いてくれるのに。」

上司の、同僚と比較したようなこういったフィードバックは、私の地雷を完全に踏み抜いていきました。

私はダメなんだ。わたしなんて、マネージャーに向いてないんだ。

ただでさえ自信を喪失していた私にとって、この上司の言葉は私をとても傷つけました。上司にしたら何気ないコメントだったり、なんなら○○さんを褒めたくて言い放った言葉かもしれない。でも、わたしにしたら、「お前はダメだ」と言われているようにしか聞こえなかったのです。



何時間話してみても伝わらない思い。通い合わない心。相容れない価値観。


様子が明らかにおかしい私に対して、上司は何回も何時間も話し合いの機会を設けてくれました。ある時は勤務中、シフトを抜けてでも向き合ってくれ、ある時はクローズ後に何時間も帰りの車の中で話しあったり。

すっかり自信をなくてしまい、立ち直りがなかなかできない私に対して、上司はしきりに「昔の環(たまき)ちゃんに戻ってほしい」そう言っていました。ポジティブで自信に満ち溢れていたあの頃に。私と上司は、2年前に違う店舗で一緒に働いたことがあったのですが、その時の私は若さゆえの勢いがあり、とても輝いてみえていたようです。

ですが、私はそんな上司の思いはありがたく感じつつもどこかで、上司は今の自分を見てくれていないと感じました。今のわたしはやっぱりだめなんだ。私は戻りたいわけじゃなく、成長していきたい、そうやって今迄上司に応えようとしていたけれど…上司と噛み合わない思いに悔しい気持ちになっていつも泣いていました。

上司との話し合いはいつも、私が一方的に言葉を投げつけていたように思います。私の仕事に対する考え、上司の私に対する態度で、どこか私を傷つけているのか、いくら上司に伝えてみても、上司はそれに対し相槌はうつが、納得している様子はない。そんな上司のリアクションを見て、私はなぜわかってくれないのか、伝わらないのかと悲しくなっていました。

そして、上司は、仕事中はそんな私に対して、いつもの態度を改めることはありませんでした。きついフィードバック、時には頭を軽くはたかれたり、同僚と比べては私をいじる言動。私はそのたびに傷つき、「甘えてるんじゃない」と言われているようで、そんな上司の態度をみてますます悲しくなりました。

いくら上司と言葉を重ねてみても、分かり合えない平行線。戻らないメンタル。泣いても泣いても涙が止まらない。泣きたくないのに、止められない。食欲がわかず、体重も激減し、誰とも会いたくない、気力がわかない。




「もう死にたい」。うつのピークと通院のはじまり。


私は、すでに「もう死にたい」と思うようになっていました。こんなダメな自分が居ても何も良いことはない。お店にも迷惑かけるし、上司やお店の子には嫌な思いはさせるし。そもそも就活もうまくいかなかった。東京の大学にせっかく進学させてもらえたのに、親の期待に応えられなかった。母が事故にあった時に何もできなかったし、今も家族になんの貢献もできていない。

仕事以外の自分のだめなところやコンプレックスが次々に浮かんできて、抑うつ状態に拍車がかかっていきました。自分には存在価値はない。死んで楽になりたい。ここから落ちたら死ねるだろうか。どうやって死のうか。夜な夜なそんな風に泣きながら過ごしていました。

とはいえ、本当に死ぬなんて勇気は湧くはずもなく、母がすすめてきた精神内科へ行くことにしました。診断は軽度の抑うつ状態。隔週で通院し、抗うつ剤と睡眠薬を服用しながら治療が始まりました。

薬の効き目は絶大でした。自信を取り戻すまではいかなかったですが、メンタルは安定し「死にたい」と思うことはなくなりました。病気であると診断されたことで、自分を客観的に見ることもでき、いつもの論理的思考をだんだん取り戻すことができました。


「人は誰とでも分かり合える」という世界線から抜け出し得た答え。


当時の私は、まだまだ未熟だったので、「誰とでも、向き合って話し合えば分かり合える」と本気で信じていました。だから自分の言葉で変わらない上司の態度を見て、勝手に悲しく自信を無くしていっていました。これは自分を妄信した、とても傲慢で狭量な考え方だと今なら分かるのですが、当時は、この世の真理くらいに思っていました。

しかし、この上司との関係性が原因でうつ病にかかった私は、「すべての人と分かり合うことなんて無理!!」という真実に、うつ病を抜け出してやっと気づくことができました。

価値観や考えをお互い交換することはできるけど、それに対して納得できるか、ということはまた別次元である、ということだ。

わたしがもっと大人で成熟していたら、上司の言い分やフィードバックを参考に、うまくアドバイスを取り入れながら、自分の考えに変換してうまく付き合うことができたかもしれない。

価値観や考えは、人それぞれ違って当然であり、それをお互い納得し合う必要はない。それに気づいてからは随分生きやすくなりました。無理に共感する必要もないから、相手の意見を心穏やかに聞くことができるようになったし。自分の考えを誰かに押し付けようとしなくなったし、理解されないからと言って、悲しくなることもなくなった。全員から好かれようとすることもなくなった。


自信は相手に認められてつくものじゃない。人から認めらなくても良い、と思えるところから始まる。


結局、その上司とは最後まで分かり合うことはなかった。でもそれで良いと思えるようになったのは、本当に大きな進歩だったと思う。

わたしは、上司のさらに上の上司に、今の状況や自分の気持ちを設けられた面談で伝えた。すぐに、うつの原因を作った上司は違う店舗へ異動が決まった。この当時、よくコンプライスが話題に上がっていたこともあり、上司の私への態度が問題だと捉えられて、下された社命だったかもしれない。

上司と離れることができた私は、順調に回復し、ちょっと長い休みも貰いながら、いつものポジティブ思考に戻ってきた。そして、服薬から1年ちょっとで完全に薬から離脱することができた。神経薬は急に辞めると離脱症状が酷いため時間がかかった。正直、薬は飲まなくて済むなら飲まずに回復できたに越したことはないものだと思う。

実質、会社にチクった形になったので、おそらく上司は私のことをきっと恨んだと思う。私のせいで、売り上げの低いお店に飛ばされ、上司の評価を下げたのは間違いない。でも私はそれでも構わないと思えた。なぜなら、正解などないからだ。人それぞれ捉え方や、考え方は違う。立場が変われば正義が変わる。そんな当たり前なことを、このうつ体験を通して心底理解することができたのだ。

私はもともと自信があるタイプだったが、昔は相手から認められること、評価されることが、「自信」につながり、成長できるものと思っていた。けれどそれは間違っていて、「自信」は、まずは他者との違いを認めることから始まり、ありのままの自分を赦せること。赦して、そんな自分を客観視して内省を繰り返すことができる強さのことを指していると思う。




うつ病は辛いものです。今思えば、なぜ「死にたい」などと考えてしまっていたのか分りません。ただただ自分をコントロールできない状態になります。うつ病は誰にでもかかる可能性がある病気です。もし自分に子供がいたら、もしくは教師の立場なら、きっと、他者との違いを認識し、いろんな考えや価値観を話し合うことができるような教育をしたと思います。子供のころから画一的な教育を受けてきた私たちは、周りと同じでなければ、生命が脅かされてしまうかのように錯覚する習性を植え付けられていて、無意識にそれが働き、今の日本は未だに強い同調圧力にさらされていると思うのです。同調圧力は、うつ病になりやすい素因をつくっている一つだと私は思ってます。少しでもうつ病が、日本から減ることを切に祈っています。







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