見出し画像

【2022年7月~12月】読書会セルフレビュー

【はじめに】

2022年7月から12月にかけて私は「信州読書会」様に参加させて頂いた。

この読書会は、読書会参加者同士が課題図書について対面で議論する形式ではなく、参加者が書いた「読書感想文」を主宰者が紹介してその所見を伺うといった形式をとる。そのため、参加者は事前に感想文を準備しておく必要があり、僭越せんえつながら私も感想文を書いて提出させて頂いた。また、私は過去に開催された2022年1月〜6月期間の本読書会において、自身の読書感想文および課題図書をあらためて振り返り、再点検を行った。その模様は【このレビュー記事の通り】であり、我ながら有意義な試みであったと得心していた。

ところが先月、上記レビュー記事に関してある方から次のお便りを頂いた。

玉井へ (敬称略)

こんにちは。クリバヤシです。
この度、あなたが投稿した『2022年1月~6月読書会セルフレビュー』という記事を拝読させて頂きましたので、それについて一言いちごん申し上げたくお手紙を差し上げた次第です。

さて、どうして人は憎み合うのでしょう。どうして人は戦争なんてするのでしょう。同じ人間でありながら互いに仲良くすることができないのはなぜでしょうか。これらの諸問題の原因について私は長年に渡って取り組んで参りましたが、この度ようやくその結論に至りました。それは世の中にお前みたいなヤツがいるからです。

前回、私があなたに対して申し上げたご指摘事項について、あなたは私の意図をみ取ったつもりで採点方式を大幅に変更したと述べていますが、はっきり言ってあなたは何も理解できていません。いつ私が判定要素を五項目も設定しろとあなたに言いましたか?「特別点」という判定要素は作品評価の公正さに欠けていませんか?「文学性/芸術性」という判定要素は十把一絡じっぱひとからげに定義できる代物しろものじゃないですよ。「ギャグセンス」って、それ、あなたにしか適用できない感想文作成上の都合ですよね?どうしてそんな判定要素を無理矢理ねじ込むのですか?あと、「取組み姿勢」であなたは「私事わたくしごとを根拠とした判定は行わない」とうたっているにもかかわらず、あの森鴎外先生の『余興』の判定には「当たり前のことが書かれているから」という理由で低評価を下しているけど「当たり前」って、それ、私事ではないですか?お前の当たり前って何?お前の当たり前は人類不変の根本原理だからセーフってこと?それで合ってる?勝手すぎます。そして極めつけは、おこがましくも【課題図書おもしろランキング】なる序列を掲載するという始末。始末してやろうかこの際お前を。

なぜ「文学」をランク付けするのですか。文学は各個人によって受ける味わいが異なるにも関わらず、なぜあなたの感受性だけでランク付けするのですかと私は申し上げているのです。そもそも各作品の定量的評価、つまり点数を付けないで頂きたい。あなたの判定が正しかろうが誤っていようが先に述べた通り、数値により序列を決めるといった行為は芸術性からなる文学において適当ではありません。その禁忌きんきをあなたは犯したのです。しかるにそれはあなたの独善による所業だといえます。

私が冒頭で申し上げた、人が憎み合う理由、人が戦争をしてしまう理由、それらすべての要因には独善が根底にあります。各個人が他者を省みない都合の良い思考によって強引に形成されたこの世界。これをただ「はかない」なんて言葉で片付けたくはない。こうした世界にしてしまった要因、その一端を担っているのはまさしくあなたの様な独善者の存在なのです。そういう意味では、私が長年抱えていた問題解決の糸口となったお前という存在に私は感謝していますが、これを皮肉に代えさせてここにご報告しておきましょう。

指摘事項は以上になりますが、私の言ってることがお分かり頂けたでしょうか。分かった?分からない?どっち?二つに一つ、好きな方を選びな。選べる?選べない?どっち?二つに一つ、好きな方を選びな。

今後、あなたの記事を読むことはないでしょう。
お前の未来に呪いあれ。

クリバヤシより

上記の通り、クリバヤシ様(※仮名)より頂いたご指摘事項の要点は、

独善的な態度でレビューに取り組んだり文学をランクキング形式で発表してしまうと最終的に戦争が起こりかねないから即刻やめろ。

かと思われる。考えてみると確かにクリバヤシ様の意見は一理あり、レビューにのぞむ私の取り組み方には依然いぜんとして改善の余地があるかもしれず、本件に関してはこの場を借りて謹んでお詫びを申し上げると共に、今後の改善に活用させて頂きたい所存である。前置きが随分長くなってしまったが、こうした経緯も踏まえながら、本稿では「2022年7月~12月期間の読書会で扱われた課題図書」を対象とした課題図書・読書感想文のレビューを行い、以降の読書会における作品理解のさらなる向上に繋げることが本稿の目的である。これを言い換えると、つまり、

クリバヤシよ。君は私の事を「独善」とみなしておりそれはこの世界にとっての悪でしかないといった趣旨の主張を延々と語っているが、本稿も含めた過去分のレビュー記事の表題をよくよくご覧なさい。「セルフレビュー」とあるようにしっかりセルフ・・・と書いてあるだろう。このレビューは世論調査をしたわけでもなければ読書会参加者と議論したわけでもなければ関連する論文を集計して吟味ぎんみしたわけでもない。私自身、一人で勝手に評価を行ったから「セルフレビュー」としょうしたのであり、前提として独善があって当然であるからして、私が評価した全ての文学作品における判断根拠には独善のエッセンスが含まれている。そのため、「独善はやめろ」というクリバヤシの指摘に関しては、セルフレビューという大前提がある限り私のポリシーが揺らぐことは決して無い。あきらめろ。こうしたお前の馬鹿げた指摘を例えるなら、「蕎麦屋でチンジャオロースを注文したら店員に断られてしまい憤慨しているクリバヤシ」あるいは「信号無視をしている小学生が居たので信号機を𠮟りつけるクリバヤシ」でしかない。この例え、お前には分かるまい。まあいい。また、お前が語った「芸術性からなる文学」に関して触れておくと、車谷長吉くるまたにちょうきつという作家が書いた『赤目四十八滝心中未遂』という優れた文学作品があるが、この作品で車谷は芥川賞ではなくなぜか直木賞を受賞した。読んでみればお前にも分かると思うが、この本には直木賞の特徴である大衆性・エンタメ性は微塵も無い。本書は文学性のかたまりである。にも関わらず芥川賞ではなく直木賞を獲った。それこそ選考委員および著者、そして私も含めた独善の結果ではないか。だからあきらめろ。そもそも、お前が芸術性=文学とみなしたのはお前の勝手だろう。あと、私のレビューを見て独善という発想を抱き、人が憎み合う理由、人が戦争をしてしまう理由を、私の様な人間の独善性によるものであるという解に導いたそうだが、それは短絡的かつ皮相的な物の見方であり、あらそいは独善といった態度の問題だけでなく政治経済歴史科学その他様々な要素が複雑に絡み合って戦争勃発してるに決まってんだろこのブタ野郎ちゃんと学校行ってしっかり勉強してんのか絶対してねーだろそんなんだからオマエは留年したんだろこのダブリバヤシはダブリバヤシに改名しろ学校行けバイトばっかしてんじゃねーよ授業サボってアホ面さらした恋人と遊んでて楽しいわけねーだろやせ我慢せずそんなヤツとは即刻別れろあと学生の本分忘れんなよ勉強してろ分かったな分かったら今すぐ学校へ行け行く行かないどっち二つに一つ好きな方をさっさと選ばんかいこの三下奴さんしたやっこがっ!!!!!!!!!!!
 ――――したがって、お前を俺専用モルモットとして侮辱罪とプロバイダ責任制限法の適用如何を試みることに決めたから近いうち某所にて会おう。あと、お便り397。

ということである。

【採点方式について】

今回の採点方式は、前回同様に以下の通りとする。

▼評価対象:
 
以下2点を対象としたレビューを行う。
  ・2022年7月~12月期間において読書会で扱われた課題図書
  ・私が書いた読書感想文

▼採点方式(課題図書):
判定要素を5項目設定し、それぞれの項目に対し10段階の評点を付け、その合計得点を採点結果とする(5項目×10点=50点満点)。

【判定要素】
 ・可読性/判読性・・・読みやすさ。分かりやすさ。
 ・描写力/構成力・・・風景、人物、心理等々の描写。話の全体構成。
 ・文学性/芸術性・・・人間とは何かの追求。あるいは、虚実混交の表現。
 ・創造性/革新性・・・新たな価値の創出。オリジナリティー。
 ・  特別点   ・・・上記4項目に加え、何かしらの得点調整を行う。

【評価方法】
「減点方式」を用いて評価を行う。
 ※各判定要素を評価する際、10点満点から悪かった箇所を減点していく。

▼採点方式(読書感想文):
判定要素を5項目設定し、それぞれの項目に対し10段階の評点を付け、その合計得点を採点結果とする(5項目×10点=50点満点)。

【判定要素】
 ・可読性/判読性・・・読みやすさ。分かりやすさ。
 ・論理性/妥当性・・・論じた意見および主張の整合が取れているか。
 ・創造性/革新性・・・新たな価値の創出。オリジナリティー。
 ・ギャグセンス ・・・笑えるかどうか。
 ・  特別点  ・・・上記4項目に加え、何かしらの得点調整を行う。

【評価方法】
「減点方式」を用いて評価を行う。
 ※各判定要素を評価する際、10点満点から悪かった箇所を減点していく。

▼レビューの進め方・注意事項:
◎ 課題図書
 読書会が終了した現時点であらためて作品を振り返り、採点方式(課題図書)に沿って評価を行う。

◎ 感想文
 私が書いた感想文について、他の読書会参加者の感想文を考慮に入れた上で、採点方式(読書感想文)に沿って評価を行う。

取組み姿勢
 採点方式で述べた判定要素だけを判断根拠として用いる。例えば、以下の様な私事わたくしごとを根拠とした評価は行わない。
  ・読んだけど記憶に残ってないから0点。
  ・作者の顔面が嫌いだから0点 or 好きだから10点。
  ・書籍の値段が高いから0点。

以上を踏まえたレビュー結果は以下の通り。

※下記に嘘偽りは一切ない。誓って、すべてが本音である。

【夜明け前(第二部・下巻)】

私のスマホ待ち受け画面。この男性は浪曲師の二代目広沢虎造。歯医者予約専用アプリ(画面右)のおかげで検診日を忘れなくなったよ!

開催日:2022年7月8日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス6点 
 【合計得点】      :37点
 【補足説明】      :本書には、中島敦『李陵』、シェイクスピア四大悲劇とまではいかないがまあまあ悲劇性がある(特別点+6点)。悲劇で思い出したが実は私、シェイクスピア戯曲のガチ勢です。我ながらミーハー気質なのかもしれないが、未だに『ロミオとジュリエット』とか『ハムレット』を読んでは一人で感動している有様である。が、感極まって涙を流すほどではない。そういえば小説を読んで泣いた経験というのが一度もない。映画を見てもマンガを読んでも音楽を聴いても泣いたことがない。で、見ず知らずの誰かが書いたレビュー記事を拝見すると「この小説のラストシーンでは感動して涙が止まらなかった」、「戦争の悲惨さにただ涙するしかなかった」、「離れ離れになった恋人に思わず涙がこぼれた」的なことを書いてあって、感受性の乏しい私なんかはうらやましいなあと思う。一方で、たかだか本とか映画なんかで泣くかね、とも思うがそれは悔し紛れの感情なのでまあ置いておくとして、本とか映画で泣くというのは、非常に強い共感を得たから泣いたものと思われる。つまり、作品世界にのめり込んで登場人物と自分を重ねてしまい、作中における登場人物の境遇があたかも自分の身に起こった出来事かのような錯覚ともいえる。そうしてみると、泣いたりする人というのは小説を通して毎回すごい経験をしてるんだなーと思うし、そんな経験が全くない私なんかはそういった人がやはりうらやましい。なんで泣けないんだろう。『火垂ほたるの墓』、『君の膵臓を食べたい』、『世界の中心で、愛をさけぶ』で泣いた人も多いそうだが私の場合はダメだった。まあこれは無意識のうちに「作品世界」と「読者の私」という一線をキッチリ引いてるからなんだろうと思うのでなんとかして改善したいところである。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・  特別点   :プラス8点
   【合計得点】    :35点
   【補足説明】    :感想文の本文を書くよりも、あらすじを書くのに時間が掛かった。掛かっただけあって、浪花節なにわぶし風あらすじの品質が高い(特別点+8点)。それはいいとして、島崎藤村の文章はバランスが良いと思う。「バランス」とは、表現上のレトリックの塩梅のことを指していて、あらゆる描写が文学文学してないのがかえって良く、不自然にならないような配慮がされており、そのおかげで平田国学なるものの異形いぎょうさが浮き彫りになっている。というか、あたし、小説のレトリックとか全然好きじゃないんですよ。作為性の無い自然なレトリックってなかなかお目にかからない。ってわけで、じゃあ参考までにレトリックの失敗例を挙げると、

「寄せては返す白波のみぎわ、その向こうからぼうっと現れた太陽に溶けていく入道雲、そんな夏の訪れと共に波打ち際を逍遥しょうようしていた女の姿を見て、男は身を焼かれるような思いに包まれた。」

と、これなんかは自分で書いておきながら吐き気をもよおすレベルである。「寄せては返す」の時点でもう気が狂いそうになり、いつまでそのベタなフレーズを使い続けるのかと叫びたくなり、あと「汀」「逍遥」もなんか鼻につく。で、もし上記の文章を私が添削するとしたら、

「寄せては返すのは今日がちょうど大潮だから当然さ。あっ、あんなところにフナムシがいるよ、カワイイよねと男は話しかけたが、女はそんなことよりも真夏の炎天下で日焼けしてしまうのがイヤでイヤでしょうがなく、フナムシどころではなかった。」

と、こんな感じで大幅に修正する。つまり、レトリックなんざ使ってたまるか!という意志が出まくっている。島崎藤村は露骨なレトリックをしないのが良い。プロ中のプロだから当たり前か。

【戦争と一人の女】

これは、野村と女がコンバトラーVに乗り込んで日本軍に助太刀するという本書のハイライトシーンです。あと、この女性はいわゆる「ロケットおっぱい」である。

開催日:2022年7月15日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス5点
 【合計得点】      :33点
 【補足説明】      :坂口安吾のお家芸「堕落万歳やったねマインド」が本書の主題になっており、もはや彼の人生はこれの一点張りだったものと思われる(特別点+5点)。また、感想文にも書いたが、本書『戦争と一人の女』には旧版と新版が存在する。上記の合計得点は新旧を問わず、34点とした。どっちも同じ主張だったから。どこが同じなのかというと、「戦争を通して堕落思想を女は受容するけど男は受け入れない」という点である。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・  特別点   :プラス10点
   【合計得点】    :34点
   【補足説明】    :オマエはギャグ感想文を書くのをやめたのか?調子悪いのか?それは別にいいとして、読書会の課題図書の対象は新版だったけど、私は新版だけでなく旧版もガッツリ読んで新旧両作品の比較検討を行い、その結果を感想文という形で紹介した。ああ、なんて真面目でイカしたニクイあんちくしょうなんだろう(特別点+10点)。ところで、この↑サムネイル画像みたいに、アニメキャラが描かれたアルミの弁当箱って、幼少期の私はカッコイイと思ってて持ってる友人がうらやましかった。で、親にねだってみたけど、「保温できないからダメ!」的な理由で買ってもらえなかった。あと、サムネをよく見ると弁当箱の塗装がところどころげている。これはその昔、縁日でよく見かけた「カラーヒヨコ」と同じ現象である。御存知の通り、カラーヒヨコは生まれた時から赤青緑色をしているのではなく、店のおっさんにスプレーかなんかで赤青緑にペイントされたうえで夜店に並ぶことになる。で、それを知らない子供たちは「世の中には黄色じゃない珍しい色のヒヨコもいるんだなあーお母さん買って買ってー」と親を説き伏せてヒヨコを買ったはいいが、その3日後、赤青緑のペイントは剝がれ落ちてしまい結局「いつもの黄色いヒヨコ」が姿を現すといった悲しい結果が待っている。なので、このコンバトラーV弁当箱にしてみてもカラーヒヨコ同様、購入から数日後にはイラストが剥げ落ちて「いつもの銀色一色のアルミ弁当箱」に変貌するものと思われる。だからなんなんだという話かもしれないが、このカラーヒヨコ現象のみょうは小耳に挟んでおいても損は無いような気がするとは全く思わない。

【畜犬談】

この↑犬は畜犬談に登場する「ポチ」です。もしかして俺はスベったんじゃないだろうか。

開催日:2022年7月22日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・  特別点   :プラス7点  
 【合計得点】      :34点
 【補足説明】      :太宰の生真面目ノイローゼギャグが炸裂している。そのギャグの構造は読書感想文に書いておいた。本書『畜犬談』が収録されている短編集『きりぎりす』はほぼこのノイローゼギャグの応酬であり(特別点+7)、私としては、太宰治にはこの作風をつらぬいてほしかった。なお、「ノイローゼギャグ」というのは、「主人公がどーでもいい事柄に対してウダウダと語りまくる」という描写のことを指しており、このギャグにおいて突出して秀逸なのが、これもまた『きりぎりす』所収の『燈籠とうろう』という作品であり、作中、ある女が水野という男のために水着を窃盗してそれが警察にバレてしまった際に女が語る言い訳のイカレ具合は見事である。

というわけで、『燈籠』における該当場面を以下に引用する。

========ここから========
 おまわりさんは、私を交番の奥の畳を敷いてある狭い部屋にすわらせ、いろいろ私に問いただしました。色が白く、細面の、金縁の眼鏡をかけた、二十七、八のいやらしいおまわりさんでございました。ひととおり私の名前や住所や年齢を尋ねて、それをいちいち手帖てちょうに書きとってから、急ににやにや笑いだして、
 ――こんどで、何回めだね?
 と言いました。私は、ぞっと寒気を覚えました。私には、答える言葉が思い浮ばなかったのでございます。まごまごしていたら、牢屋へいれられる。重い罪名を負わされる。なんとかして巧く言いのがれなければ、と私は必死になって弁解の言葉を捜したのでございますが、なんと言い張ったらよいのか、五里霧中をさまよう思いで、あんなに恐ろしかったことはございません。叫ぶようにして、やっと言い出した言葉は、自分ながら、ぶざまな唐突なもので、けれども一こと言いだしたら、まるで狐につかれたようにとめどもなく、おしゃべりがはじまって、なんだか狂っていたようにも思われます。
 ――私を牢へいれては、いけません。私は悪くないのです。私は二十四になります。二十四年間、私は親孝行いたしました。父と母に、大事に大事に仕えて来ました。私は、何が悪いのです。私は、ひとさまから、うしろ指ひとつさされたことがございません。水野さんは、立派なかたです。いまに、きっと、お偉くなるおかたなのです。それは、私に、わかって居ります。私は、あのおかたに恥をかかせたくなかったのです。お友達と海へ行く約束があったのです。人並の仕度をさせて、海へやろうと思ったんだ、それがなぜ悪いことなのです。私は、ばかです。ばかなんだけれど、それでも、私は立派に水野さんを仕立したててごらんにいれます。あのおかたは、上品な生れの人なのです。他の人とは、ちがうのです。私は、どうなってもいいんだ、あのひとさえ、立派に世の中へ出られたら、それでもう、私はいいんだ、私には仕事があるのです。私を牢にいれては、いけません、私は二十四になるまで、何ひとつ悪いことをしなかった。弱い両親を一生懸命いたわって来たんじゃないか。いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。二十四年間、努めに努めて、そうしてたった一晩、ふっと間違って手を動かしたからって、それだけのことで、二十四年間、いいえ、私の一生をめちゃめちゃにするのは、いけないことです。まちがっています。私には、不思議でなりません。一生のうち、たったいちど、思わず右手が一尺うごいたからって、それが手癖の悪い証拠になるのでしょうか。あんまりです、あんまりです。たったいちど、ほんの二、三分の事件じゃないか。私は、まだ若いのです。これからの命です。私はいままでと同じようにつらい貧乏ぐらしを辛抱して生きて行くのです。それだけのことなんだ。私は、なんにも変っていやしない。きのうのままの、さき子です。海水着ひとつで、大丸さんに、どんな迷惑がかかるのか。人をだまして千円二千円としぼりとっても、いいえ、一身代つぶしてやって、それで、みんなにほめられている人さえあるじゃございませんか。牢はいったい誰のためにあるのです。お金のない人ばかり牢へいれられています。あの人たちは、きっと他人をだますことの出来ない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから、だんだん追いつめられて、あんなばかげたことをして、二円、三円を強奪して、そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない、はははは、おかしい、おかしい、なんてこった、ああ、ばかばかしいのねえ。
========ここまで========

上記において、語り手の女は切実である。というか生真面目、というか阿保、いや狂気なのか、でも可哀そう、いやでもやっぱ阿保っぽい気がする。ってな感じで悲惨・滑稽のバランスが秀逸である。この説明で伝わったのか何とも言えないけど、太宰治の筆力の高さがうかがえる表記が、上記中盤における、<<いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。>> という文章であり、切実→狂気への切り替わりが唐突ですんごく良い。また、「私は牢へいれられるわけはない」という表記の違和感がものすんごい良い。この文章って日本語としては間違ってないけど、普通なら「私は牢なんて入らない」だったり「私が牢に入る所以ゆえんはない」の方が違和感なく読める。にも関わらず「私は牢へいれられるわけはない」という、どの視点で語ってるのかが不明瞭かつ、あたかも牢に入らないことが「あらかじめ決定された事実」であるかのような表記にこの女の狂気性がよく表れており、これは完全に太宰治の知的操作によるものである。で、今回の『畜犬談』のノイローゼギャグもこんな感じの違和感のある表記が用いられているが、やはり『燈籠』のイカレ具合は絶品なり。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス5点
   【合計得点】    :33点
   【補足説明】    :太宰治のギャグを落語家・桂枝雀の「緊張の緩和」理論を用いて解説した。なんて律儀な男なんだろう(特別点+5)。間違えやすいけど、「緊張と緩和」ではなく「緊張 “の” 緩和」である。緊張状態と緩和状態が同時に存在しているんじゃなくて、緊張状態が緩和へと移行するから「緊張の緩和」による笑いが生じるという理屈。ただ、今回の『畜犬談』よりも前回解説した『風と共に去りぬ』の方が表記が露骨なので、緊張の緩和のサンプルとしてはこちらの方がわかりやすいと思う。そういえば、この前実家に帰った時に『風と共に去りぬ』の映画版のDVDがあった。どうやら私の母がこの映画の大ファンらしい。で、試しに見てみたら意外と面白かった。主人公のスカーレットよりも脇役のメラニーの方が圧倒的に美人で性格も良く女性らしさ満点なのにも関わらず、総合的な魅力はスカーレットの方が上だなと感じた、私の場合は。スカーレットって、基本は小癪こしゃくなんだけど心の奥底に確固たる信念があって、今ここにある現実を前向きに生きる姿勢が非常に魅力的だと思う。あと、スカーレットは Jesus Christジーザス キリスト を連呼する割にその実、宗教に全くすがらないのも前述の「彼女らしさ」に繋がっていてこれもまた魅力である。でもなぜそれが魅力なんだろうか。小憎らしさと愛嬌が共存している性質は子供じみているけどどこか精神的に自立している、っていう矛盾した点が底知れぬ人間性に繋がっているからか。まあポジティブな人っていいよねってことにしておくか。

【野火】

というかオートジャイロって何だろう。飛行機的な何かだったと思うんだけど。

開催日:2022年7月29日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★★★★(10点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・  特別点   :プラス8点
 【合計得点】      :48点
 【補足説明】      :この本を採点するという行為、それ自体がおこがましい。とはいえ、恐縮ですが他の課題図書と同様に平等に採点させて頂きます。採点してすみません。評価してすみません。ウチのバカ息子がすみません、玉井の母でございます。不快なら殺してください。こいつが死んでも誰も悲しみませんので。僕というアホの権化ごんげがテキトーなこと言ってるだけです。僕は阿保オブザイヤーと阿保モンドセレクションをダブル受賞したこともあります、2年連続で。そんなアホがアホみたいな採点をアホなりに実施しただけです。採点してすみません。不快なら殺してください。誰も悲しみませんので。


――よし、お膳立ては終わった。
で、私は本書『野火』を戦争文学だとは全く思わない。あ、でも戦争文学と意識すれば十分読める内容かとは思う。まあたしかに「デ・プロフンディス」の章までは戦争文学だがそれ以降、著者は戦争というよりも田村という存在を通じて人間の本来性なるものの(そんなものが本当にあるのかはわからないが)徹底的な追求、そんな試みが見て取れる。つまり、本書に占める田村のウェイトが圧倒的だということで、いやたしかに発端は戦争なんだけど戦争の悲惨さはイマイチ伝わってこなかった。また、私はその辺の意図を探るべく、著者・大岡昇平の『成城だよりⅠ~Ⅲ』を読んでみたりしたが特にこれといった言及は見当たらなかった(『不慮記』に至る経緯として本書が書かれたってのは有名な話だがこれも真相不明だと思ってる)。死線に置かれた極限において自身を見失う(あるいは見出すとも解釈できる)状態をやけに知性の高い狂人が回想するという複雑な構成のため完全な読解には至ってない。というか無理だ。しかし大いに読める。というわけで、特別点プラス8点とした理由は、いくら読んでも不可解な話だがなぜか読ませる不思議な推進力があるから。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・  特別点   :プラス8点
   【合計得点】    :32点
   【補足説明】    :君はギャグ感想文を書くのをやめたの?調子悪いの?それはいいとして、特別点プラス8点とした理由は、夏のクソ暑い時期に歩いて図書館まで行って新聞資料室で戦時下の新聞を読み漁って戦意高揚について調べたから。なんてマジメ一点張りの小粋な若旦那なんだろう(特別点+8)。あと、サムネ画像↑の飛行機のオモチャなんだけど、これ、ご覧の通りパッケージはカッコイイのにいざ開封して飛行機(的ななにか)を取り出してみると、ちゃっちい。しかも飛ばない。すぐ落ちる。むかつく。完全に見掛け倒しである。こういうのなんていうんだっけ、パッケージ詐欺ってやつか。そんなわけで、子供時代に経験したパッケージ詐欺はやはりこの飛行機のオモチャに象徴されており、大人になってからのそれはAVにおける、それである。

【黒い雨】

このオートジャイロを初めて飛ばしたときは感動した。このオモチャは名作だと思います。

開催日:2022年8月5日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・  特別点   :プラス5点
 【合計得点】      :32点
 【補足説明】      :前述の『野火』とは異なり、本書『黒い雨』こそ戦争文学である。そういえば私、10年程前に広島県の「原爆ドーム」、「広島平和記念資料館」を訪れたことがある。が、それに関する所感は控えさせて頂くことにして、原民喜という作家の言葉を借りるなら「スベテアッタコトカ アリエタコトナノカ パット剥ギトッテシマッタ アトノセカイ」なる実相を垣間見た。この他に沖縄県の「ひめゆりの塔」も見学したがそこでもやはり同じことを思ったけど、そんなこともあってか、『野火』と『黒い雨』の読書感想文は沖縄戦に触れながら当時の状況をお伝えした次第である。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・論理性/妥当性:★★★★☆☆☆☆☆☆(4点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・  特別点   :プラス8点
   【合計得点】    :32点
   【補足説明】    :感想文にギャグが1ミリも書かれていない。どうしたの?何かあった?体調悪いの?だから何も思いつかないの?
それはさておき、本書の感想文も『野火』と同様、新聞資料室に引きこもって色々調べた産物であり、その努力賞として特別点プラス8点。あ、サムネ画像↑のヘリコプターのオモチャは最高に楽しかった記憶あり。『野火』で紹介した飛行機と違って、このヘリのプロペラはよく飛ぶので自分で飛ばしてそれを自らキャッチして楽しく遊んだ。と、これだけ書くと何が楽しいのかよく伝わらないかもしれない。まあこのオモチャは駄菓子屋に行けば売ってるはずなのでもし見かけた際は騙されたと思って購入すべきである。

【異端者の悲しみ】

『クズの本懐』という印象的なタイトルの深夜アニメがあった。

開催日:2022年8月19日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・  特別点   :プラス5点
 【合計得点】      :30点
 【補足説明】      :なんかの記事にも書いたけど、本書『異端者の悲しみ』はいつもの谷崎流のモチーフが一切排除されており、それは本書が自伝的な位置付けの作品だからだそう。もしそうだとして、谷崎潤一郎も割と平凡な人間だったことがかえって新鮮に感じた。その新鮮味に特別点プラス5点。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・ ギャグセンス :★★☆☆☆☆☆☆☆☆(2点)
 ・  特別点   :プラス2点
   【合計得点】    :24点
   【補足説明】    :キミはギャグ感想文を書くのをやめたのか?どうしたの?大丈夫?何か悩みでもあるの?あたしでよかったら話聞くよ?
で、この感想文は、新潮文庫版の解説に紹介されていた佐藤春夫氏の解説を、この私がさらに解説するという、いわゆる「メタ&メタ読書感想文」という斬新な試みである(特別点+2)。つまり、自分で色々考えたけど結局よくわかんなかったよという思いがこの感想文には込められている。

【Kの昇天】

これはギターのフレーズを集めた教則本。地獄のムズさを誇っている。っていうかこれが弾けたからといってそれがどーした。ギターは腕で弾くのではない。魂で弾くのや。

開催日:2022年8月26日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★☆☆☆☆☆☆(4点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス2点  
 【合計得点】      :25点
 【補足説明】      :影に自身の実体を見出そうとするという奇妙な男の話。『ある心の風景』『冬の蠅』とは違って、死への憧憬しょうけいがやけに露骨であり、そのため梶井基次郎らしからぬ作風に感じた。書簡形式で説明がなされており「K」の意思が1ミリも伝わってこない。仮にそんなものはそもそも無かったとしても、これではフィクションの感が出まくっている単なるおとぎ話である。Kという不気味な人物は良いのに(特別点+2)、それを書簡にしたせいで結果的に「全くわけが分からんヤツ」に成り果てている。「わけがわからんが圧倒されてしまう作品」というのは確かに存在するが(川端康成など)、本書は「わけがわからんがやっぱりわけがわからん作品」である。梶井基次郎は何がしたいんだ。まさか、このアタイが読み間違えているのか。お手上げだ。詳しい方がいたらご教示願います。なお、後述する課題図書の『冬の日』は本書を遥かに上回る良作なのでまた別途説明する。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★★★★(10点)
 ・  特別点   :プラス8点
   【合計得点】    :40点
   【補足説明】    :この感想文、クソ面白い。この感想文を書いた「人間の姿をしたチンパンジー」は檻の中にブチ込んどいた方がいい。にしても、数カ月に及んだスランプを乗り越えて、私の全盛期(=2020年に提出した感想文全般)がようやく戻ってきたような気がする。しかし、他のかたの読書感想文を拝見させて頂いたところ、私の渾身のギャグ「ムーンライト伝説」と全く同じギャグを書かれている方が一名いた。つまりカブった。この俺がカブるとは痛恨のミスだったと反省しており、平生へいぜいから「カブり」を異常に恐れる私はいつも細心の注意を払って感想文を書くようにしている。例えば、課題図書の読後、まず「誰もが思いつきそうな感想」を考えて、そういったことは感想文には書かず、それを避ける形で一見全くなんの関係の無い事柄を扱って感想文を書くことにしている。基本、この二点の鉄則を遵守しており、今回も本書『Kの昇天』を読んでまず「誰もが思いつきそうな感想」を排除した後、「ムーンライト伝説」というワードだけが生き残った。これをオチに持ってくためには、この「説」を用いて何かしらの手続きを踏んで本書解説を試みるしかないと考えた。で、裁判の判例といったアプローチによる様々な「●●説」を挙げて最後にムーンライト伝説でオトそうと企んだのである。その上で今回、あの「ムーンライト伝説」がモロカブリしたってことは、要するにこのネタは「誰もが思いつきそうな感想」ということに他ならない。私は浮かれていたのである。

【温泉宿】

私は小学四年生までシャンプーハットを使っていた。

開催日:2022年9月2日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・  特別点   :プラス10点  
 【合計得点】      :40点
 【補足説明】      :『雪国』『古都』なんかもそうだが、本書『温泉宿』も悲哀の調子が徐々に現れ始め、ラストシーンで頂点に達すると同時に唐突な幕切れとなり、これが劇的で非常に良い。また、本書は行間から人間関係・状況を読み解いていく必要があり、そのため読みづらさを覚えるが、それはかえって読者を作品世界に引き込むといった効果があり(特別点+10)、こうした川端康成独特の表記は明らかに意図された操作だと思われる。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★★★☆(9点)
 ・  特別点   :プラス6点
   【合計得点】    :39点
   【補足説明】    :この感想文も『Kの昇天』に劣らず馬鹿馬鹿しい。「親父の小言」って、和民とか魚民の男子トイレに大体貼ってあってとりあえず読んでみたけど大したことは書かれておらず、全て「でしょうね」的なことに終始している。あと、サムネ画像↑がインパクトがあって良い(特別点+6)。というかなんか怖い。シャンプーハットは小学四年生ぐらいまで使っていた。これは我ながらイタイ奴だと思うがシャンプーもリンスも目にみるんだから仕方ない。で、結局、しびれを切らした母がシャンプーハットを捨てたため私は泣く泣くハットを卒業することになったが、卒業当初は「髪を洗わない」という知略によりこの局面を乗り切っていたがすぐ母にバレた。また、このシャンプーハットに通じるもうひとつの事柄として「自転車の補助輪ほじょりんからの卒業」という問題があって、私は小学二年生ぐらいまで補助輪を付けて町内を走っていたが、これは母に強制撤去されたわけではなく自らの手で外した。その理由は単純で、小二にもなって補助輪を付けていることを友人に馬鹿にされたからである。シャンプーハットの装着は「風呂場」という閉ざされた空間で行われる家庭内の営みであるのに対し、補助輪の装着は公共の場において展開されることがほとんどであるため、シャンプーハットよりも二年も早く卒業することになったのである。だからなんなんだという話かもしらんが、もし母や友人にとがめられなかったとしたら、私は今現在もシャンプーハットをかぶって補助輪付き自転車に乗って町内を疾走していたと思う。

【雁】

北京ダックは皮を切り取って薬味と共に食べないといけないのが面倒である。同様に「サムギョプサル」という韓国料理もそうで、ハサミで肉を切って複数の薬味を乗っけて野菜を巻いてタレを付けて食べるという手順を踏まなければならず、これが発狂しそうなぐらいジャマくさい。あと、テーブルの上がハサミやら薬味やらタレやらがごちゃごちゃと点在しており、このパニック空間も気絶しそうになる。

開催日:2022年9月16日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・  特別点   :プラス1点  
 【合計得点】      :22点
 【補足説明】      :当たり前のことが書かれている。文中に数多く放り込まれたドイツ語とフランス語の意味を逐一調べる必要があり、そのため単語の勉強になった(特別点+1)。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・論理性/妥当性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★☆☆☆☆(5点)
 ・  特別点   :プラス3点
   【合計得点】    :24点
   【補足説明】    :作中ラストに現れる雁が何を意図したものなのか。これに関しては他の読書会参加者様による、

<<雁とは渡り鳥だそうだ。安直だが、自由の象徴なのかも知れない。それを石で落として喰ってしまう。自由は無く、人は結局飛ぶことは出来ないということなのかと思った。>>

という見解が腑に落ちた。作品単体だけを考慮した場合、これでいいような気がする。

【焚火】

恥ずかしながらソロキャンプは未経験である。何も考えず風景を1時間も2時間も見てられない性分の私はすぐに飽きてしまうだろうなあ。ソロではないグループキャンプは何回か参加したことあるけどほんとやることない。読書でもしてりゃいいじゃんと思うかもしらんが、私は家のソファーじゃないと読書できないたちなので野外で読書だなんて絶対頭に入らない(居酒屋で文庫本とか読んでる人がたまにいるけどあんなもん100%アタマに入ってないって!!)。で、テント設営が終わったあとは誰かが作った手料理をひたすら食べ続けることになり、早々に泥酔もしているため、20:00ぐらいに就寝したくなる。料理が得意な方は丸鶏を豪快に焼いたりと楽しそうだった。翌朝、目覚めると猛烈なホームシックに襲われる。そして「これから片付けしないといけないのか……」と絶望する。コテージにしておけばよかったといつも後悔してしまう。てな感じでさんざん愚痴ったけど実際楽しいのは楽しいですよ。

開催日:2022年9月23日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・描写力/構成力:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・文学性/芸術性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・創造性/革新性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・  特別点   :プラス8点
 【合計得点】      :29点
 【補足説明】      :志賀直哉に伏線なし。あるいは一定の論理なし。いやまあ本人にしてみればあるのかもしれないが、本書『焚火』はどこにもいこうとしないあてのない作品である(特別点+8)。例外は、傑作『剃刀かみそり』『暗夜行路』ぐらいしか思いつかないが、この二作品は物語構成上の技術が大いに発揮されており、かつ、明らかに読者を意識して描かれいて、そのため『焚火』しか読んだ事のないかたは意外さを感じるのではないか。特に『剃刀』は別人が書いたんじゃないかとすら思える。そう考えると志賀直哉は底の知れぬ人物ともいえる。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・論理性/妥当性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・創造性/革新性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・ ギャグセンス :★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・  特別点   :プラス1点
   【合計得点】    :16点
   【補足説明】    :考察を放棄したアホ丸出しの感想文。なんでこんな文章を書いたのか訳が分からない。お前のキャンプの感想を書けといった覚えもない。あ、キャンプの話はウソではなく実話なり。今回は珍しく身を削ってしまった(特別点+1)。

【おしゃれ童子】

この「なみき洋品店」というブティックあるいはセレクトショップは大阪の天神橋筋商店街にある。看板を見ると「トータルファッション」と掲げられているが、この画像からも分かる通り、服のラインナップは著しいかたよりが見受けられる。

開催日:2022年9月30日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・  特別点   :プラス5点
 【合計得点】      :31点
 【補足説明】      :太宰治のお家芸「エッセイ風小説」。私の場合、太宰の作品は私小説という言葉よりもエッセイ風小説とした方がに落ちる。感想文にも書いたが「おしゃれ童子」という表題が印象的で良い(特別点+5)。これと似たようなケースを挙げると、田村栄太郎という方が書いた『やくざ考』についてもおしゃれ童子と似たセンスを感じる。今までずっと言ってなかったけど実は僕、やくざ考の大ファンなんですよ。で、レビューも書いたんですよ。しかも3000文字近く書いたんですよ。なのでご興味あるようでしたらご一読願います。やくざ考に対する我が会心のレビューはコチラ

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・  特別点   :なし
   【合計得点】    :23点
   【補足説明】    :この感想文はダラダラ書いてるせいで読みづらい。あ、「髪型だけはキムタクっぽい不細工なヤツ」&「顔以外は浜崎あゆみっぽいヤツ」は本当の話で、当時はまあ多かった多かった。同様に「安室奈美恵っぽいヤツ、顔以外は。」も多かった。ただ、こうした彼らの気持ちを察するに、要は「誰かのマネした方が楽だから」というのもあり得ると思う。超人気女性モデルが着ていた服がバカ売れするのも、女性モデル当事者になりたいわけではなく、手っ取り早くおしゃれを体現できるからではないかと思われ、これは裏を返せば「自分のセンスを信用できない」とも言い換えることができる。あとは、自分が着ていた服が似合ってない場合に「あの女性モデルのせいだ!アイツのセンスが悪いんだ!」ってな感じで強引な言い訳することも可能といえば可能。

【復活(上巻)】

顔デカッ!!!!!
悪意のかたまりみたいな法廷画。

開催日:2022年10月14日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス5点  
 【合計得点】      :38点
 【補足説明】      :作品のモチーフおよび主人公の目的が明確であり、そのため非常に読みやすい(特別点+5)。その一方、ドストエフスキーに『カラマーゾフの兄弟』という作品があるが、これに関してはまず、輪郭が不鮮明だが「大目的らしきもの」が掲げられ、それに付随する小目的が複数配置されており話が展開していくにつれて不鮮明だった大目的がその輪郭を徐々に現し始める、といった流れである。だからなんなんだよ、という話かもしれないがまあそんなことを思い出した。あ、そういえばトルストイの超人エピソードを知り合いから聞いたことがあるんだけど、トルストイって超大作『戦争と平和』をなんと3回も書き直したとのこと。戦争と平和の文字数って、約2,000,000文字はあると思うんだけど、それを3回も書き直したのは心の底から凄い。尊敬する。だってアンタ2,000,000文字だよ、2,000,000文字を書き直したんだよ、3回も。ただ、3回目のときはトルストイも「心が折れそうになった」と語っていたとの事。そらそーだ。ただ、このエピソードは私が知り合いから聞いた話なので話半分で。私ですら鵜呑みにはしてません。ただ、信念のおとこ・トルストイならあり得るエピソードだとは思う。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス6点
   【合計得点】    :32点
   【補足説明】    :サムネ画像の出来が良い(特別点+6)。感想文はキャバ嬢と客の関係になぞらえて、ネフリュードフとカチューシャの心境を解説した。で、キャバ嬢に鬱陶うっとうしいことを言ってくるオジサンって本当にいますね。酔っ払うと劣等感の裏返しなのか、日頃の鬱憤うっぷんが堪り兼ねたのか、やたらと気が大きくなって偉そうにしたり、攻撃的になったりするオジサンって多いんですよ。だから安い店なんか入ると、オジサンが店内トラブル起こしがちだから、我慢して高い店に行ったほうがよい。これと同様に公共の場、例えば電車内で客同士のトラブルを思い出してみて下さい。「オジサンvsオジサン」、「オジサンvsオバサン」、「オジサンvs大学生」という対戦カードがほとんだから。特に「オジサンvsオジサン」はホントによく見かける。これは統計を取るまでもなく厳然たる事実なり。私はたまーに電車に乗ることがあるが、絶対にオジサンの隣には座らない。私が席に座る際の優先順位は「おにいさん>おねえさん>おばあちゃん>オバサン>おじいちゃん>学生>子連れ>オジサン>チンピラ>>>>>>>>>>>>>>酔っ払いオジサン」である。はっきりいって若者の方が圧倒的にマナーが良い。最近、20代~30代の「酒離れ」が進んでいるという。酒を飲んでヒャッハー状態になることが、彼らにしてみれば「ダサい」のだそうで、その理由は酔っ払ったオジサンのトラブルを何度も目撃してきからではないだろうか。だから、「俺たちはああはなりたくない」的な反面教師としてオジサンが作用したのである。そういう意味では酔っ払いオジサンがいてくれてよかったのかもしれない。

【東海道五十三次】

「復活(上巻)」のサムネも面白いけど、これ↑もけっこう良い出来だと思う。
岡本かの子ってめちゃくちゃモテたそうな。

開催日:2022年10月21日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス6点 
 【合計得点】      :35点
 【補足説明】      :この本はムズイ。難解なり。旅先で出会う男と語り手「私」がおそらく本書のカギを握る「憧憬しょうけい」なるものについて、何のためにそんなものを必要としているのか、憧憬を「作る」とはどういうことなのか、その辺を理解するのに時間がかかった記憶がある。なんか、3~4時間ぐらいずーっと考察してた気がするんだよなあ……
岡本かの子の小説が好きな人って、こういった難解な作品もスラスラ読んで腑に落ちるものなんだろうか。それとも「意味はよくわからんけどイイ!」って感じで評価するんだろうか。ただ、本書「東海道五十三次」は川端康成の作品と同様、作品に込められた意図が分からなくとも不思議と読ませる推進力があると思います(特別点+6)。にしてもアンタこれ、まあムズイわ。やけに難しい本って記憶に残ってるんだけど、一方で読みやすい本ってほぼほぼ覚えてない。例えば、川端康成『温泉宿』は非常によく覚えてるけど、読書会で扱った太宰治の小説はうっすらとしか思い出せない。なんかオモシロかったよなあ、でも何がオモシロかったんだっけ程度であり、あらすじを説明しろと言われても不可能である。で、他の読書会参加者様の感想文によくあるケースとして「過去に開催された読書会の課題図書を引き合いに出して、今回の課題図書について論じる」がある。このパターンで感想書く人が必ず一人はいる。こうした他人の感想文を読んでていつも思うのは、記憶力良いよなあ、である。私はまるっきり覚えてない。マルメラードフ?ソーニャ?ブロンスキー?誰それ?スヴィドリガイロフ?そんな奴いたっけ?伊沢?レイコ?レイコって誰?誰だっけ?俺?もしかして俺?俺のこと?俺がレイコ?ってな調子である。過去に読んだ本の登場人物って、普通、覚えてるものなんだろうか。私の感想文は過去作品に触れながら比較検討することは無い。一度も無い。おそらく一度も。いやどうなんだっけ。忘れた。忘れたんだっけ。あ、健忘症けんぼうしょうってことか。健忘症ってなんだっけ。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・  特別点   :プラス4点
   【合計得点】    :38点
   【補足説明】    :「憧憬」が何を意味するのか、それを!このアタイが!ズバッと解説した!!なんて親切な若旦那なんだろう。なんて小粋こいき町奴まちやっこなんだろう。っていうかなんでここまでしたんだろう。それにしても今回私が書いた感想文の解説、果たして伝わったんだろうか。今、感想文をあらためて見て思ったが、完全に解説するためには少なくとも5000文字は要するのではないかと思う。あと、わざわざボケなくてもいいのに「ループ作楽井」と書いてある(特別点+1)。あと、この↑サムネ画像が今のところ一番面白い(特別点+3)。嗚呼ああ、私ったらなんてサービス精神旺盛で粋でイナセな侠客きょうかくなんだろう。

【青鬼の褌を洗う女】

こういう女性用のフンドシがあるらしいですよ。男性の私からしてみれば、好きな女性がこの褌を着てたら百年の恋もめる、っていうか、性癖が歪みそう。そして「褌フェチ」に生まれ変わりそう。

開催日:2022年10月28日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・描写力/構成力:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・  特別点   :なし 
 【合計得点】      :19点
 【補足説明】      :飽きた。坂口安吾ファンって多いんだろうか。だとしたら申し訳ないのですが、はっきりいって彼の小説は飽きました。本書『青鬼の褌を洗う女』を2ページ読んで、また堕落論ケーススタディー本か。何回このパターンやるんだ。『白痴』だけで十分ではないか。ってなことを考えながら読んでいた。私だけだろうか、『白痴』とそれ以外の作品は主人公の名前が違うだけで世界観も思想も共通しており、だから飽きた。何かの感想文にも書いた記憶があるけど、もっと別のアプローチなり、堕落思想をさらに敷衍ふえん展開するなり、別の思想を観念小説にするなりしてくれれば坂口安吾の小説も読み続けられるのだが、彼は己の思想に没頭していたせいか、小説に重きを置いてなかったのではないかと思う程の出来栄えである。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・  特別点   :プラス7点
   【合計得点】    :37点
   【補足説明】    :『堕落論』を用いて主人公・サチ子の心境および言動を解説した。親切・丁寧・誠実・安心がモットーのサービス精神を持った感想文である(特別点+7)。

【復活(下巻)】

顔デッッッッッッッッカ!!!!
上巻よりもさらにデカイのが面白い。あと、身長5メートルはあると思う。
この法廷画はやはり悪意のかたまりである。

開催日:2022年11月11日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・  特別点   :プラス8点  
 【合計得点】      :43点
 【補足説明】      :単なる理想論じゃん、主人公の自己満足だよねー、といった所感は一切無い。それは現実的な事柄に即して主人公の持つ信念に基づく行動が違和感なく自然だからであり、その上で男がもたらすあらゆる結果は理想ではなく当然の成り行きだと思ったからでもある。聖書に端を発した漸進ぜんしんうかがえるラストも私は評価する。主人公が結婚成就できないなんてのは二の次であり(というか色恋沙汰なんて私は1ミリも期待してない)、彼が今以上に信念をひらくラストシーンに感慨深いものを得ることができた。やっぱトルストイは良い。ロシアで人気あるのも分かる。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・ ギャグセンス :★★★★☆☆☆☆☆☆(4点)
 ・  特別点   :プラス8点
   【合計得点】    :36点
   【補足説明】    :この↑サムネ画像がバツグンに面白い(特別点+8)。いやサムネではなくこの法廷画が面白いんですが、この法廷画をわざわざ探し出してサムネに加工した私に対し、努力賞として特別点プラス8点あげて良いと思います。ただ、この法廷画を描かれた側、つまり被告側はバチクソにムカツイただろうとは思う。だってこの方の罪はこの時点で確定してないからね。というかこんな事を報道していいのか。法廷画の意義とは一体何だ。なぜ動画撮影は禁止なのか。なぜサムネ画像の様な主観に基づく法廷画が許されるのか。お前は阿保なのか。冷静に考えると法廷画に関しては議論の余地アリだな。

【善蔵を思う】

あ、善蔵と勉三がかかってる!うまい!

開催日:2022年11月18日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★★☆(9点)
 ・描写力/構成力:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・  特別点   :プラス3点  
 【合計得点】      :28点
 【補足説明】      :至って読みやすい&ノイローゼギャグが繰り出されている(特別点+3)が、話としては当たり前のことが描かれており少々退屈である。表題『善蔵を思う』の「善蔵」に関して、私にはただの虚仮威こけおどしにしか思えなかった。また、感想文にも書いたけどこの時期の太宰治作品はある程度のフォーマットが用いられているものと思われ、もしそうだとして、作中の見せ場を作るとすれば「ノイローゼギャグをどれぐらい充実させるか」に懸かっているが、本書はそれすらも半端な印象であった。そのため、退屈に感じたのかもしれない。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・論理性/妥当性:★★★★☆☆☆☆☆☆(7点)
 ・創造性/革新性:★★★★☆☆☆☆☆☆(4点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・  特別点   :プラス6点
   【合計得点】    :32点
   【補足説明】    :この感想文には、かつて私が出席した披露宴の友人代表スピーチに関する失敗談が書かれている。実はここまで露骨なスピーチはしていないのだが、話の大筋はざっとこんなものであり、なんていうか、わざわざ身を削ってまでこうしたエピソードを感想文に書いた私はエライ(特別点+6)。にしても、スピーチが上手い人っていますよね。ああいう連中はおそらく「場慣れ」してるんだろうと思う。彼らのスピーチを見てると全然緊張しておらず淡々たんたんと話し続けており、ギャグも適宜放り込まれている。そしてバッチリウケている。これはまあ何度もスピーチを経験していく中で「鉄板スピーチネタ」が生まれたからであろう。で、あとはその使い回しで彼らは毎回のスピーチを乗り切っているものと思われる。披露宴には3回程出席した経験があるが、そこで毎回思うのは「けっこう金かけてるよなあ……」「え、キミ達ってそんな金持ってたの?」であり、例えば、数年前に出席した披露宴なんかはお台場のとあるホールを貸し切って200人規模の盛大なパーティーが催されており、やはり思うのは「え、キミ達ってそんな金持ってたの?」であった。まあ下世話な感想かもしれないが本当にそう思ったのだからしょうがない。なお、披露宴の出席者は、結婚した二人を間近で見ることになるため、その幸せそうな晴れ姿に触発され、つまり、「結婚したいんじゃあボルテージ」が高まるため、出席者同士でカップルが成立しやすいといったいわゆる「出会いの場」になることがあるらしい。が、私には出会いなんて一度も無かった。合コンや婚活パーティーであればお互いの目的がはっきりしているから理解できるのだが、披露宴会場でたまたま同席した初対面の人と連絡先交換まで漕ぎつけるのは困難を極めている。だから私なんぞは同席した異性の方と話すこともほぼほぼなく、「ところで新郎とはどういったご関係ですか?」「会社の先輩なんですよ。」「そうですか。それにしてもドレス姿の新婦は非常に綺麗ですね。」「はい、わたしもそう思います。新婦はステキですよね。」「ただ、貴女はその新婦に引けを取らないぐらい綺麗な方だ。好きです。よって、結婚を前提に私とお付き合いしてください。」「…………はい。」という結果には決してならない。初めに二言三言話してハイ終了、って感じなのでハナから期待しておらず適当に飲み食いして帰ることになる。

【二人の稚児】

私が子供の頃、NHK教育テレビで『ざわざわ森のがんこちゃん』という番組が放映されていたが、新聞のテレビ欄には『がんこ』とだけ表記されていた。そのため、テレビ欄をパッと見て「ガンコ親父が経営する老舗ラーメン屋を紹介するグルメ番組」と勘違いする者も少なからずいたのではないかと思う。

開催日:2022年11月25日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★★★★(10点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス6点 
 【合計得点】      :39点
 【補足説明】      :本書の様な特殊な世界観が書かれた小説は個人的に好みである。話の筋は直球&大甘な結末だが、そんなことははっきりいってどーでもよくなる程に谷崎潤一郎の文章がとにかく上手い、上手すぎるぜアンタ!!特に秀逸なのは以下に引用するラストシーンの描写である。

=====引用 ここから=====
瑠璃光がはっとして我にかえった時、もう老人の姿は見えなかったにも拘らず、彼の膝の上には、正しく水晶の数珠が暁の露のように、珊々さんさんと輝いて居た。
十二月も末に近い朝まだきの、身を切るような寒風の中を、釈迦が嶽の頂上へ登ろうとするのは、いたいけな稚児に取って、三七日の水垢離に増す難行であろうものを、浅からぬ三世の宿縁を繋いで居る女人の、現世の姿に会いたさに、嶮しい山路を夢中で辿って行く瑠璃光には、何の苦労も何の障礙も感ぜられなかった。途中から霏々として降り出した綿のような雪さえも、彼の一徹な意志と情熱とを、ます/\燃え上らせる薪に過ぎなかった。見る/\うちに天も地も谷も林も、浩蕩たる銀色に包まれて行く間を、彼は幾たびか躓き倒れながら進んだ。
よう/\頂上に達したと思われる頃であった。渦を巻きつゝ繽紛として降り積る雪の中に、それよりも更に真白な、一塊の雪の精かと訝しまれるような、名の知れぬ一羽の鳥が、翼の下にいたましい負傷を受けて、点々と真紅の花を散らしたように血をしたゝらせながら、地に転げて喘ぎ悶えて苦しんで居た。その様子が眼に留まると、瑠璃光は一散に走り寄って、雛をかばう親鳥の如く、両腕に彼女をしっかりと抱き締めた。そうして、声も立てられぬほどの嵐の底から、弥陀の称号を高く/\唱えて、手に持って居た水晶の数珠を彼女のうなじにかけてやった。
瑠璃光は、彼女よりも自分が先に凍え死にはしないかと危ぶまれた。彼女の肌へ蔽いかぶさるようにして、顔を伏せて居る瑠璃光の、可愛らしい、小さな建築のような稚児輪の髪に、鳥の羽毛とも粉雪とも分らぬものが、頻りにはら/\と降りかゝった。
=====引用 ここまで=====

以上の引用を見るにつけ、よくまあここまで自由自在に書けるもんだなと思う。著者が実際に体験したのかと思う程、瑠璃光丸とそれを巡る光景が何の迷いもなく頭の中に浮かんでくる。そもそもこの作品の世界観が特殊だからだろうか、こうした劇的な展開も違和感なくすんなり入る。具体的な解説をしたいのだが、私の能力では不可能なのが口惜しい。矛盾した言い方になるが、この描写って表面上は派手の感はあれど「自然」なのが良いと思う。で、なぜそうなのかは説明できません。もしかすると著者はこの作品を執筆するにあたって、まず始めにこのラストシーンを書いてそれに合わせる形で物語を構成したんだろうか。でもそうすると、「自然」ではなくかえって作為が出る可能性もあるよなあ。まあいい、とりあえず「なんかわからんけど凄みのある文章」ということです(特別点+6)。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・論理性/妥当性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・創造性/革新性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・ ギャグセンス :★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・  特別点   :なし
   【合計得点】    :17点
   【補足説明】    :コイツの感想文をあらためて読んだけど、「ラストシーンの解釈」を説明できてないじゃん。だってそうじゃん、コイツの主張を要約すると「満願成就のお膳立てはバッチリ完璧。ゆえに、崇高な慈愛の精神に基づく行為である。」としか書かれてないから。なので、満願成就のお膳立てに関しては、「老人」の存在意義を深めた上でちゃんと説明するべきである。嗚呼……根拠がとにかく弱い、弱すぎるぜアンタ!!「ぼくはチャーハンが食べたい。理由はチャーハン特集をテレビで見て食欲をそそられたからだ。」ならまだしも、コイツの書いた感想文は「ぼくはチャーハンが食べたい。理由はチャーハンが食べたいと思ったからだ。」程度のシロモノである(特別点なし)。

【ヰタ・セクスアリス】

生徒に対し性的な言動をしたりと、教師による不祥事がここ数年多く報道されている。学校内で生じたセクハラ・パワハラはスクールハラスメントというのだそうで、『教師びんびん物語』はその先駆けとなった作品、ではない。そのため安心して見ることができる。誰とは言わないがこの頃からちょっとハゲかけてるよなあ……

開催日:2022年12月12日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★☆☆☆☆☆☆☆(3点)
 ・描写力/構成力:★★★★☆☆☆☆☆☆(4点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★☆☆☆☆(6点)
 ・  特別点   :プラス1点
 【合計得点】      :20点
 【補足説明】      :あまりの読みづらさに田原俊彦ではなく俺の頭がストレスでハゲそうになる。
で、この小説は「金井の性に関するエピソード集」であり、これといって際立った話もなく、性欲あるあるネタとして成立している(特別点+1)。そのため、金井のエピソードに共感する男性も多いような気がする。そういえば、読書会当日の模様を拝聴したところ盛り上がっている印象を受けた。例えば、読書会主宰者の方が披露した性に関するエピソード(=子供が今晩いないのをいいことにあの両親ときたら今頃よろしくヤッてるんじゃねえかあ?的な事をボヤいたおっさん)なんかを聞いて、「あー、そういやこんなおっさんいたいた」と共感した者も多かったように思う。なぜおっさんはそんな余計なことを言ってしまうのか、子供が気づかないとでも思うのか。そらまあ、セクハラ発言を聞いたその瞬間は気付かないけど数年後に気付くに決まってるって。感想文にも書いたけど、子供はそういう発言はしっかり覚えてるんだから、何も知らないからといって見くびってはいけない、がしかし、ひょっとするとそのおっさんはセクハラ発言をしてしまったことを後悔しているかもしれない。というのも、飲み会で酔っ払った男性がウケを狙って女性に対し露骨な下ネタを言い放ち、それを聞いて失笑する女性陣なんておかまいなしにその後も下ネタを連発、その日は大いに盛り上がったと勘違いして帰宅、そしてその翌朝、シラフに戻った男が「なぜオレは昨日、あんなことを言ってしまったんだろう!キャーはずかしー!もうヤダー!!」と布団の中でジタバタ騒いで後悔することはよくあるからである。というわけで、おっさんもこの男と同様、翌朝になって枕元で、キャーはずかしーバカバカ俺のバカー!と大いに後悔したのかもしれない。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・創造性/革新性:★★★★★☆☆☆☆☆(5点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・  特別点   :プラス3点
   【合計得点】    :28点
   【補足説明】    :身を削った我がエピソードに特別点プラス3点。
他の方が書いた感想文を拝見したところ、読書会主宰者による『本人にとってはまんざらでもないというクソダサムーヴ』という感想文が秀逸である(URLリンクはコチラ)。この「クソダサムーブ」なるものについて、主宰者の感想文を抜粋すると、

=====引用 ここから=====
ドイツ留学中に、地元のチンピラの情婦である『凄み掛かった別嬪』にトイレまで追っかけられてチューされて、ランデヴーしちゃって、相手は金目だったけど、同僚には、金目だったというのは黙っていて、あの女とやったと自慢だけした、という、よく考えればずっこけエピソードだが、本人にとってはまんざらでもないというクソダサムーヴのエピソードによく表れている。
=====引用 ここまで=====

であり、本書のあらすじを振り返った時、たしかに上記のエピソードだけが浮いている。そして、感想文の末尾には、

(ヰタ・セクスアリスとは、俺、わりいけど、ドイツではモテたから、ということだったのだ)

と締めくくられており、本書の目的は上記でいいような気もする。繰り返すが、本書は「クソダサムーブ」だけが明らかに異端であり、そこを突き詰めれば「オレって性に関してはさんざん苦労したけどドイツ女をコマしたんだよね。あ、あと『舞姫』とかもイイ感じだから読んでねー」に繋がる。これねー、夏目漱石ならクソダサムーブは絶対書かないと思うんだよなあ。彼はエスプリの感が強いので、もし書くとしても「皮肉めいたジョーク」としてこういったエピソードを作中に登場させると思うんですよ。つまり、作中効果の一環で書くということです。で、一方の森鴎外の現代モノ小説は、(私だけなのかもしらんが)文章からいちいちインテリ臭がするから、何かしらのコンプレックスの裏返しでクソダサムーブを作中に「無意識に」放り込んだ可能性はあるんじゃないかなあ。まー、主宰者も述べた通り「クズっぷり」が垣間見えており、そう意味では人間のあさましい精神が出ていることに気づく。って感じで、意外なアプローチで本質を突いた感想文ではないだろうか。

【冬の日】

↑読書感想文で説明したWhile文のフローチャート。死ぬまでこの処理を繰り返す。

開催日:2022年12月19日(金)
読書会の模様ココをクリック
感想文URLリンクココをクリック

課題図書の評価: 
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・描写力/構成力:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・文学性/芸術性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★★★(10点)
 ・  特別点   :プラス8点
 【合計得点】      :42点
 【補足説明】      :文学性が非常に高い。これは梶井基次郎ならではの感受性&言語能力の賜物だろう。例えば、作中後半に登場する、

=====引用 ここから=====
「冷静というものは無感動じゃなくて、俺にとっては感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分の肉体や自分の生活が滅びてゆくのを見ていることだ」

※中略※

「自分の生活が壊れてしまえばほんとうの冷静は来ると思う。水底の岩に落ちつく木の葉かな。……」
=====引用 ここまで=====

という、上記二点におけるセリフの意味するところを考えれば考える程に本書のモチーフが徐々に輪郭をあらわし始める。ただ、この「感動」「冷静」という言葉の解釈は難解である。が、文学性の要素が多分に含まれており、「感動」「冷静」に私は著者の懸命な嘆きを感じた(特別点+8)。この二語について、私の解釈は読書感想文に明記したが、その妥当性に関してはけっこうイイ線いってると自負してるがどうだろう。また、読書会の課題図書として梶井基次郎の小説を扱うことが多い傾向にあり、私はその都度読解に大苦戦した。が、健闘はしたはず。健闘したところで的外れな解釈なら無益な気もするが、まあそんな感じで色々読んできた梶井作品の中でも、とりわけ本書『冬の日』は秀作だと思う。

読書感想文の評価
 ・可読性/判読性:★★★★★★★☆☆☆(7点)
 ・論理性/妥当性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・創造性/革新性:★★★★★★★★☆☆(8点)
 ・ ギャグセンス :★★★★★★★★★☆(9点)
 ・  特別点   :プラス6点
   【合計得点】    :38点
   【補足説明】    :感想文中の「While文」についてはサムネ画像↑を見ればループ処理をイメージできると思います。なんて親切なんだろう(特別点+6)。それはいいとして私、『思い出酒』って好きなんですよ。この曲の歌詞って女性視点なのに男性の私もなぜか共感できてしまう。私はお酒を飲むと基本は陽気になる性質たちなんだけど、歌詞にある通り、<<あの人どうしているかしら>> ってな郷愁にかられることもたまにあって、飲めば飲むほどその思い出にはまってしまい、その晩はそこから抜け出せなくなり、最終的に泥酔してそのままソファーで寝ることになる。昔読んだ心理学の本によると「酔っぱらったときの態度・思考はその人の本質を表す」とのことで、これは一理あると思う。で、酔うと下記の通り分類できる↓

・笑い上戸:酔うと常に笑っている人。
・泣き上戸:酔うと感極まって泣く人。
・怒り上戸:酔うとなぜか説教する人。
空上戸そらじょうご:酔っても態度が変わらない人。

以上四点の内、笑い上戸と空上戸は飲み友達として付き合って問題ないと思う。泣き上戸はまあ……美人なら良しとする。そして面倒なのは怒り上戸だろう。私の経験上、温厚な人や冷静な人が怒り上戸に豹変するのを度々目撃した。なぜ怒るのか。何を怒ることがあるというのか。怒り上戸の人は普段、温厚そうに見えてその実、心の内ではイライラしまくっており、酒が入るとそのコントールがかなくなってしまい、その結果、怒り爆発するっていう理屈なんだろうか。あるいは、ストレス発散方法として「怒り」を用いているのだろうか。まあ、怒り上戸が厄介なことに変わりはないが、私が目撃した最悪のケースを紹介すると、「上司が怒り上戸だったケース」である。その上司は酔いが回り始めるとまず、自分の会社自体に怒り始め、次に事業全体へと怒りの矛先ほこさきを変え、そこから本部→事業部→部門→課→グループへと徐々に怒りの対象範囲をせばめていき、とうとうその上司は隣に座っている部下に対して説教を始めたのである。既に部下も察していたのか、全ての説教に「すみません」「気を付けます」で応対していたが、内心は煮えくり返っていたものと思われる。その様をはたから見ていた私には、上司の説教内容がよく分からなかった。それは怒りにじょうじた感情論による説教だからであろう、「やればできるだろ」「できない意味が分からない」「もっとなんていうか、ちゃんとしろ」「オマエそれでも社会人か」的な意味の事を延々語っていた。ひとしきり上司の話を聞いていると、なぜか私まで説教されている気分になり、部下に代わって私が「すみません」とすら言いたくなる。ようやく上司の説教も終わってお会計となった。会計はなんとワリカンであった。おかしい。説教の代償として上司が飲み代をおごる、あるいは、多めに払うべきではないのか。これでは部下にしてみれば怒られ損ではないか。あの部下はそう遠くない内に会社を辞めるか、部署異動届を人事に提出するか、はたまた上司を刺すか、いずれかの決断をするに違いない。それはさておき、私がよく行く近所の居酒屋の大将によると、客には「店にとって悪い客」と「店にとって良い客」の二種類がいるとのことである。前者の悪い客というのは、店内の雰囲気を悪くする客のことを意味しており、先に私が申し上げた説教上司もそれに該当する。これは他の客にカラんで迷惑をかけたり、吐いたりするような客もしかりとのこと。そのため、その客が店に金をいくらオトしても大将にとっては「店にとって悪い客」であることには変わりはなく、要は金の問題ではなく雰囲気の問題なのだということである。これとは反対に「店にとって良い客」というのは、金を全然オトさないが店の雰囲気を明るくするような客のことで、他の常連と他愛もない会話ができたり、泥酔することなくパパッと飲み食いしてサッと帰るといった、要するに玉井さんの様な客のことなんですよー、とその大将は語った。いや本当です。信じてもらえないかもしれませんが本当です。あの大将は名指しで「玉井さんは店にとって良い客だあ!」と本人の私に向かって言いました。これを伝えるために私は本記事を書きました。やはり私のこれまでの行いは間違ってなかったのであり、私ときたら知らず知らずのうちにいき町奴まちやっことして認定されていたのである。だってそうだろう、私なんぞはその居酒屋に決まって18:00に入店し、ホッピーセットとなるべく店側の手間が掛からないようなさかな、例えば「冷奴ひややっこ」や「キャベツの千切り」を注文し、追加の注文はせずに飲み続け、そして必ず19:00までには会計を済ませて帰るからである。これぞ「パッと飲んでサッと帰る」という通人つうじん以外の何者でもないではないか。そういえば、キャベツの千切りで思い出したが、私がくだんの店でいつも通りキャベツの千切りで飲んでいたところ、隣に座っていた常連とおぼしきオジサンに声をかけられて「アンタってさあ、いつもキャベツの千切りばっか食べてるよね。平気なの?大丈夫?」と言われたことがある。もし仮に、私が「店にとって悪い客」であればオジサンを即座に半殺しにしたであろう。しかし、私は「店にとって良い客」認定されているため「キャベツ好きなんスよ……」としか言うことができなかったのである。

以上、2022年7月~12月に開催された読書会における課題図書および読書感想文のレビュー結果となる。それでは最後に、レビュー結果をランキング形式で紹介し、本稿の締めくくりとする。

【課題図書おもしろランキング(7月~12月)】

課題図書を合計得点順に並び替えた結果を以下に示す。

■所感:海外文学作品が一作品しかないことに気づいた。その優勝候補である巨匠・トルストイの『復活』を抑えて、大岡昇平『野火』が第1位である。最下位は坂口安吾『青鬼の褌を洗う女』であり、これは前述した通り、「あまりにワンパターンだから」という理由による。また、第3位の梶井基次郎『冬の日』は日本文学が好きな方は必読である。

【読書感想文おもしろランキング(7月~12月)】

読書感想文を合計得点順に並び替えた結果を以下に示す。

■所感:感想文のタイトルだけ見ると、面白そうなのは『オートジャイ論』『キャバクラ慕情』だが、どちらも大した事は書かれていない。なお、第1位と第2位の感想文はギャグと考察のバランスが良く、一粒で二度美味しいお得な感想文となっている。

【課題図書おもしろランキング(年間)】

2022年1月~12月の課題図書を合計得点順に並び替えた結果を以下に示す。

■所感:堂々の第1位は、ヘミングウェイ、ドストエフスキー、トルストイといった海外の強豪勢をおさえてまたしても大岡昇平『野火』であった。また、私と相性の悪い梶井基次郎作品の中で、唯一第5位に食い込んだ『冬の日』は良い小説だと思う。当たり前だが、全体を通して私の好みが如実に出ている。例えば、太宰治や谷崎潤一郎は順位が安定しているが、一方で梶井基次郎、森鴎外、志賀直哉は下位を占める。鬼才・岡本かの子は順位にバラツキがあるが興味の尽きない作家(人間)であることには変わりない。あ、このランキングを森鴎外ファンが見たら私は殺されるかもしれない。

【読書感想文おもしろランキング(年間)】

2022年1月~12月の読書感想文を合計得点順に並び替えた結果を以下に示す。

■所感:感想文のタイトルがあまりのアホくささに笑える。『光子といっしょに!レッツ!コンバイン!』、『新旧作品はコンバトラーVとボルテスVぐらい似てる』は絶対に誰からも共感されないタイトルだろう。

【あとがたり】

愚にもつかぬ戯言を申し上げる。

私が日本文学を本格的に読み始めたのはここ七~八年程前からであり、それ以前は海外文学、主に英・米・ギリシャを中心に読んでいた。というのも、私がまだ実家にいた頃、両親の本棚にはそういったたぐいの書物しかなかったからであり、本棚の通りすがりにたまたま目についた本を手に取っては読んでいた。読書会で扱われる作品は日本文学が多くを占めており、私は海外文学には多少の馴染みはあるが、日本文学は読みなれていないせいか非常に難しく、散々申し上げてきた通り、志賀直哉、岡本かの子、梶井基次郎らが展開する物語は主張、意義、目的がうっすらと捉えがたい状態で作中に点在しており(あるいは存在しない)、そのため困惑のままに読み終えてしまうケースも度々であった。ただ、吟味を重ねていく内に心を動かされる体験もままあり、少しづつではあるもののようやく日本文学に慣れてきた感はある。が、依然として日本文学を完全な言語化をもって説明するには非常な手間を要する。

今更だが読書感想文とは要するに「作文」の一種である。この作文なるものも悩ましい。そもそも私は文系ではなく理系であり、大学も文学部ではなく理学部出身である。そしてそれ以降も理系の道に進んだため、論文ならばある程度書くことが可能であり、研究テーマに沿って原理および意見とその根拠を検証結果に基づいて論述、つまり筋道を立てて論理的に相手を説得できればそれでよく構成も決められている(文学部でも論文はあるが理系のそれとはその性質が異なるためここでは扱わない)。だが、作文、つまり読書感想文となると勝手がまるで違う。与えられた文学作品に対し、テーマは自由、文体も構成も自由、それに加えて、自分の感性をりどころとした心境を書きしるさなくてはならず、感想文には一定のルールが存在しないため、かえってそのことが私にとっての手枷てかせとなり、その結果、書くに際して大いに戸惑ってしまうのである。実は、作文には苦い記憶がある。

それは中学校を推薦入試で受験した時のことである。推薦入試は一般入試とは形式が異なり、私の志望校は面接・口頭試問・作文で合否を決めるため、その対策として私は放課後、職員室に残って進路指導の教師のもとで面接時の受け答えや作文の予行演習を行った。その際、作文に関しては、出題されるテーマを絞って何を書くか事前に準備しておくこと、つまり、試験当日の土壇場で焦って失敗することの無いよう、文章の「引き出し」をいくつか用意しておけと教師は言った。私は教師の助言に従い、「最近気になった時事問題」、「小学生の頃に熱中したこと」、「十年後の自分」、「中学の志望動機」といったテーマで作文を事前に準備しておき、教師からの添削も終えて後は受験するだけとなった。そして試験当日、面接と口頭試問を終えた私は試験官から別室への移動をうながされ、机の上にはとうとう作文の問題用紙が配られた。与えられた作文のテーマは「私の座右ざゆうめい」であった。見た瞬間、私は焦った。予め用意しておいた「引き出し」が使えないという事態はある程度なら仕方ないとは思っていたが、問題はそこではなく、私は「座右の銘」という言葉の意味をそもそも知らなかった。これに焦りを覚えたのである。ただ、座右の銘なる言葉はどこかで一度は聞いたことのあるフレーズではあったとぼんやり記憶していたため、私は必死になって思い出そうとしたが、喉元まで出かかっているもののやはり分からずじまいであった。白紙の提出はそれ即ち不合格を意味するため是が非でも何か書かなくてはいけない。でも何を書けばいいのか分からない。座右の銘とはなんだろう、さんざん考えた挙句、私は作文テーマの「私の座右の銘」を「私の印象に残った言葉」と読み替えて作文を書くことにした。この読み替えによる語意はそこまで大きく外れてはおらず、咄嗟とっさの推理にしてはやけに勘がえたものだなと今にして思う。ではここで、甚だ僭越せんえつではあるが、我が脳漿のうしょうを振り絞って書いた作文を当時の記憶を探りながら再現したので、以下にご紹介させて頂く。なお、筆致については上手く再現できなかったため、原文ママではないものの大体は次の様な事を書いた。

以上の作文を提出して試験を終えた。その晩、試験の出来を両親に聞かれたので、「座右の銘」という言葉の意味が分からず作文に手間取ってしまったことを正直に話すと、ではお前は一体どういった内容を書いたのか?と父が聞くので、私は父と母に関するエピソードについて当人達を目の前にして聞かせた。聞き終えた父はいつものしかつめらしい顔つきが崩れ、そして半ば呆れた様子で、「お前の書いた作文の内容は『座右の銘』とは無関係なことが書かれてあり、生きる上での信条とする説明が欠落しているのが問題だ。『座右の銘』を『印象に残った言葉』に読み替えたまではいいが、肝心の『バカは死ななきゃ治らない』がなぜ自身の拠り所となったのか理由を書かないままに、言葉にまつわる思い出話が延々と語られているのが致命的な欠陥で、合否はまだ確定した訳ではないがこれでは厳しいかもしれない。取り急ぎ、語意の不足は今後補えばいい。ま、こんなもんだな。」と作文の不備を指摘して自分の部屋へさっさと戻っていった。これを聞いていた母は、「大丈夫、気にすることなんてないよ。推薦が無理でも一般入試で合格すればいいだけじゃないの。それにしてもあたしって、アンタにけっこう良いこと言ってたのね。」とご満悦であった。それもそのはずで、私が書いた作文の内容を端的に言えば「父にヒドイ事を言われて傷ついた私を母が優しく慰めてくれた感動秘話」だからである。これは父にしてみればなんだかバツの悪い話であり、それもあってか、父はさっさと自分の部屋に退散したものと思われる。

父の予想通り、推薦入試の結果は不合格であった。
校長と担任のT先生はわざわざ自宅にまでいらしって不合格のしらせを私だけでなく両親にも告げて残念そうに帰っていき、あくる日からの私は一般入試に向けた受験勉強三昧となってしまったが、作文というものを振り返ればこうした昔の記憶が呼び覚まされたのでお伝えした次第である。作文はどうしても主観が入る余地が多くなるため、書いている最中の本人は案外気持ちの良いものである。だが試験となるとその主観こそが落とし穴であり、当時の私は語彙力の無さに加えて、作文テーマから逸脱した単なる「思い出話」に主観の花を咲かせたのち、主観で掘った大穴に私自ら進んではまってしまったのである。ただ、この文章を改めて見て思うのは、非情に見えるが実直な父、優しそうに見えるが能天気な母、そして幼稚な愚者である私、という三者の有りようが私の心境を通じて自由に描かれており、とすれば、この文章は作文といえば作文と言えなくもない。

今現在、私が読書感想文を提出したところで、主宰者から合格・不合格の烙印らくいんを押されることはない。読書会は試験の場ではないから当然の話である。私は本稿を書くにあたり、他の方が書いた作文、つまり読書感想文を全て拝見させて頂いたが、そこには読後の率直な心境が自由にしたためられており、銘々めいめいにおける作文には心の「働き」がある様に感じた。これは自由が手枷となり覚束ない私からすれば感服することしきりでもあり、一方で私が率直な心境を語ろうとすると、推薦入試で受けた苦痛のせいか、はたまた余計な自意識のせいか、内心の悶着が生じて「率直」に歯止めが掛かってしまい、心の底から出た自分の言葉で何かを表すといったことは私にとって容易ではない。ではどうするかというと「作文」を放棄して、本心をひたすらにし隠した上で、論述・戯言・冗談・大嘘といったものに己をたのみ、出来上がった文字列の集合体を感想文といつわって提出するしかないのであり、要するに私の作文は父が語った「ま、こんなもんだな。」に集約されているといって差し支えは…………ない。

といったことを考えながら、そうした今後の課題を発見できたのは思わぬ収穫ではあったが最後の締めくくりとして、今年一年の読書会とオートジャイロと岡本かの子のカリアゲと梶井基次郎の肩幅の事をもう少しだけ振り返ってから今日はもう寝ることにする。

以上

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?