父がくれたのは、不安症とフェミニズムでした。
はじめに
このnoteは、ほぼ自身の父に秘めていた感情、これまでは言語化できなかった思いを書きだしたものです。
不安症と診断されて、離婚が決まって、ずっと違和感のあった『父』との関係をゆっくり考えるきっかけができたので、これを書くことにしました。
そこで、23年間生きてきて父に感謝できることは、不安症と、フェミニズムに出会わせてくれたことの2つだと思うに至ったのです。
以下では、「父」と「不安症」と「フェミニズム」の関わりを順に書き綴るだけの内容となっています。
noteを書くに至った経緯
今年の春、私は生まれて初めて心療内科を受診しました。不安症と、鬱病でした。
もう少し細かく言うと、
・社交不安症
・広場恐怖症
・鬱病
以上、3つの病気を診断されました。
ここでは、不安症や鬱病がどういう病気なのか、詳細な説明は省きます。
(記事の内容に必要な場合、適宜、症状等は説明をいれますが、気になる方は調べてください。)
体と心のバランスが取れなくなっていったのは、自覚がないほどに、本当に徐々に徐々にだったんだと思います。
全てはタイミングだったんです。
身の回りの色んなことが、同じタイミングで負の方に傾いていきました。
その結果、不安症というかたちでお暇を頂くことになりました。
毎日のんびり過ごしています。少なくとも側からみれば、そう見えます。
でも、頭の中は全然のんびりではありません。
治療として、自分の苦手や不安、ストレスの正体は何なのかを見つける。
そして、どうすればその苦手や不安、ストレスは取り除いたり、向き合えたりするのかを見つけなければなりません。
そのためにも、この不安症・鬱病の要因は何だったのかを考えるようになりました。
家族、友人はもちろん周りの多くの方に迷惑をかけながらも、たくさん助けてもらいました。
そのおかげで、ゆっくり色々あった病気の要因を見つけて、対処できるものは順番に対処し、練習が要るものは練習ができるようになってきました。
そうして、薄っすらわかっていたけど気付いてないふりをしてきた、大きな要因の一つに向き合う心の準備が徐々に出来てきました。
それが、私の「父」です。
一連の病気の大きな要因でありながら、取り除けず、向き合うこともできずにいたのは、父への様々な感情をずっと言語化できなかったからです。
そこで、こうしてnoteに書くことで、
「父」=「不安症の大きな要因」
と向き合おうと思ったのがnoteを書くに至った経緯です。
なぜ「父」なのか
次に、なぜ父が病気の大きな要因なのかを書いていきたいと思います。
そのために、まずは簡単に2つの大きな出来事を振り返らせてください。
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