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TOKYO COMPLEX

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#思い出

TOKYO COMPLEX「ゲームセンターの夢」

大学に入学した当初、授業と授業の合間に空き時間があり、友人とゲームセンターに行くことがあった。
その時、よく遊んだのが「太鼓の達人」だった。
浪人生活をしていたとはいえ、まだまだ子供じみていた僕ら(今も十分に子供じみているが)は太鼓の達人を遊んでは各々のスキルを高めあっていた。
一時、「太鼓の達人倶楽部」みたいなノリもあった。
しかし、我々のプレイが終わるのを今か今かと待っていた高校生らしき人たち

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TOKYO COMPLEX「夜を歩く」

上京して、というより、一人暮らしをし始めて大きく変わったことは夜の時間を自由に過ごすことができるようになったことだ。

高校生までの頃、夜は家で過ごす時間だった。
札幌の外れのベッドタウンに実家があったため、娯楽施設はない。
さらに高校も札幌の外れにある高校だったこともあり、割と素直に家に帰っていた。
厳格な家庭ではなかったが、真面目に育てられた僕は夜は家で本を読んだり、テレビを見たり、ネットをし

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TOKYO COMPLEX「中野サンプラザ」

人生において中野サンプラザには3回、足を運んだことがある。

1回目は忘れもしない、2010年1月21日。

自他共に認める音楽好きである僕ではあるが、その中でも特に好きなアーティストは複数いて、その中でもさらに盲目的に好きで且つ影響を受けまくったアーティストがいる。
その1つが「フジファブリック」というバンドである。
僕が音楽にのめりこむようになった2008年の夏に出会ったバンドであり、「赤黄色

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TOKYO COMPLEX 「銀座交差点」

前回の続きです。
TOKYO COMPLEX 「銀座は眩しかった」

初めて銀座に訪れたのが2012年の就職活動中、という記憶で話を進めていたのだが、ふとしたきっかけで過去の日記を読み返すとその記憶は間違っており、正しくは2009年の5月末。僕がまだ東京という街に馴染んでいない、大学1年生の初夏だった。

この話をするには小学生の時まで時計の針を戻す必要がある。
小学生だったころ、理由は不明だが「

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TOKYO COMPLEX 「銀座は眩しかった」

銀座。
この単語が持つ輝きそのものに眼が眩んでしまいそうになる。

東京都中央区に位置する、有数たる高級商店街。「銀座」そのものが一種のブランド名となっており、地方にも銀座と名がつく商店街をよく目にする。

北海道に住んでいた幼少期の頃の僕ですら銀座という街は他の東京の街と比べワングレード高いイメージを持っていた。
昭和時代に近い描写ではあるが、正装をして家族で百貨店に行き、レストランで洋食を食べ

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TOKYO COMPLEX 「八王子とぺヤング」

東京と言う街で生活をするために、少なからず僕には明確な理由の提示が必要だった。
ロックミュージシャンのようにギター1本で夢を追いかけるために東京へ向かう、という話には憧れを抱きつつ、現実はそうもいかないし、そこまでの勇気と実力と親に対する反発心は当時の僕にはない(そして、今の僕にもないはずだ)。

現役生だった頃の僕は高1の時から憧れていた地元・北海道の大学への進学を第一志望としており、併願校も北

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