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祝福の居場所

芸能人が結婚するたびに思うことがある。

先日の星野源さんと新垣結衣さん結婚報道がされた直後、さらに遡れば山ちゃんと蒼井優さんの結婚の時も、SNS各所では当然それに対するコメントが多く寄せられる。

「この二人付き合ってたんだー」
「驚き!お似合いだね!」
「自分のことのように嬉しい」
「明日は仕事休みます」

上の二つはまあ、いいだろう。結婚はおめでたいこと。間違いない。
でも下の二つは、どうなん?少し気持ち悪く感じる。この気持ち悪さの正体を考えた時に出てきたのが「偽り」という言葉だった。

自分よりも何倍も高所得で、何倍もの美貌を兼ね備える芸能人に対して、「自分のことのように嬉しい」「幸せを分けてもらった気分」「二人には幸せになってもらいたい」といった言葉の裏には、強大なネガティブ感情があるように思うのだ。

考えてみてほしい。わざわざネット記事をスクショし、余白を切り取り、丁寧に「ハッピー!ラキハッピー」的な文章を添え、インスタのストーリーに投稿するという行為について(先日の報道時にはそんな投稿を浴びるほど見た)。

奥さん、そこまでして「他人の幸せを喜べる私アピール」しなくていいんだぜ。もう楽になっていいんだよ。自分よりも遥か遠い場所に住む大女優や有名歌手に体力を注ぐのはもうやめて、その労力はもっと身近な人に使ってあげようよ。

誹謗中傷には厳しい時代になって、それはとても素晴らしいことだと僕は思うが、だからといって自分の枠を飛び越えて無理に称賛する必要は全くない。芸能人の結婚も、病気を乗り越えた水泳選手も、友達かどうか微妙な関係の人の誕生日も、興味ないことは「興味ねー!」というスタンスが取れる時代になればもっといいなと思う。

もう一つ「ショックだから明日は会社休みます」「生きる希望を失いました」という発言について。サブい。せめて「ガッキーが結婚してショックなので会社『休みました』」にしてくれ。

あと2年前の僕の記事にもあるように、「ガッキーが好きで好きでたまらない」なんていう一般人はこの世に存在しない。いるとしたら、SNS上で話題になった「14年間にわたりガッキーへの想いをポエムで綴り続けたブロガー」のあの人くらいだろう。

「仕事休みます」は自分のショック度合いを現す喩えであり、ジョークであることは重々承知しているが、文字面から滲み出る言葉の軽さが垣間見えてしまって、ついつい吐き気を催してしまうところだった。
お前今までガッキーが好きとか言うたことなかったやん。。お前星野源の本一冊も読んだことないやん。。といった僕のひん曲がった見識も同時に垣間見えてしまうのだった。

あとこうして独身だった役者が結婚したりすると「残るは〇〇だけか」といった空気が流れたりする。これも気持ち悪い。
今回だと「俺たちには長澤まさみがいる!」といったコメントだ。やかましいわ。失礼極まりない。石田ゆり子もおるやろがい。

ちなみにだが星野源さんは大好きである。20代前後に聴いた音楽や読んだ本、観た映画というのはやはり今も心に焼き付いていて、そのどれもに星野さんの作品がある。「夢の外へ」はその中毒性から取り憑かれたように歌っていたし、「そして生活はつづく」を初めて読んだときは文才に惚れ込み、今の僕の文体に大きな影響を与えているし、「地獄でなぜ悪い」を観た後の、震えながら難波の劇場から天王寺まで歩いたあの感覚は今でも覚えている。

そんな僕でも星野さんの結婚について「源ちゃんが幸せになってくれて嬉しい」などという度量は、毛頭ない。

【今週読んだ本・観た映画】

今年の目標は週に映画2本、本を一冊読むことです。

映画。

「ヤクザと家族」

ヤクザ映画は大好きでよく観るのですが、こちらの作品は「現在のヤクザのリアル」を撮っていて非常に面白かったです。前半は青春チックな雰囲気あって、何だよヤクザ楽しそうじゃんと思ってしまいました。

本。

「100案思考」

いわゆるアイデア本。別に読まなくてもよかったかなという感じ。でも後々役に立つかも。

「エレジーは流れない」三浦しをん

何でもないような田舎の日常とかを書くのが天才的に上手い三浦さん。

「マナーはいらない 小説の書き方講座」三浦しをん

結局近道みたいなものは何一つとしてない。

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