諦めプライダー
我執にとらわれているやつはキツイ。
他人に注意されたり、支持されると「私はこういう人間だから!」と反発するタイプがいる。傷付きたくなさすぎて「俺はこうだから!」が過ぎるアレだ。
そのむかし、シュークリームにクリームを入れないといけない仕事をしていたことがある。ひたすら流れてくるシュークリームにクリームを入れるだけのストイックな仕事だ。
鼻クソみたいな仕事だが、誰にでもできるわけでもない。素人がやるのとベテランがやるのとでは、クオリティは比較にならない。同じ時間を要しても完成するシュークリームの数が圧倒的に違うのだ。
ある日、職場に後輩が入ってきた。彼は岩崎くんと言って、自分でブリーチしたズタズタの金髪と穴だらけの耳が自慢の18歳だった。わかりやすく言うと鼻クソみたいな男だ。
僕はそんな岩崎くんの指導係だった。鼻クソ同然である岩崎くんに鼻クソの詰め方を教えるみたいなものだ。しかし彼は案の定全然言うことを聞いてくれなかった。
「こうやるんだよ」と教えたら「そもそも俺はこういう細かい作業好きじゃないしね!この仕事も長く続けるつもりないし!」と返された。
発狂するぐらいムカついた僕は「黙ってやってりゃいいんだ。ボケ」とこめかみを強めに殴った。パワーハラスメントもなんのそのである。
すると彼は本当に辞めてしまった。悪いことをした。
それからというもの、そういうフレーズがちょくちょく飛び交っているのが気になりだした。
「いいよ、どうせ俺はできないし」
「別に結婚したいとかないし」
「デブじゃないしぽっちゃりだし」
「俺はこういう人間だから仕方ないんだよ」
気にしだすと、世の中には「諦めプライダー」が溢れかえっていたのだ。
成長を完全に諦めて、一切の影響を拒絶するある意味、無敵な人々である。僕はいちいち大嫌いだった。
しかし人間、不思議なものである。
嫌えば嫌うほど、今度は興味が出てくるのだ。
彼らの心理について、調べていく日々が始まった。彼ら特有の「何も信じない」という固執と、膨らみまくった自己愛の混在に魅了されていた。
ムカつくも、そのバランス最悪の脳みそを覗いてみたくなったのだ。
デンマークの哲学者にキルケゴールというおっさんがいる。
こういう絶望したやつらについてやたら詳しいおっさんである。絶望してるやつらの権威とも言える。
僕はこのおっさんの『死にいたる病』という1849年に書かれた一冊にたどり着いた。
絶望してるやつのカテゴライズがバキバキ行われていた。
その中に「絶望して自分自身に留まろうとするやつ」というものがある。まさしく僕が気になっていた性質を的確に言い表した言葉だ。
絶望して、絶望したそのショボイ自分に留まろうとするのは何故だろう。
正直、苦痛以外の何物でもないはずだ。それでも彼らはその状態に固執したりする。
しかし誰しもコンディション次第で陥るみたいだ。
「傷ついた人間が意地を張って回復を拒む」というのは非合理的であり、そうすることで不利益しかないのは本人も分かっているのだが、留まることに賭けてしまう。たしかにそういう夜は自分にもドッサリあった。
だんだん彼らのことが他人とは思えなくなってきた。
言うなれば人間は「切り替えができない脳みそ」になってしまうときがあるのだ。
脳機能レベルの理解から言えば、前頭前野によるコントロールが低下して、扁桃体などから生じるネガティブな情動を抑えきれなくなっているのだろう。
我執にとらわれ倒しているひとは「素直になりにくくなる」という最強に成長しにくい状態だと言える。そして「満足に脳が働いていない」とも言い換えられる。脳の機能不全だ。
つまり我執というのは、高次ではなく低次なのだ。かっこつけてても馬鹿丸出しということだ。
プライダーたちは気付かない。その驕りが高尚な自己だと勘違いしたまま治らないのだ。じつはもっと低次元の、未熟な自己愛に振り回されている自分に気が付いていない。
前頭前野のコントロール機能の発達が阻害されるのは、幼い頃の不安定な愛着や心の傷によって引き起こされるという調べがある。
だけど、知ればその発症を防ぐことができる。悪くても軽減できる。知識が自分を健全に導くときがあるのだ。「知って」いれば最悪を回避できるのは真理だ。
どんなキッカケでもいいから「知らぬを知る」は怠りたくないものである。
僕は学校にいたときよりも、成人してからの方が勉強してきた。知識と経験を少しでも大きくしようとしてきた。
きっと生存本能だ。学ぶと生きやすくなる。というより学んでいなかったらわりと死んでいた気がする。
少なくとも岩崎くんのような男になっていただろう。生きているだけで満足できるほど、まだまだ熟成していない。
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