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【夜雨の声】こころの中に自然がある

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆☆

〜読むほどに味わい深くなる岡潔さんの言葉〜

数学する身体」をきっかけに知った岡潔という日本を代表する数学者。「数学する人生」「春宵十話」「人間の建設」などを読んできたが、どれを読んでも興味深い。
岡潔さんの文章は平易な言葉だが、理解が出来ない点が多い。しかし、何か自分の内面に新しい空間を生み出すような快感がある。
おそらく、この感覚が岡潔さんの言う「頭で理解する『わかる』ではなく、情で理解する『わかる』」なのかもしれない。

思えば、岡潔さんという人は変わった人である。数学者と聞いて想像するのは、紙とペン、または黒板を前にじっくりと数式を解く人の姿。それは論理の世界に生きている堅苦しい頭を持った人、というイメージだ。
いや、岡潔さんもおそらく頭の硬い頑固な性格の持ち主なのだろうと文章を読む限り想像するのだが、その思想は「自然」や「こころ」など、おおよそ科学者から聞く言葉ではない言葉を多用する。非常に柔軟な思考を持っている人なのだろう。そして、その人間の内面に迫る思想は深く広い。
もともと岡潔さんに興味を持ったのは、その数学から人間の内面に迫ろうとした発想に驚いたからだ。

西洋思想の無批判な取り入れ、物質主義的な教育、自我を中心とした思想、科学や物質主義の誤り、科学者でありながらこんなことを考えられる人が、今の日本にいるのだろうか?こんなに見聞の広い人は、日本に現存している人の中にはいない、と僕は思う。物質や論理でしか物事を信用出来なくなってしまった現代を見たら、岡潔さんはどんな言葉を教えてくれるだろうか。


〜物質的なこころ、そうでないこころ〜

さて、本書は岡潔さんの随筆や小林秀雄さんとの対談を編集してまとめた豪華な一冊である。
本書の編集に携わったのが宗教学者の山折秀雄さんという方なのだが、それが理由か、本書はどちらかというと岡潔さんの宗教観・世界観を知るような文章が集められている印象がある。

岡潔さんを語る上で外せない「情緒」に関してはもちろんだが、特に本書全体としてキーワードとなるのが、
「自然は、われわれのこころの中にある、自然の中にわれわれのこころがあるのではない」
という岡潔さんの持論である。

僕らはつい、自分の肉体の外側に自然があり、その一部が自分でこころもその内にある、と考えがちである。しかし、岡潔さんに言わせれば、それは物質主義に濁った考え方である。
こころが自然を理解する、のである。
物質的な「こころ」という言葉は、自分の中の意思や感情を指し、自分の内側にある。こころは自分の大きさ以上に大きくならない。例えるなら、物質的に捉えれば、こころは一つのボールのようなもので、それが自分の肉体の中に宿っているようなものだ。
しかし、こころはそんな一人の人間の肉体に留まるようなものではない。こころはいくらでも広がることができる。それは、測れるような大きさではない。測れないほど大きくなる、という意味ではない。そもそも、測るという概念をもつ大きさではない、ということだ。

すなわち、こころはいくらでも広がる。こころを広げれば、科学や理屈では説明できない人の心や自然の動きが「わかる」ようになる。真に「わかる」とはそういうことなのだ。


非常に難しい考え方である。物質主義アタマに濁った僕の頭では、まだまだ岡潔さんの思想を理解したとは思えない。
しかし、時折岡潔さんの言葉に触れることで、世界の見え方が変わる。これからも僕は岡潔さんの言葉に触れ続けるだろう。

30代になって、こんなにも心を震わせる人の言葉に出会えたのは幸運であったと思う。

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