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【暴力の人類史・下】読後も平和に対しての不安は残る

オススメ度(最大☆5つ)
☆☆☆

〜暴力を振るう要因・抑える要因〜

統計データ用いて「歴史の中で暴力は年々減り続け、現代は歴史上最も暴力の少ない平和な時代である」という事実を外見的に証明した上巻に対して、この下巻は暴力を誘発する5つの要因(内なる悪魔)と暴力の抑制要因となる4つの要因(善なる天使)を解説して、先の歴史は内なる悪魔のいずれかが善なる天使のいずれかに打ち負かされたものであるという内面的な過程を示す。

要は、人はなぜ暴力的になるのか?そして、人はなぜ暴力を抑制するのか?それを心理学的見地から解説するのがこの下巻である。

様々な角度から人間の内面から暴力が減少した理由について著者の考えが展開されるが、ざっとまとめて言うと「暴力で得られる利益が人を傷つける労力に比べて少ない事に、人々が気づいた」ということなのだろうと僕は思う。
もっと言えば「自分が利益を得るためには暴力は割に合わない」と多くの人が気付いたからなのだと思う。

金が無いから民家に侵入して家族を殺して財産を奪う。

現代ではこの行為が割に合うと考える人はほぼいないだろう。

社会が合理的になった事により「暴力を振るっても儲からない」のだ。それは、世の中が民主主義や資本主義など(ある程度)合理性が主体となった社会に発展した事が寄与しているのだと思う。


〜暴力が無い=平和な世界?〜

著者の言う通り、歴史上"暴力が減少した"というのは事実として間違いないと思う。
しかし、"暴力の無い世界だから現代が歴史上1番平和な世界だ"という事にはやはり首を傾げてしまう。

なぜなら「暴力は割に合わない」だけであって、人の攻撃性が減ったわけでは無いと思うからだ。
第8章(内なる悪魔)を読む限り、第9章の善なる天使で暴力行為を抑制する事はあっても、人間の根底にある攻撃性を否定することは出来ないと思うのだ。

「肉体的な暴力」を使わなくても、昨今のSNSによるヘイトや誹謗中傷を見れば感じるように、「言葉の暴力」は世界中を飛び交っている。「肉体的な暴力」を使わなくても、人を傷つけたり死に追いやったりする事が出来る事を僕らは知っている。
また、人の手により死を与えられる事は無くとも、誰かのヘイトや誹謗中傷で死ぬほど辛い人生を生き続けなければならなくなった人がいる事も知っている。

暴力でなくとも、現代人の攻撃性というものが強くある事を日々目の当たりにしている。
暴力や戦争での死者が減っていても、誰かの攻撃で不幸なまま生きていく人が増えるかもしれない。

そんな不安があるなか、「私たちはかつてないほど平和な世界を生きている」という言葉を素直に飲み込む事は出来なかった。


〜暴力の減少は真の平和への大きな革新〜

とはいえ、著者の言う通り、暴力が減少していった事は人類の歴史においては非常に良い事だ。

真の平和な世界に向けての大きな事実である事は疑いようがない。

しかし、本書で大量のデータと分析を行なったにも関わらず、やはり、暴力が減少した理由は複雑でこれだという要因は見当たらない。

暴力が減少した理由はあまりにも複雑なので、やはり人々の中には「いつまた世界大戦のような凄惨な暴力が発生するのか?」という不安は拭えない。

少なくとも僕は、本書を読み終えた今も「今の世界は平和なんだ」と楽観的に考える事は出来ない。
今が歴史上1番平和な世界であるのであれば、その平和を維持するために、僕らは不安を抱え続ける必要があると思う。


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