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ぷらっとほーむ

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#フリースペース

「接続する」という技法。

「接続する」という技法。

■先月に引き続き、当事者の親の会での講演の場でのやりとりの中から話題を提供したいと思う。私を講師として呼んでくれた親の会が活動するその地域には、(不登校・ひきこもりなどの)子ども・若者たちが利用可能な居場所が身近に存在していない、とのこと。だからこその、自前の居場所を草の根で立ち上げていくための学習会。当然、私の話題提供に対しても、さまざまな角度から、具体的な質問があった。前回に引き続き、ここで再

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「誘惑する」という技法。

「誘惑する」という技法。

■先日、とある当事者の親の会にお招きいただき、居場所に関する学習会で講師を勤めさせていただく機会があった。ぷらっとほーむにはそもそも「親の会」という概念そのものが存在しないので、「親」あるいは「親の会」という立ち位置にある人びとと対話をするという機会それ自体が極めて希少。ゆえに、普段は気づけない「当事者の親」という立ち位置ならではと思われるさまざまな価値前提の存在を知ることができ、非常に有意義であ

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動き出す世界、回り出す居場所。

動き出す世界、回り出す居場所。

■居場所づくりに関与していると、「不登校・ひきこもり」に言及する場面に頻繁に遭遇するのだが、そこで「通説」めいたものとして時おり語られるこんなネタがある。それは、「居場所に新規の子ども・若者たちが入会しに来る時期でいちばん多いのが、5月の連休明けと9月の夏休み明け」というもの。長い休みのなかで「休み癖」「怠け癖」がついてしまって、休暇が終わってもそのままずるずる登校/通勤拒否、というげんなりするく

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「スタッフの消耗」問題をこえて。

「スタッフの消耗」問題をこえて。

■かつて、「言語の貧窮」こそが「居場所」関係者(もっと言うと、若年支援系NPO)の抱える課題ではないかと述べた。「言語の貧窮」とは、活動の当事者たち(自分らをも含む)が自らの行為――「居場所づくり」や「若年支援」――の意味や価値、それが社会的に果たしている機能などについて、反省的に自己言及するための語彙あるいはそのためのしくみを、自身の活動の内部に十分に確保できていないという事態を指す。それがもた

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オルタナティヴであるとはどういうことか。

オルタナティヴであるとはどういうことか。

■やまがたの若年のオルタナティヴな生きかたに関する事例を取材したインタビュー誌『これが わたしの、いきるみち。』を3月に上梓して以来、さまざまな取材に応じる機会があった。そのなかでよく聞かれた質問に次のようなものがある。「インタビュー対象となった15人の事例は、どのような基準で選ばれたのか」という質問だ。本のテーマが「オルタナティヴな生きかた」なのだから、それがいかなる意味においてそうなのかが問題

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「価値中立」という名の思考停止。

「価値中立」という名の思考停止。

■ぷらっとほーむの運営は、その価値に賛同し共鳴して下さった数多くの心ある人々による、財政的な支えを得て行われている。利用者がより利用しやすくなるよう、財政基盤を整えていくためには、そうした支援者の裾野を広げていく必要があるわけで、そのために私たちは、機会あるごとに、ぷらっとほーむの理念や目的について理解してもらうべく、意識的に特定の価値――社会的弱者としての若年のための分権的再分配のしくみを!――

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居場所の効用とは何か?

居場所の効用とは何か?

■季節がめぐり、ぷらっとほーむに集う子ども・若者たちの顔ぶれも一年前とはずいぶん変わった。かつてこの居場所を利用していた子ども・若者たちのある者は学校に復学/進学し、また別の者は新たな職場でがんばっている。継続の利用者たちも、それぞれのペースで自らの歩みを着実に進めている(ように見える)。彼(女)らに加え、新規利用者の子ども・若者たちを迎え、昨年度とはまた違った個性の風が吹き始めた――そんなことを

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「はじまりの居場所」のためのレクイエム

「はじまりの居場所」のためのレクイエム

■山形市でフリースペースを運営している身として、言及を避けられない大きな出来事があった。県内初の民営通所型フリースクールとして2001年に開設されたフリースペースSORA(2003年度よりフリースクールSORAと改称)が、この6月で活動を停止。団体解散が決定した。個人的には、設立当初からフリースクール開設の運動に関わり、2年間その代表として運営に携わってきたこともあり、他人事とは思えない。幾つか思

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リベラル/スローであるためのレッスン

リベラル/スローであるためのレッスン

■前回は、自分らがなぜ居場所を他の仕事と「兼業」しているのかについて述べた。繰り返すがそれは、「兼業」しているスタッフの姿、すなわち複数の「仮面」を状況に応じ使い分けるという私たちの生のありようを、利用者の子ども・若者たちに具体的に示すことで、文脈や背景についての想像力(これが「社会を生きる力」を構成する)を喚起するという戦略的な意図に基づいている。だが「兼業」の利点はそれにとどまらない。スタッフ

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私たちが居場所を「兼業」する理由。

私たちが居場所を「兼業」する理由。

■総会も無事終了し(会員の皆さまありがとうございました)、ホッとしてやや気が抜けているところである。自分たちの生計をNPO事業だけで支えていくだけの財政基盤/能力は現在の「ぷらっとほーむ」には備わっていないので、例年どおりの「2(n)足のわらじ」生活がまた始まる、ということになる。一応説明しておくと、私は現在、①教師派遣会社の派遣スタッフ、②予備校の非常勤講師、③某新聞社の原稿書きなどの仕事で生計

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私たちのなかの壊れていない部分

私たちのなかの壊れていない部分

■先日、福島県内の2つのフリースクール/フリースペースと合同で行っているスタッフ研修会に参加するために、猪苗代まで行ってきた。2年前からそれぞれの自発性を前提に行ってきた自主研修会で、今回が4回目になる。わたし個人としては、フリースペースSORAでスタッフをしていた時代から、ぷらっとほーむの準備期、そしてそのスタッフと、参加するたびに微妙に立ち位置や背景が変わっているので、そのたびごとにいろんな視

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汚れた社会の中心で 愛を叫ぶ。

汚れた社会の中心で 愛を叫ぶ。

■前々回の脱線空間にて、無意味で、非生産的で、下品で、しかもバカバカしい、そんなコミュニケーションが日常化しているぷらっとほーむでのありかたとその根拠となる考えかたについて記述した。簡単に言えば、生産性や意味を求められるコミュニケーションがいたるところにあふれる私たちの社会にあっては、心からホッとできる居場所とは、そうしたコミュニケーションから「降りる自由」が十分に保障された場所や機会だということ

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はじまりの「中間支援」。

はじまりの「中間支援」。

■居場所づくりの活動に関与するようになって3年がたった。当初はフリースペースなどと言っても「何それ?」と返されることが当たり前だったが、その頃から比べると、この3年間の変化は本当に信じがたいほど急速だ。かつて自分たちもその運営にも参画していたフリースペースSORA(現在はフリースクールSORA)をはじめ複数の居場所が山形市内でも設立され、行政サイドの支援者ネットワークづくりも始まった。「不登校」や

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居場所にリベラルの花束を。

居場所にリベラルの花束を。

■「(不登校・ひきこもりを含む)子ども・若者たちの居場所づくりの活動をしています」などというと、どうしてもマジメで堅気な(さらに言うなら、暗くて深刻な)イメージをもたれがちで、実際にフリースペースを訪れてみて、そこに流れる空気や雰囲気に驚く人も多い。そこには、バカバカしいもの、下らないもの、ナンセンスなもの、下品なもの、そしてそういったものにまつわる笑いがあふれているためだ(念のため注釈しておくと

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