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#フリースペース
動き出す世界、回り出す居場所。
■居場所づくりに関与していると、「不登校・ひきこもり」に言及する場面に頻繁に遭遇するのだが、そこで「通説」めいたものとして時おり語られるこんなネタがある。それは、「居場所に新規の子ども・若者たちが入会しに来る時期でいちばん多いのが、5月の連休明けと9月の夏休み明け」というもの。長い休みのなかで「休み癖」「怠け癖」がついてしまって、休暇が終わってもそのままずるずる登校/通勤拒否、というげんなりするく
もっとみるオルタナティヴであるとはどういうことか。
■やまがたの若年のオルタナティヴな生きかたに関する事例を取材したインタビュー誌『これが わたしの、いきるみち。』を3月に上梓して以来、さまざまな取材に応じる機会があった。そのなかでよく聞かれた質問に次のようなものがある。「インタビュー対象となった15人の事例は、どのような基準で選ばれたのか」という質問だ。本のテーマが「オルタナティヴな生きかた」なのだから、それがいかなる意味においてそうなのかが問題
もっとみる「価値中立」という名の思考停止。
■ぷらっとほーむの運営は、その価値に賛同し共鳴して下さった数多くの心ある人々による、財政的な支えを得て行われている。利用者がより利用しやすくなるよう、財政基盤を整えていくためには、そうした支援者の裾野を広げていく必要があるわけで、そのために私たちは、機会あるごとに、ぷらっとほーむの理念や目的について理解してもらうべく、意識的に特定の価値――社会的弱者としての若年のための分権的再分配のしくみを!――
もっとみる居場所の効用とは何か?
■季節がめぐり、ぷらっとほーむに集う子ども・若者たちの顔ぶれも一年前とはずいぶん変わった。かつてこの居場所を利用していた子ども・若者たちのある者は学校に復学/進学し、また別の者は新たな職場でがんばっている。継続の利用者たちも、それぞれのペースで自らの歩みを着実に進めている(ように見える)。彼(女)らに加え、新規利用者の子ども・若者たちを迎え、昨年度とはまた違った個性の風が吹き始めた――そんなことを
もっとみる「はじまりの居場所」のためのレクイエム
■山形市でフリースペースを運営している身として、言及を避けられない大きな出来事があった。県内初の民営通所型フリースクールとして2001年に開設されたフリースペースSORA(2003年度よりフリースクールSORAと改称)が、この6月で活動を停止。団体解散が決定した。個人的には、設立当初からフリースクール開設の運動に関わり、2年間その代表として運営に携わってきたこともあり、他人事とは思えない。幾つか思
もっとみる私たちのなかの壊れていない部分
■先日、福島県内の2つのフリースクール/フリースペースと合同で行っているスタッフ研修会に参加するために、猪苗代まで行ってきた。2年前からそれぞれの自発性を前提に行ってきた自主研修会で、今回が4回目になる。わたし個人としては、フリースペースSORAでスタッフをしていた時代から、ぷらっとほーむの準備期、そしてそのスタッフと、参加するたびに微妙に立ち位置や背景が変わっているので、そのたびごとにいろんな視
もっとみる汚れた社会の中心で 愛を叫ぶ。
■前々回の脱線空間にて、無意味で、非生産的で、下品で、しかもバカバカしい、そんなコミュニケーションが日常化しているぷらっとほーむでのありかたとその根拠となる考えかたについて記述した。簡単に言えば、生産性や意味を求められるコミュニケーションがいたるところにあふれる私たちの社会にあっては、心からホッとできる居場所とは、そうしたコミュニケーションから「降りる自由」が十分に保障された場所や機会だということ
もっとみるはじまりの「中間支援」。
■居場所づくりの活動に関与するようになって3年がたった。当初はフリースペースなどと言っても「何それ?」と返されることが当たり前だったが、その頃から比べると、この3年間の変化は本当に信じがたいほど急速だ。かつて自分たちもその運営にも参画していたフリースペースSORA(現在はフリースクールSORA)をはじめ複数の居場所が山形市内でも設立され、行政サイドの支援者ネットワークづくりも始まった。「不登校」や
もっとみる居場所にリベラルの花束を。
■「(不登校・ひきこもりを含む)子ども・若者たちの居場所づくりの活動をしています」などというと、どうしてもマジメで堅気な(さらに言うなら、暗くて深刻な)イメージをもたれがちで、実際にフリースペースを訪れてみて、そこに流れる空気や雰囲気に驚く人も多い。そこには、バカバカしいもの、下らないもの、ナンセンスなもの、下品なもの、そしてそういったものにまつわる笑いがあふれているためだ(念のため注釈しておくと
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