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他人からは自分の「思考」は見えない。他人が見るのは自分の「行為」だけ。

めっちゃ当たり前なんですが、よく忘れがちになるコトを言いますね。

他人から見えるのは自分の「行為」だけであり、他人からは自分の「思考」は見えません。

だから、他人からすれば僕の「行為」だけからしか僕を評価できない。僕の「思考」を評価したりはできないんです。

「こんなことを考えている」と評価しているわけでなく、「アウトプットされたことから、こんなことを考えていると推察する」なので判断軸は行為なのです。

捉え方を変えると、他人は自分の行為だけを見るので、そこに自分の「思考」により生じるバイアスはありません。

だから、自分の「行為」により生じる意味は、他人の目によって明らかになることもあります。例えば、自分が意識せずに取っていた価値ある行為を他人が気づいてくれたりする状況ですね。

僕が僕の行為だけを純粋に評価することはできません。僕を見るとき、「僕の思考」+「僕の行為」で受け止める。他人は僕の思考を抱けないので「僕の行為」だけを見ることができる。

正確に言えば「他人の思考」+「僕の行為」から解釈するのですが、いずれにしても「僕の思考」は相手に入ってこないので、僕の捉え方とは異なる捉え方が生まれる。

そんな、めちゃくちゃ当たり前のことで、何をあえて表現しているのかと思うようなテーマなのですが、でもいつの間にか忘れてしまっていることだとも思うんですよね。

他人からは自分の思考が見えない。そこには改めて意識的であろうと思うのです。



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