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自尊感情を満たす名誉を利用すれば、政治体制の安定性を強化できる

20世紀ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの説では、さまざまな政治行動の動機の一つとして自尊感情が重要だとされています。もちろん、権力を掌握することで何らかの経済的報酬を得ることも重要な動機となりますが、ウェーバーは自尊感情を満足させる上で名誉に観念的報酬としての有用性があり、非金銭的な報酬である名誉の観念を利用することで支配体制が安定化すると考えました。

例えば、封建社会では、この名誉を特定の身分にのみ与えられる特権的な報酬として活用することによって、大規模な軍事的動員を可能にしていたと考えられています。

ウェーバーの封建制の分類では、戦争の際には軍役に就くことを臣下に義務づけ、その見返りとして特定の土地から何らかの利益を受け取れるようにする知行制と、国庫から支払われる俸給を受け取れるようにする秩禄制の二つに分かれます。

どちらの封建制も忠誠を誓わせ、戦時に動員する上で有効な政治体制です。しかし、土地や給与だけでは臣下が満足できなくなるかもしれないため、軍務に就くこと自体がとても名誉なことであると臣下に信じさせることが重要になるとウェーバーは指摘しました。

中世のヨーロッパの封建制では、戦地に向かう騎士は武器や装備だけでなく、旅費なども含めてあらゆる戦費を自分の財産で負担しなければなりませんでした。それでも彼らが戦時に召集に応じたのは、騎士としての軍事的な義務を果たすことが社会的に名誉なことであるという観念が彼らの間で受け入れられていたためであるとウェーバーは説明しています。

ウェーバーは体制の安定性を基礎で支えているのは、このような非金銭的、非物質的な報酬であると考えており、それがなければ金銭的、物質的な報酬の効果も減少するだろうと考えています。

「俸給、役得チャンス、賜物、知行は、たがいにはなはだことなった程度と意味において、幹部を首長にくくりつける。しかし、それにもかかわらず、これらすべてに共通する点は、当該収入および行政幹部の一員であることにむすびついた、社会的勢力や社会的名誉の正当性が、それらを授与し保証してきた首長の正当性が棄権にさらされるようなことでもあれば、危殆に瀕するようになるということである」(ウェーバー著、濱嶋朗訳『権力と支配』講談社、2012年、133頁)

ちなみにウェーバーの理論では、身分という概念を階級と厳密に区別しているのですが、これは身分の価値は必ずしも経済的な利害で決まるわけではなく、社会的な評価で決まるものだと考えられているためです(同上、216頁)。つまり、身分は社会の中で名誉をもって遇される特権として非金銭的な報酬となります。

身分は人々を固有の「生活様式」に従わせる装置であり、また「世襲」されていく一族の財産でもあるため、単に政治的、宗教的な権力を独占できる状態を意味しているわけではありません(同上、216-7頁)。身分制社会に基づく政治体制の安定性は、このような特権を通じて自尊感情を満たすことができるという心理的メカニズムからも理解することができます。

人々の自尊感情を利用した非金銭的報酬を設定することによって、政治体制の安定化を図ることが可能であるというウェーバーの議論は、近代の官僚制の安定性を理解する上でも役に立つことが示唆されています。ウェーバーは第一次世界大戦(1914~1918)の影響からドイツで革命が起こり、大きな経済的、社会的な混乱状況に陥ったことに触れているのですが、彼は当時のドイツの官僚が必ずしも給与のために働き続けたわけではなく、ある種の義務に駆られて働いたと見ています。

つまり、混乱状態の中でも彼らが職務を続けることができたのは、「こんにちの条件下において行政機能が停止するなら、まかりまちがえば(官僚そのものをもふくめて)全人口にもっとも基礎的な生活必需品を供給する途が途絶をきたすことにもなりかねない、という没主観的(イデオロギー的)な理由でもあったのである」ということです(同上、134頁)。

参考文献

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