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支配者はイデオロギーでいかに人々の意識を操作するのか、マルクス・エンゲルス『ドイツ・イデオロギー』の書評

19世紀の革命家カール・マルクスフリードリヒ・エンゲルス(以下、マルクス・エンゲルス)の共著『ドイツ・イデオロギー』は未完に終わったこともあって難解な著作です。

しかし、『ドイツ・イデオロギー』は、イデオロギーを初めて政治学の概念として位置づけ、これを分析する視座を準備した文献であるため、素通りするわけにもいきません。マルクス・エンゲルスがこの著作で論じた支配の道具としてのイデオロギーの機能は、政治に対する理解を深める上で非常に重要な意味があったことは事実です。

この記事では、マルクス・エンゲルスの共産主義には特に触れていません。彼らのイデオロギー分析に焦点を絞って説明してみたいと思います。

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そもそもイデオロギーとは何か

もともとイデオロギーはフランスの哲学者アントワーヌ・デストゥット・ド・トラシの造語であり、「観念学」という新たな学問の名前として登場しました。デストゥット・ド・トラシは、人間の知性の働きには生理学的な基礎があると信じており、観念が発生し、想起され、関連付けられる機構を科学的に解明することを構想していたようです。マルクス・エンゲルスも、人間の精神的活動は、身体的欲求によって引き起こされると考えていました。

しかし、マルクス・エンゲルスの議論では、トラシと違った意味でイデオロギーを定義しました。誤解を恐れずに単純化してしまうと、基本的にマルクス・エンゲルスが考えるイデオロギーは現実性がない虚構、幻想、欺瞞を意味しており、いったんイデオロギーを植え付けられた人々は、自分が搾取され、不利益を被っている現実を自覚できなくなったり、あるいは権力者に対して政治的不満を抱かなくなる効果があります。

イデオロギーはその内容を修正しながら、支配者が被支配者をコントロールする手段として使われてきました。それは当たり前の価値観として世間に浸透してきたのです。

このようなイデオロギーの性質を説明するためには、マルクス・エンゲルスの考え方をある程度確認しておくことが必要です。彼らは、人間一般にとって最も重要なことは、生物として生きていくために必要な水分、栄養、材料などの資源を獲得することである、と考えました。人間が持つ意識、観念、精神は、もともと日々の生活で起きるさまざまな問題を解決するための手段だったのであり、それを巧みに使うことで自分の体を効率よく動かし、あるいは集団を形成し、協働することが可能になりました。

このような意識や観念を生み出す上で重要だったのは言語の使用であり、「理念、表象、意識、の生産は、当初は直接に、人間たちの物質的活動や物質的交通、現実的な生活の言語に編み込まれている」とマルクス・エンゲルスは述べています(『ドイツ・イデオロギー』29頁)。物質的活動や物質的交通は、財を生産し、交換することを意味しています。言語は人間が獲得した道具として最も重要なものでしたが、やがて支配者が被支配者の意識や思想を制御することを可能にもしたのです。

分業が支配者と被支配者の関係を作った

明確な時期までは示されていないのですが、マルクス・エンゲルスは人口が増加するにつれて、人間は複雑な社会を構築することができるようになり、さまざまな資源を集団的、計画的な分業生産によって手に入れるようになった、と考えています。

この分業が進む過程は、簡単な作業の分担から始まったはずです。しかし、次第にその方法を使う分野は広がっていき、最終的には肉体的労働と精神的労働という分業にたどり着きました。つまり、自分の体を動かして生産に従事する人々と、自分の体を動かさず、頭を働かせて言葉で指示や命令を出す人々の分化が起きたというのです。これを説明しているのが以下の引用文です。

「物質的労働と精神的労働との分業の最たるものは、都市と農村の分離である。都市と農村との間の対立は、未開から文明への、部族制から国家への、局地性(引用者注:村民)から国民への移行とともに始まり、文明期の歴史全体を今日に至るまで貫通している。――都市とともに、同時に、行政、警察、租税等、要するに共同体とそれに伴う政治一般が必然的なものとなる。ここにおいて、まず、人口の二大階級への分化が現れる」(同上、141頁)

少し難しい書き方なのですが、これは精神労働に従事する都市の住民は、肉体労働に従事する農村の住民が獲得する資源を手に入れることによって、生きていけるようになったという議論です。このような分業は、文明化が進む中でも一貫して社会に見出すことができるパターンであり、精神的労働に専従する人々とは支配者として大規模化した社会を統治する技術を洗練させていきました。マルクス・エンゲルスによれば、この分業から政治が始まるのです。

ここで重要な点は、精神的労働を通じて政治に専念する人々の利害は、肉体的労働に専念する人々の利害と相反するという点です。マルクスとエンゲルスの見解では、社会を統治するためには、既存の社会の仕組みに対して疑問や不満を抱く被支配者を慰め、あるいは欺くことが必要になり、そのためには現実を歪曲して認識させる幻想、虚構を構築し、それを信じさせなければなりません。この目的を達成するために、精神的労働に特化した支配者は、政治、法律、道徳、宗教、形而上学などをはじめとする抽象的な思想や観念を生み出し、それを広めていくことが重要となります。

なぜイデオロギーは支配者にとって有利なのか

マルクス・エンゲルスは、イデオロギーが支配の手段としていかに強力であるかを強調しています。例えば、肉体的、物質的な労働に従事する人々に共通した特徴として、「自分自身に関する幻想や思想を自分で作るだけの時間が余りない」ことを挙げています(同上、113頁)。つまり、一般の庶民は日々の仕事で忙しく、政治や社会に対して明確な考え方を自分の中で育むための余裕が持てないのです。何か考えを持つことがあったとしても、それは誰かが作り出した思想を受け入れているにすぎず、自分の思想を組み立てるだけの能力を持っていないことが一般的です。

多くの人々が最も強い関心を持っているのは、今の生活の基盤を維持することです。つまり、既存の体制を批判的に見て、それを変革するための行動を起こそうとする民衆はめったに現れません。マルクス・エンゲルスは、労働に明け暮れている人々が、上から押し付けられた思想や理論に対して無防備な状態にあるため、イデオロギーは有効だと考えました。

このような優位が前提としてあるため、精神的労働に特化している支配者は、被支配者の認識や行動を内面から操作するような思想を押し付けることができます。だからといって、支配者が提供する思想や理念の内容はどのようなものでもよいというわけでは決してありません。被支配者にとって受け入れやすいイデオロギーを提供できるように、支配者は工夫を凝らさなければなりません。このことを考えるためには、イデオロギーの内容に注意を向ける必要があります。

支配者がイデオロギーを作り上げる上で気を付けることは「自分の利害を社会の全成員の共同的利害として示す必要に迫られる」ということです(同上、115頁)。つまり、既存の支配体制を、一部の人々の特殊な利益のための支配ではなく、すべての人が普遍的な利益を得るための支配であるかのように思いこませなければなりません。そのためには、可能な限り曖昧で抽象的な言語を駆使し、支配者の個人的、私的な利害関係を隠すことが重要になります。

マルクス・エンゲルスの言葉では、「支配階級の思想を支配階級から切り離して自立化」させることによって、それが容易になると述べています(同上、114頁)。意味を明確にするのではなく、曖昧にする技術がイデオロギー的には必須です。このようにして社会に広められた思想のことを、マルクス・エンゲルスは支配的な思想と呼び、イデオロギーの基本的な要素と位置付けました。支配的な思想にもいろいろな種類があるのですが、マルクス・エンゲルスは、「権力分立」を例として取り上げています。

「例えば、王権と貴族とブルジョアジーが支配権をめぐって争い、それゆえ支配権が分立している、そういう時代、そういう国に、権力分立の学説が支配的な思想として登場し、それが今では「永遠の法則」として言い表されることになる」(同上、111頁)

もともと権力分立は、国家の権力を立法権力、執行権力などに分割し、異なる機関に配分した上で、相互に抑制、均衡させる統治の方式を意味します。日本の中学校だと公民で、権力分立(三権分立)は国民の権利を守るための制度であると教えられており、大学の授業であれば権力分立はジョン・ロックの『統治二論』、あるいはシャルル・ド・モンテスキューの『法の精神』で示された憲法の基本原則として説明され、民主主義の思想と関連付けられるかもしれません。

しかし、マルクス・エンゲルスはそのような説明は一面的であると批判しています。そのような説明は、権力分立があたかも普遍的、根源的な思想であり、すべての人の利益になる制度であるかのように偽装していると考えられるためです。政治的に優れた制度に見える権力分立も、歴史的な成立の経緯を調べてみれば、その時々の支配者階級の利害を正当化し、また守るための支配的な思想であったとマルクス・エンゲルスは考えました。

実際、ロックが権力分立を唱えた当時のイングランドでは、王権の正当性の議会の権力を強化するための政治的闘争が起きており、モンテスキューはフランスで絶対的な権力を握る国王の統治に対して批判的な立場をとっていました。

しかし、そのような背後関係は省略され、単純化された上で、権力分立は当たり前に受け入れるべき制度として世間に浸透されているとマルクス・エンゲルスは考えました。支配者はこのような思想を利用しながら、自らの支配体制の正当性を認めさせるイデオロギーを確立できます。

まとめ

この記事を通じて理解していただきたいのは、マルクス・エンゲルスにとってイデオロギーが単に自由主義、保守主義、社会主義のような区分で整理される政治理論ではなかったということです。ほとんどの人が疑うこともなく受け入れている平凡な世界観、あるいは普通の価値観に支えられたイデオロギーの方がはるかに強靭で、支配に役立ちます。

ちなみに、現代の政治学の研究では、イデオロギーの概念があまりにも広いことが問題となりました。それは世論調査、面接調査のような客観的な調査で特定できるのか、どのような質問をすればそれを浮き彫りにできるのか、そもそも現代の政治においてイデオロギーの影響力はそれほど強いと言えるのかなど、さまざまな疑問が向けられました。研究者としてのマルクス・エンゲルスはあまりにも階級闘争の枠組みに固執しているので、このような批判的な見方をされることは当然のことだと言えます。

最近の研究ではイデオロギーの問題に対する関心が再び高まっているようです。ポピュリズム、陰謀論、プロパガンダと関連付けて研究する動きが見られますが、それについてはまた別の記事で語ることにします。

参考文献:マルクス・エンゲルス『新編輯版 ドイツ・イデオロギー』廣松渉編訳、小林昌人補訳、岩波文庫、2002年


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