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❖足元美術館XXⅤ(理想で際立つ虚なる美と、現実ゆえに綻び歪みを伴う自然の美)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年7月30日)

【記事累積:1627本目、連続投稿:679日目】

<探究対象…虚像と実像、錯覚、美>

ラオス・ビエンチャンでいつも利用しているカフェ。大体の場合、アイスアメリカーノとシュークリームを注文し店内の二人掛け席で過ごす。ごく稀に店内が混み合っていて、外のテラス席を使うこともある。この日はそんな稀の日で、テラス席へ。店内の席の木目のテーブルは柔らかさがあって、落ち着いた雰囲気。店内はエアコンも聞いているので、非常に快適。一方、テラス席はどうか。扇風機はあるものの、ラオスの灼熱の影響はごまかせない。でも、天板がガラスでできたテーブルは毅然としていて、それはそれで悪くない。外にいるのに涼しい気持ちになれるのは、透明感のあるガラスのおかげ。ガラスの下には黒い台。ガラスと台の掛け合わせは、テーブルに鏡の機能が加わっている。そのためテーブルの近くのものが鏡に映る。色んなものが鏡に映る。気になったのは近くの垣根から伸びてきた枝の先である。そこには何枚かの葉っぱがあった。【情報の収集】

鏡のようになったテーブルに映るそれらの葉っぱは、とても鮮やかであった。ふと映っている本体に目を移したとき、一つの疑問が生まれた。本体よりも鏡に映るものの方が鮮やかに見えるのはなぜだろう。【課題の設定】

本体と鏡の葉っぱとを見比べたとき、鏡の葉っぱの方がはっきりとした輪郭を持っているように見える。また、その内部を走る葉脈もくっきりしている。そして、色も本体と比べると明るく鮮やかだ。【情報の収集】

「人は自然が与えたすべての特徴を美化し、ときには誇張したがる。」
これは19世紀に活躍したイギリスの自然科学者であるダーウィンの言葉である。彼によれば、人間というものは自然界のある何かをそのままの形で受け止めるのではなく、幾分か加点して受け止めるようである。【情報の収集】

この言葉が示すように、私たちは自分たちが思い描いているイメージという絵の具で、実体が本来持つ特徴に着色し、実体以上に際立った特徴を持つ形にしがちである。美化とか誇張という言葉は、自分にとってポジティブな状態・状況を作り出しているときに使われることが多い。だから美化や誇張の際に使われる絵の具は暖色だろう。これに対してネガティブな状態・状況を作り出そうとしているときは、寒色の絵の具が使われ、それは被害妄想とか悲観的といった言葉になるだろう。【整理・分析】

美化や誇張、一方で被害妄想や悲観的。これらの表面には真逆の色が塗られているので、相容れないもののように思えるが、それは数直線上の話ならばである。これが4つの象限を持つ座標上ならば、x軸としては正と負だとしても、y軸としては同じ側にあるといえる。y軸が示しているのは、「現実からの乖離」の度合いである。【整理・分析】

カフェのテーブルについていえば、黒い台を背にして鏡のようになったガラス面がスクリーンの役割を果たし、輪郭や葉脈を際立たせたり、葉っぱの緑色をより鮮やかに感じさせたりと、一定の視覚効果を及ぼしている。つまり、ガラス面が印象に変化を与えるフィルターになっているのである。【まとめ・表現】

他の事例で考えてみても、頭の中にある理想的なイメージがフィルターとなって、或る実体そのものとは異なる印象を作り出してしまうことがあるだろう。現実に起こっている問題を直視せずに都合よく着色するとき、美化や誇張以外ならば、楽観的という言葉も同類と考えることができるだろう。【まとめ・表現】

ガラス面にしても、頭の中のイメージにしても、「現実から乖離」によって、実像側から虚像側へ向かっているのである。【まとめ・表現】

ハイビジョンに映る画像の恐ろしいほどの鮮明さも、人間が備えている通常の知覚では受け取れていなかった微細な部分にまで焦点を当てそれを表現しているものであり、美化や誇張と無縁ではないから、これも一種の虚像といえるだろう。【整理・分析】

理想の姿を追い求めれば追い求めるほどに、自分の目の前に広がる世界は虚に向かっていく。虚像は、自己の存在を証明する責任から解放されているので、好き勝手に姿を変えることが可能である。そうして認識されることになる美や正義や秩序の価値はどれほどだろうか。プラトンは大いにその価値を認めるかもしれないが、アリストテレスは認めないはずである。アリストテレスは言うだろう。たとえどこかに綻びがあったり、歪さがあったりしていても、それが現実の美や正義や秩序の姿であり、それを正しく受け止めることにこそ価値があると。【まとめ・表現】

だからプラトンが隣にいたら、ガラス面に映る葉っぱの美に酔いしれるだろう。そしてアリストテレスがいたら、ガラス面の葉っぱなどに目もくれず、風に揺られながら温度と湿度に負けまいとしている垣根の葉っぱの美を認めるだろう。ダーウィンもアリストテレスと同様に、理想による美化や誇張に惑わされないありのままの葉っぱの姿の価値を認めることだろう。【まとめ・表現】

ちなみに「葉」はラオ語で「ໃບ(バイ)」という。同じくタイ語では「ใบ(バイ)」になる。

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