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❖足元美術館XXⅥ(美しいもののうちのどれくらいが危うさを伴っているのか)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2023年8月19日)

【記事累積:1668本目、連続投稿:699日目】
<探究対象…美、川、写真、風景、環境汚染、情報の非対称性、薔薇や桜>

夏といえば海や川で遊ぶことも少なくない。海にしても川にしても「水」が私たちを包んでくれる。本来、「水」は色を持っていない。それなのに青く見えるのは、外的な要因によるところである。南の青く美しい海などが取り上げられることが多いが、その青さは水が太陽の光をどのように吸収しているかが関係している。空の色が映る効果もなくはない。川の青さについても同様である。【情報の収集】

ラオスは内陸国なので海はないが川はある。有名なメコン川だってある。先日、橋の上を通ったとき、その川の青さが気になった。この川がメコン川とどこかで繋がっているかは分からない。メコン川よりも青く思えて気になった。この青さもやはり太陽の光や空の色が何かしら関係しているのだろうか。【課題の設定】

橋の上で立ち止まり、川の様子をじっくり観察してみる。その日の空はすっきりとした青空というよりも、雨雲ではないが雲が広がっているため、空の青さには白っぽさが混ざっている。だからだろうか、川の色もすっきりとした青ではなく、白っぽさが混ざっている。【情報の収集】

観察を始めてから余計に気になったのは、「見た目の青さ」よりも「におい」だった。「におい」という言葉を漢字にするとき、「匂い」もあれば「臭い」もある。この川で気になったのは「臭い」である。何ともいえない「異臭」。「腐敗臭」といっても言いすぎではないだろう。【情報の収集】

しかし川はしっかり流れている。流れが滞って淀んでいるわけではない。それなのにこんな「臭い」がするのは、この川には相当な外的要因が流れ込んでいるからだろう。川の周囲をよく見てみると、たくさんの「ゴミ」もある。上流から流れてきただけではないだろう。ラオスではあまり気にせずその辺りにゴミを捨てる場面をよく見かける。川が都合の良いゴミ捨て場にもなっているのだ。【情報の収集】

視点を変えてみると、この川と合流する穴が所々に空いている。そこからも川の色とそっくりな白みがかった青色の水が流れ込んでいた。流れ込んで合流した直後の部分は泡立ってもいる。【情報の収集】

穴の中には太陽の光も空の色も及ばないはずである。それなのに穴から流れてくる水にはしっかりと色がついている。だから、この水の色は太陽や空とは異なる外的要因が関係していることが分かる。加えてこの「臭い」である。これは生活排水と考えられる。【整理・分析】

「ゴミ捨て場のような川だから、生活排水を流しても構わないと考えたのか」、それとも「生活排水を流すような川だから、ゴミを捨てても構わないと考えたのか」。どちらがニワトリでどちらがタマゴかは分からないが、原因と結果が混ざり合って、さらに悪い状況を生み出していることは間違いない。もはやどちらが原因でどちらが結果という問題ではなくなっているから、仮に最初は原因だった方を改善したとしても、現在の状況はそれほど変わらないだろう。【整理・分析】

こうして目の前を流れる川が白みを帯びた青色である主な理由は分かった気がする。しかし写真というものは恐ろしいものである。写真は「見た目」という視覚情報を主に伝えるものなので、この川の周囲に漂う「臭い」は分からない。さらに、この写真の構図では、それほどゴミは見当たらないし、他の穴から流れる水や泡立ちも分からない。だから見る人によっては、「ラオスを流れる川の牧歌的で美しい風景」と思うこともあるだろう。確かに、雲がかかった白っぽい空の色を受け止めた美しい川だと言われたら、信じる人も少なくないのではないか。【まとめ・表現】

ある1枚の写真は、周囲のあらゆる情報を含めた現実の状況を語るものではないのである。見た目だけで考えれば、この写真には「美しさ」はあるように思える。しかしこの美しさには「危うさ」が潜んでいる。【まとめ・表現】

「買い手の持っている情報が、売り手と同等とは限らない」
これはアメリカの経済学者であるジョージ・アーサー・アカロフの考えを端的に表現したものである。【情報の収集】

この表現は一般に「情報の非対称性」と呼ばれる。この表現は、市場では売り手と買い手それぞれが持っている情報に格差があって、買い手にとって不利な状況を指す場合に使われることが多い。買い手は限定的な情報で購入するかどうか判断しなければならず、売り手と買い手が対等な関係にないため、これが「市場の失敗」に繋がる可能性があると考えられている。【整理・分析】

今回の川の写真にも同じように「情報の非対称性」があるといえる。写真を撮る側は、都合よく構図を変えて、その写真から伝わる情報を限定し、持たせたい印象へと誘導していくことが可能である。写真を見る側は、現に映っている情報を元にして考えるため、そこに映っていない情報まで想像が及ばないことの方が多いだろう。【まとめ・表現】

同じようなメカニズムを持った有名な写真がある。南アフリカ共和国の写真家であるケビン・カーターが撮影した『ハゲワシと少女』と呼ばれる写真である。【情報の収集】

この写真も写っている状況だけ見たときと、その写真の周囲の状況を知ったときでは、その写真に対して思うところは変わってくる。この写真の話も展開すると話が長くなり、話が逸れるので割愛する。【整理・分析】

ここまで考えてきたように、ラオスの川を「牧歌的で美しい」と見せるのも、「ゴミや生活排水で汚れている」と見せるのも、写真を撮る側の考え次第ということである。そうして、この川の持つ美しさには、隠れた危うさが伴っていたのである。こういった美しさというポジティブな部分だけに焦点を当てて、危うさというネガティブな部分を隠してしまうものは、世の中に相当程度存在しているにも関わらず、私たちはそれに気づいていないような気がしてならない。【まとめ・表現】

「美しい花には棘がある」とか「薔薇に棘あり」といった表現があるが、これに通ずるものといえるだろう。美しいものが単に美しいだけで存在しているのは不自然ということだろう。こうして話を展開していると、さらに梶井基次郎の『櫻の樹の下には』に考えが及んでしまった。しかしそれはまた別の機会に考察しようと思う。【まとめ・表現】

ちなみに「風景」はラオ語で「ທິວທັດ(ティウタット)」という。同じくタイ語では「ทิวทัศน์(ティウタット)」になる。

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