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【小説】 ハラスメントラベラー 【ショートショート】

 バブル末期の暑い八月。島型レイアウトの並びの課長席に座る坂本はこめかみに青筋を浮かべながら、腹の底から声を出して吠えていた。

「てめぇら一本取ったらすぐ次行くんだよ馬鹿野郎! 喜んでる暇があるなら件数伸ばせよ! おい、村上こっち来い!」

 怒鳴っている間、坂本の手は横を通り過ぎて行く女性社員達の尻に伸びる。
 無言で立ち止まる女性社員の尻を撫で回しながら、坂本は頭を下げながらやって来た申し訳なさ顔の村上を怒鳴り始めた。

「おい! おまえ、先月の成績言ってみろ!」
「は……はい、あの、ゼロです……」
「はぁ!? 何!?」
「ゼ、ゼロです!」

 村上は顔を震わせながら酷く怯え、今にも泣き出しそうになるが、坂本は寛容な心も容赦も持ち合わせてはいない。

「聞こえねぇんだよ馬鹿! ケツの穴で喋ってんのかテメェ! これだけの人間が集まってペチャクチャとクソの役にも立たねぇ営業電話掛けてんだ、もっとデケェ声で喋れよ!」
「は……はい、あの、ゼロです!」
「あぁ? ゼロだぁ? おい、一体何がゼロなんだよ? まさか獲得件数がゼロなんてふざけた事言うつもりじゃねぇーよなぁ?」
「…………」
「黙ってたらわかんねぇだろうが馬鹿野郎!」

 激昂した坂本が手元にあったホチキスを村上に投げつけるも、狙いは外れて島の中で電話を掛けていた部下の側頭部にヒットした。しかし、部下は顔色ひとつ変えることなく、笑顔のまま営業電話を掛け続けている。
 次はぶん殴られるのではないかと、そればかりが村上の胸中を支配し始め、やがて冷や汗が浮かんで脇を濡らして行く。胃がキリキリと痛み出し、込み上げる胃液の匂いに吐気を催す。思わず、この場から逃げ出したくなる。
 蛙を狙う蛇のような目付きの坂本はゆっくり立ち上がると、村上の前に立って指の骨をボキボキと鳴らし始めた。

「おい、クソ野郎。おまえは馬鹿だ。圧倒的な馬鹿だ」
「……」
「おまえが馬鹿ならおまえの親はもっと馬鹿だ。こんな役立たずの馬鹿の為に金を掛けてわざわざ大学まで入れてやって、挙句の果てにこんな社会の役立たずに育てやがった。こんな馬鹿息子に投資せず、その金を自分達の為に使ってたらもっと良い人生送れただろうなぁ。なぁ、そう思うだろ?」
「は……はい……坂本課長の言うことはいつも正義です」
「当たり前だ馬鹿野郎。テメェとは人間のデキが違うんだ。これ以上の親不孝をしない為に、おまえはどうするべきだ? 言ってみろ」
「て……転職です……」
「馬鹿野郎! 誰がテメェみてぇな役立たず雇うかってんだ! 人様の会社に迷惑掛けるんじゃねぇ!」
「で……では、どのような……」
「簡単だろうが馬鹿野郎! こうするんだよ!」

 坂本は背中にあった窓を開け放つと、村上をヘッドロックしながら窓際まで連れて行く。嫌がる村上を無理やり押さえつけ、その上半身を力づくで窓の外に追いやった。

「ここは三十二階だ! これだけありゃ申し分ねぇだろ! ほら、どうするべきか言え!」
「や、やめて下さい! し、死んでしまいます!」
「馬鹿野郎! おまえは死ぬんだよ! おまえみたいなクズは死ぬのが一番の社会貢献なんだよ! 死んだ方が良い命がここにあるんだよ!」
「や……やめてぇ!」
「だったらどうすんだ!? あぁ!?」
「い……一件でも多く、獲得して参ります!」
「あぁ!? 聞こえねぇんだよ!」
「獲得です! 気合を入れ直して、獲得に励みます!」
「っしゃあ! だったら今すぐ営業回ってこいや! 夜中でも何でも回って来い! 三件獲得するまで帰って来るんじゃねーぞ!」

 坂本は窓から村上を引き離すと、その背中に前蹴りを食らわせる。
 体制を崩した村上はデスクの縁に鼻を強打し、鼻血を流しながら資料を抱えてオフィスを飛び出して行った。

「ったく、クソが。轢かれて死んでくれたらまだ厄介払い出来るっつーのによ」

 そう独りごちてマッチを擦り、煙草の先に火を点けると視界が急激にぼやけ始める。ぐるぐると視界が回り、酷い眩暈を覚える。

「あ……あぁ? なんだ……こ、れ……」

 火の点いた煙草から指を離すと、それと同時に坂本は徐々に意識を失い、視界が突然真っ暗になった。

 次に視界が開けると坂本はオフィスではなく、ビルの前にある大通りで目を覚ました。辺りは忙しなく人々が動き回っているが、通りを歩く者達が手元で何か操作しているのが気になった。

「あ? ありゃなんだ、ポケベルか?」

 周りの人間達はカラー画面のついた弁当箱よりふた回りほど小さな機械に目を落としながら歩いている。中にはそれで何やら話をしながら歩いている者まであった。
 元来勘の鋭い坂本は目覚めた場所がどうやら自分のいた時代とは異なることにすぐに気が付いた。近くのゴミ箱を漁り、新聞を広げてみると西暦は「2022」年となっており、三十年以上も未来の世界で目を覚ましたことを知った。

 自分の会社が入っていたビルの中へ入ったものの、案内板を見ると既に会社は存在しておらず、アテンドに訊ねてみた所、業績悪化が原因で2008年に倒産、撤退したと聞かされた。
 扱っていた商品は「アクア・コスモ・エックスⅡ」という据え置き型の大型浄水器で、価格は一台百二十万もした。金で買収した医師に「癌にも効く」と健康効果を謳わせ、とあるテレビ番組に出資し毎週のように宣伝させていた。突然金持ちになる者が多く現れる世の中とあって、業績は好調で万事上手くいっていたはずだった。

 それなのに、何故潰れたんだ……。途方に暮れた坂本はとぼとぼと近所の公園まで歩いて行くと、ベンチに腰下ろした。
 一体、これからどうしたものか。元の世界に戻るには一体どうしたら良いのか、そもそも過去から来たと言ったとして信頼してもらえるのだろうか。
 頭のおかしな住所不定者として精神病院に放り込まれてしまうかもしれない。
 頭を抱えながらそんな風に思い悩んでいると、鳩に餌をくれている小汚い男に目が行った。老けてはいるものの、その男の見た目が自分そっくりだったのだ。
 男は鳩に餌をやる手を止めると、笑いながら坂本を手招きした。
 坂本は藁にも縋る思いで男の所へ駆け出す。隣に腰を下ろした坂本に、男は前置きもなくこんなことを言い始めた。

「アクア・コスモは集団訴訟を起こされてな……今はその存在すら消えてしまったよ」
「ちょっと待ってくれ! あんた誰なんだ!?」
「はっはっは……誰? 私は、おまえだよ」
「あんたが……俺だと?」
「あぁ。おまえは会社が倒産するより少し前に、あの会社を追われることになった」
「そりゃ、どういうことだ?」
「説明しよう。今の私はまごうことなきホームレスだ。こんな人生……おまえは送りたくないだろう?」

 男の話によれば時代は変わり、日頃部下を叱る時に用いていた恫喝・暴力などはご法度とされ、女性社員の尻を挨拶代わりに触ったりする行為はセクシャルハラスメントと呼ばれ、絶対に行ってはならない行為として当たり前に認知される世の中になったのだという。下手を打てば部下への恫喝や暴行、セクハラは警察沙汰にもなり、コンプライアンスの遵守というものがどの会社でも今は半ば義務のようになっているのだと聞かされた。
 それに加え、今は「SDGs」という概念まであり、持続可能な世の中を社会全体が目指す時代になっているというのだ。

「なんだそりゃあ!? それじゃまるっきり共産主義みてぇじゃねーか!」
「私よ、まぁ落ち着いて聞きなさい。強い者が弱きを助け、有る者が無い者へ施す。今はこれが当たり前の世の中になりつつあるんだ」
「みんなで仲良ししーましょってか? ふざけんじゃねぇ!」
「良いか? 一人勝ちしても結局は新しい勝利者というのが出て来る。圧倒的な力を持てば話は別だが、おまえはコスモ社のイチ社員に過ぎない。所詮は雇われだ。違うか?」
「や……雇われだと? 俺はなぁ、コスモ社の立ち上げメンバーだぞ!?」
「だから何だね? だったら、何故今の私はホームレスになって鳩に餌をくれている? そんな肩書や経験はね、会社の一歩外に出たら何の役にも立たないんだよ……そんなちっぽけなプライドは人の腹を満たすは愚か、人を笑顔にすることさえ出来やしないんだ」
「なら、どうしたらいいんだ!?」
「今ならまだ間に合う。自分を改め、周りのことを大事にしなさい。そして、あのあくどい商売を即刻止めさせるんだ……すべては、SDGs……」
「エスデー、デーズ……そのエスデーデーズのことをもっと」
「……時間がない。改めるんだ……頼んだぞ……」

 男が微笑みかけると辺りは眩い光に包まれ、坂本は再び意識を失った。
 次に気が付くと目の前にはビクビクと肩を震わせる村上の姿があった。周りの連中は忙しなくあちこちに営業電話を掛けており、どの人間もとにかく目先の一件を獲得しようと必死なのが伝わって来る。
 ホワイトボードには「一日一件必須! それ以下は人間以下!」と書かれていて、坂本は今まで一体何故そこまでして必死になっていたのか、途端に分からなくなり始める。

「か……課長……この前の、その……せ、成績ですが……」
「おい、村上」
「は……はい」
「たまには、呑み行くか。な?」
「えっ?」

 坂本は息を大きく吸い込むと、オフィス全体に響く大きな声でこう告げた。

「おまえらー! 電話は止めだ! もうそんなことしなくていい! もっと他に良い方法があるはずだ! みんなで考えよう!」

 その声にオフィスに居た社員達は鳩が豆鉄砲を食らったような面持ちになり、電話を手にしたまま動揺し始めた。村上は恐る恐る、といった様子で坂本に声を掛ける。

「あ、あの……どういうことですか?」
「俺はな、気付いたんだ。おまえらを叱り飛ばしても嫌な気分になるだけでちっともいいことなんかない。なら、もっと楽しく仕事をしようと思った。俺はこれからエスデー・デーズになる!」
「エスデー、デー?」
「持続可能な人間のことだ! よし、今日はもう仕事なんか止めて、みんなで話し合いをするぞ! 会社ってのはな、一人一人が主役なんだ。みんなで会社を作って行こう!」

 坂本の力強い声に、オフィスのあちこちから安堵の声や喜びの声が聞こえ始める。
 坂本はその後も自らの行動を改め続け、社内に様々な改革をもたらした。

 それから三十余年後。

 オフィス通りのある大きな公園の隅で、一人の男がすることもなく鳩に餌を配り続けている。
 自分の部署の営業方針を変えた翌月から、成績は恐ろしいほどだだ下がりした。そこへ運悪くバブル崩壊の波が押し寄せ、会社は坂本の提言によって商材を怪しげな浄水器から通信教育関連の教材へとシフトし始めた。

「今を作るよりも、未来を作りましょうよ!」

 そんな坂本のプレゼンにより教育関連にシフトして行った会社だったが、既に大手が占めている市場に食い入る隙はなく、成績も振るわず、元の予定だった2008年よりもずっと早い1993年に呆気なく倒産、解散することとなった。

 ベンチに腰を下ろして餌を撒き続ける坂本の視界の隅で、呆然としながら頭を抱える男の姿が目に映る。
 村上のムカつく鼻っぱしらをヘシ折る光景や、女性社員の尻の触り心地を反芻しながら、坂本は酷く強烈な後悔の念を浮かべ始める。

 あの時、なんで止めてしまったのだろうと。

 坂本はずっと待ち詫びていた過去の自分の姿に思わず笑みを漏らすと、ベンチで頭を抱え続ける男に向かって微笑み、そして静かに手招きをした。

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