見出し画像

【小説】 虹色商店街・それは偶然 【ショートショート】

 丘に建つマンションを川沿いに下り、やがてぶつかる線路に沿って進んで行くと、春にゃ桜並木が大変見頃になる大きな通りへ、プッと出る。
 缶茶の一本でも啜りながら、白い息を追っかけ追っかけ並木を抜ければ、そこが虹色商店街。冬も佳境を迎えてるっていうのに、懲りない馬鹿が酒を飲み飲み身体震わせやって来る。
 嗚呼、懲りないねぇ。好きだねぇ。馬鹿だねぇ。なんておっかぁやダチに言われたって止まりゃしない。酒飲み共が集まる「西村屋」は今年で創業七十年。戦後のどさくさ紛れでオッ立てた居酒屋は令和の時代なんか何のその。オーダーを取るのは看板娘の「やゑ」ちゃん御年なんと八十歳。

「あんちゃん、注文なんだって!?」
「ばあちゃん、ビール! ビールが三つ!」
「ビールならビールって最初っからそう言いなよ! うちは魚だって出してんだからね、「生」じゃわかんないよ! 大体ね、あんたらね」
「わかったわかった! ばあちゃん、悪かったよ。悪かったから、ビール持って来てくれよ」
「なぁにがビールだ、ったく。オーダァー、ビール三つ!」

 伝票を調理場のカウンターにパシン! と叩く音に負けじと響く酔狂の声。明日になっちゃあ話したことなんか大抵は忘れるってのに、どいつもこいつも顔を真っ赤に大騒ぎの始末。
 そんな酒飲みの客の中からスッと一人が立ち上がり、古ぼけた八枚引き戸をガラリとやって外へ出る。やたら痩せたその男の年齢は御年三十五歳の青年・山川龍治。眼つきの鋭いこの男、その昔は筋モンの一派に入ってみたものの、あまりのキツさに一週間でケツを捲った過去がある。今じゃ街外れの小さな部品倉庫でフォークリフトを転がす毎日。
 龍治青年が欠伸をして氷のような空気のかたまりをあんぐり飲み込むと、八枚引き戸が開いて小太りの男が店の外へやって来た。寒い冬の日だってのに、真っ白なTシャツ一枚で額にゃ薄っすら汗を浮かべやがる。細身の龍治青年はその姿にしかめっ面を浮かべ、上から下までじっくり相手を眺めてから

「こんな風になっちゃあ、しまいだな」

 なんて心の中で溜息を漏らしてみたものの、この小太りの男は何とも嬉しそうなツラを浮かべて電話を掛け始めた。

「あ、もしもし? 起きてたかな? みゆみゆ、僕だよ。うん、おやすみの電話をしようと思ってね。僕? 僕は今ね、バーにいるんだ」

 八十歳のウェイトレスがいるバーなんてあるかい、馬鹿野郎。 
 堪らなくなった龍治青年、こんな横槍を入れ始める。

「馬鹿野郎。バーで刺身が出てくるかってんだ」
「あ、みゆみゆ? ごめんね。怖い人がいるみたいだから、いったん切るね。あ、ねんねするの? うん、おやすみなさーい。チュッ」
「なぁにがチュだよ。照明器具みてぇな身体しやがって」

 電話を切った男が背を向けると、相手がビクビクしているのを知った上で龍治青年が声をやる。

「おい、あんたさぁ」
「は……はい?」
「煙草持ってるかい?」
「あ、はい。あの、これでよければ、どうぞ……」
「おう。悪ぃな」

 男の丸い指が差し出したのはこれは何とも不釣り合いな細巻のピアニシモ。

「おい、ピアニシモかよ」
「へへっ。可愛いもんが好きなもんで……」
「まぁいいや。あんた、寒くないのかい?」
「いやいや、暑くって暑くって。へへへ」
「俺には考えられねぇな。あんたこの辺の人かい?」
「いや、今は千葉なんですよ。同窓会やるっていうんで、帰ってきました」
「ってことは、地元はここか?」
「ええ。あの、今年三十五になる代です」

 この男が年を言ったのには裏がある。ハッタリが効かない相手と踏んだこの男、地元が同じなら目の前の眼つきの悪い男よりせめて歳が上でありゃ多少はマウントが取れるんじゃないかと考えた。しかし、これが要らぬトラブルの招き猫。

「三十五? え、マジで?」
「え、はい。橋本、修っていいます」
「修!? 俺だよ、龍治だよ!」
「え、龍ちゃん? あ、ああ……ひ、久しぶりだね」
「おうおう、何だよ! ずいぶん丸々しちまってるけど、おまえ元気してたか!?」
「うん、元気してたし今も元気だから飲んでるんだけどね」

 しまった。やっちまった。修の心持はもう正気じゃあいられない。
 同窓会は学年の七割ほどが集まって大成功。この居酒屋にやって来たのは三次会の流れで行き着いただけで、その前の二次会はカラオケ屋「ミソラ」のパーティールームでどんちゃん騒ぎの大盛り上がりをやっていた。
 こりゃあマズイと思ったのも、同窓会を計画していた頃合いで幹事を務めていた山田という男がこう提案したからだ。

「龍治は過去に反社やってたらしいから、呼ぶのはやめよう。みんな、異論はないよね?」

 これにみんなは二つ返事でうんうんこっくり頷いた。その中にゃ当然小太りの修青年の姿もあった。
 やっちまった。とんでもない奴にとんでもない日に出会っちまった。そう後悔し始めた矢先、龍治青年が口を開いた。

「同窓会ってくらいだからよ、中にいんだろ? 誰がいるんだよ」
「え!?」

 龍治青年が「何で呼ばないんだ」と怒っていないことが、かえって小心者の修の肝をスーッと冷やしていった。
 どうしたらいいんだ、どうしたらいいんだ……。修青年、頭の中がぐるぐるぐるぐる回り出して、なんとか必死に答えを絞り出した。

「僕、今から帰るとこなんだ!」

 修青年、どうせ仲間達にはしばらく顔を合わせないだろうし、自分だけは逃げて助かろうと考えた。

「帰るったっておまえ。半袖だし荷物も何もねぇじゃねぇか」
「うん、暑いしね。それに、僕はいつもキャッシュレスだから!」
「この店は現金しか扱ってねぇだろ。やゑの婆さんにキャッシュレスなんて言ってみろよ。キャベツが出て来るぜ」
「ははは! 面白いね、傑作だなぁ! それじゃ、僕は行くよ!」
「待て待て待て。おまえな、それは良くないぞ」
「ん? 何が良くないのかな? ん?」
「馬鹿野郎。俺が厄介者だってことくらいな、こっちゃ分かってんだよ。地元だぞ? 最初から呼ばれてないことくらいな、聞かされてんだ。バッタリ会う連中だってたくさんいるしよ。呼ぶなって言ったのは山田で、二次会は「ミソラ」だった。そうだろ? そりゃあ昔の俺ぁ反社だったよ。でも今はただのしがないフォークマンだよ。同級生なら誰がいるのかなぁって、ただそうやって聞いただけじゃねぇか。それなのにおまえ……ビビって仲間見捨てるなんてな、最低だぞ」
「……ごめん」

 図星をつかれまくった修青年。返す言葉も失ってぼんやり地面に目を落として項垂れた。こんな時になって、龍治の方がずっと大人だなぁなんてしおらしく考え始める。

「それよりもおまえ、さっきの電話なんだよ」

 話題が変わった途端、修青年の顔に満開の花が咲く。

「うん! 恋人のみゆみゆだよ!」
「おまえ、その呼び方はやめた方がいいぞ。気持ち悪ぃからよ。それにここはバーじゃなくて居酒屋だろ。それもボロボロで激安の大衆居酒屋」
「まだ付き合いたてだからね、うん。そのぉ、少しばかりよろしく言い換えてあげた方がみゆみゆも安心するかなぁって思ってね」
「なぁーにがみゆみゆってんだ、馬鹿野郎。その女は千葉か?」
「ううん。みゆみゆはここからすぐ近くのO市なんだよね」
「お、本当か? 一体どこで知り合ったんだよ」
「ネットで知り合ったんだ。アプリでね」
「アプリでねぇ。あのな、俺もな、偶然だけど女がO市に住んでんだよ」
「へぇ! じゃあ今度ダブルデートしようよ!」
「気色悪ぃなぁ、おっさんがダブルデートなんかするかよ! それに最近な、彼女とあんまり上手く行ってねぇんだよ」

 龍治青年は恋人との約束をほっぱらかしてボートを見に行ったり、馬の駆けっこを見に行ったりと近頃相手のことをないがしろにし過ぎていた。
 相手はまだ二十代の遊びたい盛りとあって、その若々しいエネルギーが龍治青年には少々鬱陶しいと感じることもあり、最近じゃあ連絡を取るのも三日に一度程度になっていた。
 重たげな表情を浮かべる龍治青年とは対照的に、修青年は興奮のために再び汗を薄っすら額に浮かべはじめて、にやけヅラで龍治青年にこう言った。

「まぁその! 恋愛の悩みがあるなら、相談にのってあげてもいいけど!?」 
「悩みなんかあるもんかい。遅かれ早かれ、そのうち終わるのは分かってんだ。おまえはチュッチュしたりズッコンバッコンしたりよ、よろしくにゃんにゃんやってんだろ?」
「ふふふ、それ聞いちゃう? まぁ、その為に今は活動中って所かな」
「活動中ってどういうことだよ。おい、もう一本くれよ」
「まぁこれで良ければ吸ってやってよ。オッホン、実はね、今の僕らは試練を乗り越えている最中でね」
「試練って、そりゃあどんな試練だよ。親が手前勝手でうるせぇとかか?」
「いや、男の総合力、かな。会うたびにブランド品をせがまれてね、まぁその? いい女っていうのはコストを掛けなければならないのは分かってるし? その費用対効果は十分目に見えてるんじゃないかと思うんだけどね。僕にせがんでくるのがまた可愛くってねぇ」
「それじゃあ、その分やることはやってんだろ?」
「まぁね! 一緒にお茶したりしているよ。美人がいるだけでね、お茶というのは実に美味しくなるんだよね」
「それ……おまえ、騙されてるんじゃねぇのか? 本当に付き合ってんのかよ」
「付き合ってるよ! だって、だって……こないだだってバッグを買ってあげたら喜んでたもん!」
「そりゃあ欲しいもんがタダで入るんだから喜ぶわな。みゆちゃんだっけ? ちょっと考えた方がいいぜ」
「みゆみゆは「ゆみちゃん」だよ! ひっくり返してみゆみゆ、可愛いだろ?」
「どうでもいいけど。なんだよ、彼女「ゆみ」っていうのか?」
「うん、そうだよ。歳はね、まだピチピチの二十五歳なんだ」
「二十五……まさか茶髪のロングでパーソナルジムに通ってるゆみちゃんじゃないだろうな?」
「そう……だけど。でも、でもでも! しっかり動いた分、甘い物だって大好きな娘なんだよ!? ほら、この前行ったっていうスィーツバイキングの写真。「いっぱい食べちゃった」だって、へへへ」

 龍治青年、これには流石に言葉を失った。最後に恋人のゆみに会った日、スィーツバイキングに行きたいとせがまれて渋々着いて行った。女の客と甘いものばかりが並ぶ店内に龍治は苛立ちを覚え、口を開けば「しょっぱいもんが食いたい」と呟き、挙句の果てにゃ店員を取っ掴まえて真顔で「ラーメンはどのコーナーにあんの?」と尋ねる始末。
 三十分も経たないうちにゆみと口喧嘩になり、結局ゆみを置いてパチンコ屋に向かってその日はおしまい。
 これはもう長続きはしないだろうと思っていたら、すぐ隣に立つ小太りの男をちょろまかして遊んでやがると来たもんだ。
 重たい溜息を吐きながら、龍治青年はずいぶん前に撮ったツーショット写真を黙って修青年に見せてやる。

「ごぉ……!? ぶぇ、えっ、ふぇっ……えっ」

 持っていたスマートフォンを落とした修青年は、ショックのあまり写真を下げられてもまだ足元をじっと眺め続けていた。

「修、三人目でも探すか」

 そう言って肩に手をやって、龍治青年と修青年は店の中へ戻って行く。その途端に店の中から響いたのは「食い逃げかと思って警察に電話するとこだったよ!」と、威勢の良い看板娘の怒鳴り声。
 その一角のテーブルでは龍治青年の登場に冷たい水をぴしゃりと打ったような静けさがやって来たが、龍治青年の砕けた「俺を呼べよ~」の声でわっと冬を溶かすほどの熱が沸き起こる。
 三人目を探すだなんて言い訳つけて、気が付きゃ女のことも何のその。明日にゃどうせ忘れる思い出話に青年達が花咲かす。

 丘に建つマンションを川沿いに下り、やがてぶつかる線路に沿って進んで行くと、春にゃ桜並木が大変見頃になる大きな通りへ、プッと出る。
 缶茶の一本でも啜りながら、白い息を追っかけ追っかけ並木を抜ければそこが虹色商店街。冬も佳境を迎えてるっていうのに、懲りない馬鹿が酒を飲み飲み身体震わせやって来る。
 嗚呼、懲りないねぇ。好きだねぇ。馬鹿だねぇ。なんておっかぁやダチに言われたって止まりゃしない。酒飲み共が集まる「西村屋」は今年で創業七十年。戦後のどさくさ紛れでオッ立てた居酒屋は令和の時代なんか何のその。仄暗いてっぺん過ぎに赤い暖簾を下げるのは、看板娘の「やゑ」ちゃん御年八十歳。


関連作品




サポート頂けると書く力がもっと湧きます! 頂いたサポート代金は資料の購入、読み物の購入に使わせて頂きます。