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両親の認知症から「知性」と「関係性」のあり方を考えた


現状報告。

ちょっと真面目な話です。
この数ヶ月、私の生活が激変しました。
介護は2日に1度。
1度の介護に、移動時間2時間、稼働時間3〜4時間が必要です。
現在、私が働いている職場はコアタイムが10時〜15時なのと、自宅勤務なのでそれをうまく使ってなんとか凌いでいますが、それでも足りず、横浜に住んでいる兄も神戸に転居して介護を手伝うことになりました。

なぜこのような状況になっているかというと・・・
数年前に認知症と診断された親父に加えて、実は母親まで結構深刻な認知症だと診断されたことによります。

普通、こう思いませんか?

「そんなに深刻な状況なら、その予兆に気づかなかったのか?」

そう思うようになったのが、今回のnoteのポイントです。少々長くなりますが、同じように悩んでいる人や、むしろこれから悩むようになるかもしれない人のためのメモを残しておきます。素人目線のものなので、エピソードが中心になりますし、専門的なことも思い違いや記憶違いがあるかもしれません。その点はご了承ください。
あくまでも、私の主観です。そこから何を読み取るかは、読者の方々にお任せします。

ある一定の条件を満たせば、認知症というのは発見しにくい。

私自身も周囲の人間も、母親は「しっかりしている」とこの数年思ってきました。ところが・・・

実際には「意味を理解していないAIが知的に振る舞っているのと同様だった」のでは?

と思うようになりました。

AIと認知症に似たところを見出す

今回、そうやって両親の認知症と向き合っていく中で、よく言われる「生成AIは嘘をつく」という事象や、AIが意味を理解していないにも関わらず知的な回答をするように思える現象に近いことが認知症の人にも起こっているのではないかと考えるようになりました。

意外と家事は判断の連続である

日常生活では、生活を支えるのに必要な「家事」や「契約」にまつわる何気ない「判断」が連続で生じています。
例えば、妻に「醤油を買ってきて」と言われて困った夫というのは結構いるはずです。(私がそうです。)
「どこのブランドなのか」「容量は?」「薄口醤油でよかったっけ?」「どれくらいの価格なら買い得と言えるのだろうか?」など、意外と悩むものです。このあたりの細かい判断を無視して適当な買い物をすると叱られてしまいます。

母の認知症のやっかいなところは、社会的に有益なこと(道徳的なこと、一般的な社会通念にまつわること)は本気で言えるのに、身の回りのことが全くできなくなっていた、というところでした。

つまり、誰かが風邪をひいたら電話して「今年はインフルエンザが流行しているって、ボランティアの現場でも言っているの。あなたも気をつけなさいね。どんな症状なの?」と会話できます。

電話をしてもらった人は、心強いからかありがたがります。そして「あの人は立派な方だ」と思います。

しかし、実際には、一般論をリピートしているだけです。

実はさっきの母親の電話でのセリフにはいくつかの恐ろしいことがあります。
・ボランティアは数年前に辞めている(以前は大学病院でボランティアをしていた)
・流行なんてものは「言ったもの勝ち」で、「私の周りでは〜」「病院では〜」などと理由をつければその流行範囲についてはどうとでもでも言えてしまう。

ここに認知症だと見抜かれにくい一つの原因があります。つまり、ある程度の知能があればこれまでの言葉のテンプレートのストックがあり、それを組み合わせれば、発言(スピーチ)は成立してしまうのです。
ほとんどの人は、知人であっても、母が現時点でボランティア先とどのような関係性であるかまでは知りません。またインフルエンザの流行も、その範囲と程度は人によってまちまちの解釈がありえます。特に母が病院でボランティアをしていたと知っている人はなおさら医療系の話題については母の発言は根拠があるものだと勝手に思い込んでしまうのです。つまり、勝手に思考停止状態に陥ってくれるので、そこで疑義申し立てをされることがなくなります。

まさに、今井むつみ先生がおっしゃる「記号接地」がない、単なる言語発信しかできていないのです。

対話してみると、ボロが出る

ところが、記号接地に関わるような事柄、例えば「ボランティア先にはいつ行ったの?」「どのお医者さんが発言していたの?」「流行しているって、どの程度?」などと尋ねると、急に「知らん」と言い出します。なぜなら、事実に基づいた発言ではなく、単なるテンプレの再生だったからです。
認知症でも発言(スピーチ)はできますが、対話(やりとり)はチグハグになります

そんなこんなで、私もある出来事が起きるまで、電話で話したり、一緒に食事に行く程度では、違和感は持つものの、そこまで深刻だと思っていませんでした。

安易なアドバイスは当事者にストレスを与えるということも

どんなことが実際に起こったかは、別のnoteで書こうと思っています。

ただ、いろいろ調べていくうちに、どうも周囲の人たちにご迷惑をおかけしていることが判明しました。

一番困ったのがお金の問題

お金の管理が全くできなくなったので、支払いは滞っていたり、友人に買い物してもらったものの支払いを忘れていたり。ある団体の会計を任されていたのに、その金がどこにあるかわからなくなっていたり。

一緒に住んでいないと、両親が誰とどんな付き合いをしているか、あまり分かりません。

両親の人間関係を把握しているか?

今回、思い知ったのは、私が知っているのは、両親の生活のごくわずかだった、ということです。

特に人間関係は、正直に言って、全く知らなかったと言ってもいいくらいでした。
同じ集合住宅(団地)で誰と仲が良いのか。たまに変な買い物してくるのは誰なのか。よく通話履歴に名前が載っている人とはどういう関係なのか。
きっかけを作って、聞いていきました。

その中に、私の高校時代からの友人のお母さんが入っていました。

そこで、意を決して電話をすることに。よく遊びに行っていたので、そこのお母さんとも数年ぶりに話をすることになるのですが・・・

認知症の話をすると、本当にびっくりされました。

それを皮切りに、アプローチできる方々には、その人達と両親との関わりを尋ねていくことを始めました。

謝罪の日々

すると・・・出てくる出てくる。やはり、いろいろなところで、ナチュラルに迷惑をかけていました。

息子としてできることは、丁寧に状況を聞き、謝罪するべきところは謝罪して、今後の付き合い方を考えていただくことしかありません。

その中で、多くの方が異口同音にこうおっしゃいます。

「施設に入れたらどうですか?」「ケアマネージャーさんに一度相談してみては?」

いや、とっくに検討しているし、ケアマネさんとは月に2度ほどは会議をして、何かあったりメールでの相談にも随時乗ってもらっています。

施設って、結構高いのご存知ですか?

と、聞き返すと、大抵の人はよくわからずにゴニョゴニョ言い始めます。まさに、冒頭の母親のことに似ていて、「施設に入れたらどうですか?」というセリフは単なるテンプレートであり、そこに発言の根拠や責任感はないのですよ。

有識者でも、当事者でもない人の、責任感のない発言が、当事者を困惑させます。毎回返答に気を遣いながら相手の無知を知らせる・・・ストレスがかなりある行為です。悪気はないのは分かりますが、その行為を強いているということは理解してもらいたい。

類は友を呼ぶ

ちなみに、両親が住んでいるのは、いわゆる阪神大震災の復興住宅です。
つまり、そのほとんどが被災者で、ほぼ同年代で一斉入居しました。

もう震災から30年が過ぎ、7割ほどはお亡くなりになられ、残りの半数ほどはご家族にひきとられ、残っているのは同じような状況の方々ばかり。

駅前も、平日日中は、コーヒー店には何もすることがなさそうな高齢者ばかりがボーッとしているし、百貨店の売り場では賞味期限を何度も繰り返し尋ねる高齢者も多く、「日本ってこんなに高齢者が多かったっけ?」と、元新宿区民からすると驚くほど人口構成が歪です。(逆に、新宿や四谷あたりが歪なのかもしれませんが。)

だって、平日の昼間、大抵の人は学校や職場に行っている。私も仕事している時間なので、基本家にいる(フルリモート)。ところが介護をしはじめて、見える風景が異なってきました。

善意で買い物してくれる人

団地の人たちは基本的に良い人たちです。
しかし、善意だからといって、必ずしもありがたいとは限らないことが起きます。

ある人は、特売を見ると、電話をかけてきて、母に「〜〜が安いけど、買っとく?」と聞きます。すると母親は「ありがとう!買っといて!」と言うんですね。

で、やたらと種類が異なる洗剤の詰め替えパックが並びます。

母は、自宅でどんな洗剤使っているかなど、もう理解が追いついていません。管理能力がないのです。
だから、私が洗濯しようとすると、なぜか昨夜半分だった容器に、違う洗剤が追加されて満タンになっていることなどが生じます。一番怖かったのが、マウスウォッシュですね。なぜか容量が増えている。両親の手が届かないところに置くようにしました。

やたらと、冷凍庫が同じ食材で占められることがあります。

冷凍庫に入りきらないと言うので、別途冷凍庫が欲しいと要求されて、3年前に購入しました。それはもう3年間、開かずの冷凍庫になっています。無駄です。

結局、管理能力のない人に管理領域をプレゼントしたとしても、その領域を死蔵させるだけです。

キャパシティオーバーの人に対して、周囲の善意は止まりません。どんどん、チググなものが増えていきます。

賞味期限が切れたものが、なぜか隠されていて(見つかると私に注意されると勝手に思っている)、異臭を放っていたり。

ある時に、いつも買い物してくれる人からの電話に私が出たことがあります。
それで「冷凍のお好み焼きを買おうと思っているけれど、いる?」ということだったので、「今は私が料理とかしていて、食材が入りきらないくらいなので、今回は遠慮しますね」と丁寧に言ったのだけれども、それが母親の逆鱗に触れた。つまり、友情関係に割り込んだ、というのだ。

いや、あんたが管理できれば問題ないさ・・・

改めて問いたい。みなさん、ご両親の人間関係、ご存知ですか

薬の管理は厳格に

一番困っているのが、これ。

団地内で、高齢者同士の「薬のお裾分け」ということが行われていることが発覚。ただ、みんな認知症なので、状況は解明できず。

今、両親はかかりつけ医から薬を処方されているのだが、なぜか見慣れない古い薬がどんどん出てくる。ネットで調べると、製薬会社が廃番にして回収したようなものまで含まれている。それを、「寝れない時はこれ」「〜〜の時にはこれ」みたいに、自分ルールで飲んでいる。いわゆるオーバードーズが起こるのではないかという不安がある。

母親は、専門の教育を受けたわけではないのに、病院でボランティアをしたことがあるというだけで、なぜか栄養学や薬学に詳しいと「思い込んでいる」。それが、周囲の人たちにも伝わり、薬や病気のことは母に相談するようになっている。それが非常に厄介だ。

後悔していること

両親がまだ理性的な時に、しっかりとルーチンをつくるとか、管理体制を組むということができていなかったこと。これが悔やまれる。

今となっては、同じことを説明するのに何十回とかかり、私の時間・気力が奪われていく。

生活の手続きも引き落としなどの自動化や、肩代わりができるところは徐々にしておいた方がいい。何を契約しているか、本当にわからない。

何より、日々更新される人間関係によるアクションを把握するのに時間がかかる。
もっと早く把握していれば、予防線が張れたのではないか。

ここまで読んでくださった方には、ご自身に引き付けてチェックしていただきたい。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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