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転職のあてもなく「ホワイト企業」を退職し、人生初の「二度目ブロック」をした理由【前編】

2023年2月末日。
私は割と名は知れた老舗出版社Z社を退職した。

人生初のフリーターになる。

不安がないと言えば嘘になる。
家庭があるし、それなりの収入があったのが全くのゼロになる。

周囲からは「そんなリスクのあることを・・・」と言われもした。

業務をして給料をもらうというだけなら、かなりホワイトな職場だった。

フルリモートでの勤務。(コロナ前から。その契約で入社したので。)
特に大きなノルマもない。
同僚は人間的にもマイルド。仲も良い。
年収も威張れるほどではないが、安定していた。

ここまで読むと、「何が不満だったんだ?」と言われるだろう。正直にいうと、他の同僚たちには「辞めない方がいいよ」と言っている。

もらえるとは全く思っていなかった退職金もいくばくか出た。これは驚いた。今までの職場では確定拠出年金制だったので、退職金が出なかったから。

さて、こんな状態でも「辞めなければ」と思うようになった理由を書いていく。

辞めた理由を簡単に表現するなら、「この会社に所属している」ということが恥ずかしいと思うようになったからだ。

少し大袈裟に書くと、このような企業がある限り、社会は発展しないのだろうな、と思う。

しかし、一方で、このような会社がないと困る人たちが存在する。それこそが現状の日本社会の「困ったこと」なのだ。

もし、読んでいるあなたが、今の会社に大きな不満がないにも関わらず、悶々として生活しているなら、共感できることが一つくらいあるかもしれない。それによって、自らの仕事観を整理したり、一歩を踏み出すきっかけになることがあるかもしれない。

・・・と、少し真面目なことを書いたが、記憶を遡りながらこのnoteを書いている本人としては「イマドキ、こんな会社があるんだ!?」とある意味で文化人類学のフィールドワークのような体験を備忘として残しておきたいと思い始めている。

ちなみに、タイトルにもあるが、上司であるO氏とは退職の連絡をした時もそうだが、10ヶ月ほど話をしていない。この度、Facebookでもブロックさせてもらった。実は、O氏をブロックしたのは2度目のことだ。それは後編で。

(1) 入社後に見た惨状

さて、私はヘッドハンティングされてZ社に入社した。しかも、約10年前にも同様にヘッドハンティングされた。その時は、入社直前で辞退し、東京の大手通信会社D社の関連会社に入社した。それもヘッドハンティングである。

自分で自分のことを表現するのも恥ずかしいが、時々、他の会社の経営陣から「会ってお話ししたい」と言われるほどには仕事はするし、また年に何度かは講演やセミナーを依頼されるくらいの知名度はある。

たまたまZ社の社員でご家族に文科省の官僚(兄)がおられる方がいる。私がZ社に入社した時、その官僚の方から電話で「今度、お前の会社に〜〜さんが入社するんだな」と言われた、と教えてくれた。非常に驚いておられた。

そのような状況で入社したので、期待されすぎていた部分もあったと思う。

さて、私のZ社での業務は社内研究所の「研究員」であり、いわゆるR&D(研究・開発)であり、新規事業部にも所属することになる。研究所にしても新規事業部にしても、新設であり、上司は取締役のO氏、10年前からずっと声をかけてきた人だ。社長の長男でもある。

正直にいうと、部下もいない、同じ部署の同僚もいない状況で「本気か?」と思う反面、0から自分の思う通りに始められるという気楽な部分もあった。次期社長がコミットしてくれるなら、それなりに周囲も手伝ってくれるだろう、という楽観的な思考も働いた。

オファーをしてきた時に、O氏は、「日本最大手の教育企業になりたい」「それを一緒に叶えてほしい」と熱く語っていたからだ。最大手は無理でも、多少なりとも革新的なことはできるかと思って入社した。

ところが・・・
入社して、事前に聞いていた話とそのイメージと、現実とのギャップに驚いた。

100年以上続く老舗出版社でありながら、大手の学習アプリのコンテンツなどを提供する「老舗だがベンチャースピリッツ溢れる会社」と聞いていたのだが・・・

① 会社はほぼ「倉庫」であり、雰囲気は「町工場」

② PCは全社員に対して1/4ほどしか行き渡っていない

③ 社内SNSなどはなく、連絡事項は口頭か紙の回覧板

④ 入社時の初期研修の資料は全てWordベタ打ち

⑤ 受付も普通にスルーして生命保険などの営業のおばちゃんが最奥の社長室までズカズカ入ってくる

⑥ 他社などへの訪問にアポイントメントをとらない

⑦ 経費精算の交通費は新幹線であっても飛行機であっても証憑不要


私個人の驚きで言えば、フルリモートを条件で入社したとはいえ、

・机が用意されていない

・PCが貸与されない

ということだった。

出社は月に二度、数日だけなのでフリーアドレスでも構わないとは思っていたのだが、初めての会社で居心地が悪い。そこで、別の取締役に「席はないんですよね?」と尋ねると「え?ありますよ?」と。いや、最初に案内されるべきだろうと思っていると・・・その取締役が、とある机に向かう。先に座っていた営業部のスタッフに取締役が声をかけて、「今度から、〜〜さんがそこを使うから、空けてあげて」とか言う始末。初対面のその方との間に非常に気まずい空気が。

PCについて。取締役に尋ねると「〜〜さん、いいの使ってるから、要らんやろ?」と。

これ、前職の会社が「辞めても使っていいよ」と貸与を続けてくれているSurfaceBook2で。。。

でも、中途半端なスペックのものを渡されるよりはマシか、と思い、そこは我慢した。

ただ、周囲を見渡すと、みんな非常に古めかしいPCで作業している。

Windows7だ。2018年秋時点で見かけるとは思わなかった。若手がイライラしながら作業していたので声をかけてみた。「それ、頻繁にアプリが落ちていない?」と。すると「はい、15分ごとにフリーズするので作業が遅れるんです・・・」。うん、Win7機で最小構成のスペックのPCで、Illustratorでバリバリ作業はできないだろうね。

そこで、まず上記の②「 PCは全社員に対して1/4ほどしか行き渡っていない」とう事項の改革をしようと進言した。

「一人一台PCを!」という、ちょうどGIGAスクール構想と同時期に社内でも進めようと思ったのだ。

その時の取締役O氏が言い放った言葉。
「みんながちゃんと使いこなしてくれるなら、PCくらい買ってもええで。でも、渡しても使えるかどうかわからんからなあ。安いのでええやろ?」と。予算を尋ねた。一台3万円以内で、と。総務が頭を抱えていた。

それを、一台7万円まであげることを交渉し、しかもAdobe製品を使うPCはせめて15万円は出したいということも伝えた。なんとか渋々、段階的にということで一年かけて「一人一台PC」を達成した。

同時に、PCを使う「目的」というか「目標」を設定しなければならなかった。そうでないと、経営陣が「こんなに費用使ったのに・・・生産性が上がっていない」と言いかねないと思ったからだ。

そこでSlackとオンラインの業務システム(決済やスケジュール管理・勤怠管理)の導入を進言。すると、総務や人事からは非常に喜ばれた。「これまでも導入をお願いしていたのですが、全く聞いてもらえなかった」と。

Slackは営業部を中心に出張者が多いので、連絡がこまめにとれるということで導入はすんなり進んだが、後者の業務システムが難航した。理由は大きく二つあった。

・全員にメアドが割り当てられていないため、この機会にログインIDを全員分用意することが困難だということ

・新しいタイムカードの打刻機を購入したばかりなので、オンラインに移行するのはもったいないということ


もう一度言うが、2018年の暮れのことである。


ちなみに、業務日報というものを提出する必要があった。

私はExcelファイルでテンプレートをもらったのでそれに記入して、上司と人事にメールで提出していた。日報と言いながら、毎日書くが、提出は月に一度だった。

ここでも驚いたことがあった。社長が全くPCもタブレットもスマホも使えないということだった。

月に一度発行される社内報には、社長自身が毎度毎度「Society5.0」「DX」や「我が社ではAIサービスを展開し・・・」などと書いていたのだが、本人はその原稿を手書きで原稿用紙に書き、それを総務に渡して、総務が打ち込み作業を行なっていた

冗談のような話だが、私が退職する2023年2月まで、全く変わる気配がなかった。

そもそも、AI云々も、私が他社や他の研究所からのコラボ案件を持ち込んで個人で研究開発していたもので、会社は全く何にも関わっていない。

そして、さらに業務日報のことでも驚いたことがあった。

まだ一人一台PCが実現されていない頃は、全社員が、定時頃になると数少ないPC席に順番で座り、Excelにデータを打ち込む。それを月に一度、プリントアウトして、それに社長は眼を通す、と。

一人一台PCが実現された後は、入力だけはスムーズになったが、プリントアウトされて社長に渡されるという儀式は残っている。

③の「社内SNSなどはなく、連絡事項は口頭か紙の回覧板」についても、最後まで大変だった。Slackも全員が見ているわけではないので、全社に告知しなければならない事項があっても、「Slackと回覧板の両方」が用意されることとなる。

DXの妨げになる一要因が、この「デジタルと紙媒体のハイブリッド」という状況である。

つまり、紙媒体で配布されたり回覧されることが継続すれば、苦手なPCを触ることをいつまでも遠ざける老害が存在することが許される。でも出張組やテレワーク組からするとSlackで告知してほしい。結局、総務の手間が二倍になっただけとなる。「易きに流れる」という例である。

そして、これは退職するまで変わらなかった。

さらに言うと、そんな状況だから、後日、せっかく導入した業務システムによって会議のスケジュール管理機能で「会議室を押さえた」にも関わらず、それを見ていない他のスタッフが勝手に会議室を使っていたり、大事な来客を告知してもそれを知らずに失礼な受付をしたり・・・ということが多々あった。

決裁権を持つ管理職がほとんど使わない(アクセスしない)ので、オンラインで休暇や稟議の申請を出しても気づかれず、ギリギリになって電話で「承認してください!」と言わなければならないことも。

つまり、二度手間が増えるだけの改革となってしまった。

決定的なのは、社長がいまだにそれらのシステムを覗いたことがないことだ。存在くらいは知っているだろうが。

なので、報告された業務しか知らない。誰がどんなことをしているのかも知らない状況だった。


⑥の「アポイントメントをとらない」というのも面白いエピソードがあるので書いておきたい。

・エピソード1

まず驚いたのは、私が入社して三日目のことだった。当時、私は自宅が東京・新宿であり、会社は大阪市だったので初期研修の一週間は大阪のホテルに滞在していた。一週間の研修カリキュラムのはずだったが・・・正直に言うと非常にレベルが低く、二日で五日分が終わってしまった。すると、やることがない。

そこで、営業部の取締役に同行して、書店や取次さんへ訪問することになった。

「午後になったら、取次さんに訪問します。席で待っていてください」

そう言われて待っていたが、午後になっても声が掛からない。「何時くらいに出発するんですか?」と尋ねると、「今、ちょっと書類作成しているので、これが終わったら出ます」と。

しばらく待って、一緒に車に乗って出かけた。車中、「今日のアポは何時からだったんですか?」と尋ねると、「いえ、アポはとっていません」「え?お目当ての方がいらっしゃらない場合もあるのでは?」「ああ、そうですね。いてるかな?」「・・・」

すると、その会社の駐車場に車を停めようとした時にビルから出てきた人がいた。

その人に向かって、大声で叫ぶ取締役。「○○さん!今から外出されますか?会いにきたんですけれど!」

「急ぎじゃないから、いいで!入りや!」と招いてくれた「○○さん」。

いや、あんたも、ちゃんとスケジュール管理しなはれ。。。

・エピソード2

前職も同業他社でバリバリ働いていた自称「No.1」だった営業部社員。

出版社なので、顧客は、書店や取次だけではなく、学校や塾もある。

私が初期研修でとりあえず一週間着席しなければならなかった時のこと、彼は大きな声で「△高校に営業行ってきます!」と言って、社用車の鍵を借りて元気よく出て行った。

3時間ほどして、帰ってきた。取締役が「割と早かったですね」と言うと「はい、校門まで行ったら閉まってて・・・守衛さんに尋ねたら、『創立記念日で休みや』って言われてしまいましたわ〜」と。それを聞いて、みんな爆笑。

え? ドライブしにいっただけだよね?

でも、外出手当はいただける。

・エピソード3

ある若手営業スタッフが、ある学校の教頭先生からお叱りを受けた。

理由は、職員室前の廊下で不審な行動をとっていたからである。

これは、職員室の壁に貼っている教員の座席表を確認して、目当ての先生が席にいるかを確認していただけなのだが、加えてもう一つ大きな過失が・・・

コロナ禍で部外者の訪問を学校側が「ご遠慮ください」と制限していた時期のことだったのが、火に油を注いだ。


最後の⑦の証憑(領収書)の件は、改善要求を私が出して、新幹線・飛行機の領収書は出さなければならなくなった。出張が多かった人には恨みを買ったかもしれない。

この部分に関しては、出張者についてはかなり厚遇があった。手当は宿泊を伴う出張だけではなく、日帰り出張や、近隣であってもどこかに訪問したら手当が出ていた。

残業代も分単位で計算していたようで、直帰しても構わないのに、一旦帰社してから業務日報を書いてタイムカードを押す人もいたようだった。

変なところはホワイトなのだが、昭和時代の町工場の雰囲気があり、非常に「ゆるかった」。

ノルマというのも、訪問ノルマであって、売り上げノルマではない。

給与は基本的に年功序列。業務に関して上司との面談や評価やレポート提出もない。

このような状態だったので、PCがなくてもいいわけだ。時間をかけて仕事すれば、残業代も入る

最初は「かなり痛い会社だな」と思ったものの、慣れてしまえば、のんびり仕事ができるし、ま、いいかという気になってしまっていた。


社外の評判を聞くまでは。


(2)「ナチュラルに迷惑なんですよね」と社外の人ににこやかに言われる

当時、私は東京在住。会社は大阪にあったが、取引先は東京が多かった。

コンテンツを載せるシステムをつくっている会社や、サイト構築・運営をしている会社などは全て東京にあった。

そういうこともあって、取締役O氏からは「〜〜さん、時間をつくって、それらの会社に挨拶してきてよ」と言われた。

もともと、人と会って話すのは好きなので、新たな視点・ポジションで話ができるのを楽しみにい会いに行った。

・エピソード4

あるシステム会社に挨拶に行った時のことだ。

書籍のコンテンツを搭載しているシステムなので、その出来具合を実際にレビューして欲しいという本社側の意向もあった。私自身、どんなシステムを顧客に提供しているのか興味があったので、割と早めに訪問した。

最初はビジネスライクに先方と話を進めていた。アプリも触らせてもらって、意気投合しはじめた頃、先方の表情が変わった。

「〜〜さん、ちょっと相談したいことが・・・」「なんでしょう?」「実は、御社では我々の仕事に対して評価は低いのでしょうか?」「え?」「実際、触っていただいて、いかがでしたか?いただいたリクエストには全て答えていると思うのですが・・・」「はい、よくできていると思いますよ。UIの部分でもう少し工夫は必要だと思いますが、機能については十分だと思います」「良かった。よくわかっていただいて・・・そこで相談なんですが、見積もり金額通りをお支払いいただくことはできないでしょうか?」「へ?」

聞くと、かなり値切られているとのこと。

そこで、じっくり話を聞くことにした。

私自身、前職がシステム会社だったので、金額を聞いて驚いた。相場の1割以下と言ってもいい。

「実は・・・御社の取締役にもこの金額は厳しいことは再三お伝えしているんです。この機能を実装するには、ウチのエースのプログラマがつきっきりで対応することになっているんですが・・・」「はい、かなり腕がある方ですよね」「はい。私の自慢の社員なんです。でも、御社の取締役の方は『東大あたりの優秀な学生を集めて、△さん(プログラマ)の技を伝授したら、バイト代程度でシステムできるんじゃないの?』と言われまして・・・」「はあ。。。大変失礼な発言を・・・申し訳ございません」

この一社だけなら良かったのだが・・・

・エピソード5

私が入社した当初、公式サイトがあまりにイケてなくて、愕然とした。

まずレスポンシブではないので、スマホだとページの情報が切れる。検索がしにくい。

そもそも、管理がされていないので、絶版になっている参考書まで載っている。

そのことを経営陣に指摘したら、またもや「サイトの制作・管理をしている会社も東京にあるから、〜〜さん、行って話してきてよ」と言われた。

そこで、銀座にあるその会社の事務所へ。

前回の会社の轍があるので、挨拶の際にちょっと笑いをとろうとして「ウチの取締役が迷惑かけていませんか?」と尋ねると、笑顔で「はい。ナチュラルに迷惑です」と。「どんなことで?」と尋ねると、以下のことを言われた。

・当初納得していたはずなのに、仕様変更を頻繁にする

・納品後、修正を依頼する

・管理費をケチる

またか・・・と思いながら、支払っている額を尋ねると、これも格安。

費用を下げるために、「海外の学生に任せればいい」と取締役自身が言ったらしい。ところが日本語がわからないので、テキストをコピペする際に誤変換や文字化けしても誰も気づかないという。

「見積もり通りの支払いをしてもらいたい」と、会うたびに言われた。

常にイライラしながら対応されるので、私自身も嫌になったのが本音だった。


他にもあるのだが、この取締役O氏はある特徴的な言動をしていた。

・今後、大きな取引にするから、今回だけ無料(or格安)で御社の技術を見たい

・友達価格でやってくれ(値引きしろ)

・後々、自分が社長になったら・・・

など。ブランドがあるので、他社さんも最初はそれで付き合うのだが、つきあっていくうちに「損切り」がしにくくなり、ズブズブの不本意な付き合いが続いていく。

私自身が経験しただけでも、いくつもエピソードがあるが、同僚たちに聞いた話はもっと切実なものだった。実際、取引を切られた会社は複数あると聞く。だが、その理由を担当者は経営陣に伝えていない。

つまり、経営陣が裸の王様なのだ。

私はどうしたかと言うと、取締役には伝えた。ところが、笑って「いやいや、僕と先方とは信頼関係できているから」と答えた。冗談にしか思っていない。

(3)私が退職を決めた理由1

ここまでで、なんとなくわかったことと思う。

私にも人脈はある。私が出版社に入ったことを知って、「本を一緒に作りたい」「新しいサービスのアイデアがあるんだが相談したい」などの声はいくつも来た。

最初は、それに応じていた。

ところが、この2年ほどは「ウチとはやらないほうがいい」と言わないといけない状況になった。

そう。社外の方に迷惑がかかる可能性の方が大きいからだ。

ブランドもある老舗の出版社に期待することは何か。

・書籍やサービスの企画力

・執筆者を導いてくれるアドバイス力のある編集者陣

・市場動向を知り尽くして、営業戦略を立てる営業部スタッフ

・情報発信をすればキャッチしてくれる潜在顧客

これらを期待して集まってくる。

ところが・・・これは幻想である。

企画はしない。
従来のもので売れたものをリニューアルする、他社で売れているものをアレンジする。そもそも企画会議がない。

編集者は校正がメインである。著者と向き合って議論しているところなどは見たことがない。

営業部は、本ができてから、やっと「どう売るか」を考える。手段はPOPや書店で平積みしてもらう交渉をする。編集部に対して「売れる本作れや!」「ホンマに売れるんやろな?」と言っているところを見たことがある。それを考えるのは誰なのか・・・不思議。

私が入社して、やっとSNSやプレスリリースをし始めた。LINEもそう。それまでは全く顧客にリーチする手段は「書店の本棚」のみだった。


ある有名なベストセラーの大学教授がいた。他の出版社でもかなり売れているシリーズの本を、Z社で出版したら、ブランド力があるからもっと売れるのではないか、という期待だった。

ところが、執筆料も「そんなに出せない」と事後に伝えて、教授のテンションも下がる。

書店でベストセラーの本の横に置かせてもらうという営業努力も、営業部スタッフはしていない。

そもそも、社内の人間がそのベストセラーを読んでいない。(漫画化もされたほどの有名な本)

こうなってくると、有難い大きな案件になればなるほど、後のことを考えると怖くなってしまい、断ることに。

そうしているうちに、私自身、「同じ穴の狢」という見え方を社外からされることに耐えられなくなった。

なんとか、ホワイトな労働環境と安定した収入で目をつぶって来たが、その生き方が「奴隷化」「ペット化」しているように思いはじめたのだ。

後編では、より業務や他社との関係性について書いていく予定だが、ここまで読んでいただくだけでも、私は「本来の仕事」をしていない、ということがわかっていただけると思う。常に悶々として過ごしていた。家族を養うという感覚がなければ、とっくに辞めていたと思う。

それも2022年春、一気に噴出することになる。【後編】へ




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